Re-Genesis
再創生
機動戦艦ナデシコ
2次小説
descripted by Veneficus...
第八話 Aパート
『砂の「冷たい方程式」』
0.
夢を見ていた。
それは昔々の幸せな夢。
左手にはユリカさんの柔らかな横顔が、右手にはアキトさんの楽しげな寝顔が。
三人で川の字になって、小さな四畳半の部屋で眠りにつく。
左手にはユリカさんの手、右手にはアキトさんの手が。
私の両手を握ってくれていた。
そんな幸せな夢。
ホシノ・ルリはゆっくりと目を開いた。
夢を見ていた。
暖かな夢の時間は終わり。
瞬きを一つして現実が素早くルリの身体に冷たい事実を染みこませる。
アキトさんに拒絶された。
涙が眦から流れ落ちる。
最近は泣いてばかりだ。それはきっと、あの時、世界の全てだった二人を失ったときに泣けなかった反動なのかもしれない。
アマノガ・ルリは身体を起こそうとして両手に感じる温もりに気がついた。
ルリの両手は左右から伸びた二つの手に繋がれていた。右側にはあの時よりもまだ若いテンカワ・アキトの姿が、左側にはいつも憧れていた明るい義姉の姿があった。
両手を結ぶその温もりを、ぎゅっと今一度だけ握り締める。
これは夢だ。
いつの日かあの無口で無表情で冷めた目をした金色の瞳の少女が人としての温もりを手に入れる。
そんな幸せの夢の力を、今だけ借りて。
アマノガ・ルリは繋がれた両手を放すと、展望台をひとり後にした。
1.
第四次月防衛戦。
月は地球連合にとって地球外で最大の経済圏であり、木連、木星系ガリレオ衛星群反地球連合共同体にとっては建国の聖地である。
従来の防衛戦では、木星勢力が遮二無二に投入する戦力を航空宇宙軍月軌道艦隊が遠地球圏、地球=月圏から100万キロのエリア、で迎撃し、残存戦力に対しエステバリス、オンシジューム、ラケナリアによる近接戦、そして、最終的に砲戦でけりをつけるのが常道だった。
しかし、木連軍の無人艦隊機動は急速な変化を遂げていた。
おそらくは、火星での敗戦が衝撃だったのだろう。
単純な力業ではなく、空間を利用した無人艦配置により、航空宇宙軍月軌道艦隊の堅い場所を回避し、柔らかな内腹を喰らう艦隊配置が目立っていた。
航空宇宙軍月軌道艦隊の主力艦が相転移機関への換装を終えた事も理由のひとつだろう。
共に同じ古代火星人の遺跡から発掘された相転移機関を利用しているとはいえ、地球連合航空宇宙軍と木連軍とではその生産工程に違いがある。
木連軍はプラント、古代火星人が木星近傍の衛星軌道上に配置した金色の城から生産される相転移エンジンをブロック化した船殻に組み合わせることで造艦されているのに対し、航空宇宙軍は自らの手で再設計した相転移機関を既存の船殻に取り込む形で改装している。そのため、ブラックボックスとして、いや、それですらなく入出力の不明な機関を経験で結線している木連軍に対して、理屈はわからないながらも自らの手で再構成した回路を繋げている航空宇宙軍の艦艇とでは、機関の出力やレスポンスに大きな違いが発生していた。
ネルガル重工が生産を開始したナデシコ級では火星で発掘されたプラント製の相転移機関が使われている。ネームシップ、ナデシコが単艦で火星に向かい辿り着いたのも、この機関出力の差が大きい。
また、近年量産が始まったアルテミス級重装砲艦、制式名称はネームシップである『リアトリス』からリアトリス級巡航艦と呼ばれる、の配備により、月軌道艦隊は砲戦能力での優位を手にいれていた。
そのため、地球・木連間の戦闘は個艦性能に勝る航空宇宙軍と数で押す木連軍という構図が定式化されていた。
航空宇宙軍月軌道艦隊はグラジオラス級戦闘艦を中核に三個艦隊を投入していた。
グラジオラス級航宙戦闘艦は二機の核融合炉を主機とし、月軌道防衛のために重要とされた『脚を止めての殴りあい』に勝てる艦として設計建造された。
しかし、この艦が想定した惑星間巡航艦との遭遇戦は、ディストーション・フィールドとグラビティ・ブラストで武装した木星勢力との間に発生することはなかった。第一次火星会戦の戦訓から艦首の大口径レーザー砲も急遽、多連装レールガンに換装し、月軌道の治安維持活動を行ってきた。厳密に言うならば、護衛艦として運用するには大きすぎ、戦闘艦として投入するには船脚(巡航加速能力)が遅すぎるため、干されていたと表現するのが正しい。
そのグラジオラス級戦闘艦が再度見直されたのは、相転移機関の改装対象としてであった。
惑星間空間での砲撃戦で火力を集中するため、艦首にまとめられた多連装重力波砲。船舷に張られた装甲やバルジをはぎとって設置されたディストーション・ブレード。そして、艦を輪切りにして機関を丸ごと置きかえた相転移エンジン。
まったく新造するよりは安い。
そう言われながら行われた近代化改装は、意外にも良好な成果を上げることとなった。もとより、設計に余裕を持った造りになっていたことが良い結果に繋がったのだろう。旧世代の展示品は一転、木星勢力と唯一正面から殴りあえる戦闘艦に生まれ変わっていた。
航空宇宙軍はその好評価に、残存する7隻のグラジオラス級を月軌道艦隊に転属させ、近代化改装した上で配備を完了した。
第四次月防衛戦に投入されたのは、その内の六隻。稼動艦の全てがこの戦いに参加していた。
航空宇宙軍月軌道艦隊第一戦隊はグラジオラス級戦闘艦四隻で編成されていた。随伴する二個駆逐戦隊と共に木星勢力との正面戦闘で敵主力艦を打破するための集中運用だ。
その第一戦隊の目の前で、友軍艦隊が壊滅しようとしていた。
機動兵器を運用する軽空母がまた一隻、炎を吹き上げ爆散する。周囲に瞬く煌めきは敵か味方のいずれかが姿を消す痕跡だ。
その向こうには依然、無人機動兵器を吐き出しつづける敵性母艦の姿があった。
「クソッ!!」
また一隻、真空の宇宙に大量の空気を吐き出し、炎を巻き上げる艦が出る。あのシルエットは直援につけていたコルベットだ。母艦を守るために無人兵器を引きつけ、耐えきれずに破壊されてしまったのだろう。
「クソッ、クソッ!!」
怒りに握り締めた拳が震える。
油断だった。
正面に展開する無人戦艦群。整然と迫る戦艦を前にグラジオラス級の全てが誘引されてしまっていた。砲戦で傷付くようなことがないように随伴の軽空母とを分離し、戦闘挺団を組んだ時だった。それまで眠り続けていた木星勢力の無人機動兵器が空母を含む戦隊に襲いかかったのは。
正面の無人戦艦群が囮だと気がついたときには、すでにグラジオラス級や砲戦可能な艦船は木星勢力との交戦を開始していた。母艦を救援しようにも、正面に展開する無人戦艦群を放置するわけに行かない。敵無人戦艦群は航空宇宙軍が艦艇を分離しようとすると攻め、逆に一気に蹴りをつけようと戦隊が前進すれば下がる。そうして、最大の打撃力であるグラジオラス級を拘束し続けていた。
最大の脅威を無人戦艦群で吸収し、その隙に機動兵器でもって防宙能力を排除する。
木星勢力がこのような戦術を使ってくるとは思っても見なかった。
「敵性母艦に重力波反応確認! ヤンマ級以上の戦闘艦、来ます!!」
それは絶望的な知らせだった。
火星での戦闘で、木星勢力が自軍部隊にも容赦なく砲火を向けることはわかっていた。ここで無人戦艦が投入されると、無人機動兵器に拘束されている母艦が一気に殲滅されてしまうことになる。
決断は、今。
「来るなら来い! トリスティスに本艦に続くよう連絡を! 本艦を、グラジオラスをぶつけてでも・・・」
血路を切り開く。
ウィンドウの向こうに見える敵性母艦が裏返るかのように大きくゲートを開く。
グラジオラス級戦闘艦2隻が砲戦の戦列から離れようとする姿に気がついたのだろう。木星勢力の無人戦艦群から激しい砲火が旗艦グラジオラスと僚艦トリスティスに集中した。激しい砲火にディストーション・ブレードが捩れ、艦を揺動する。
「駄目です。敵戦艦、実体化します!」
悲鳴にも似た叫びで、観測員が声を上げた。
敵性母艦のゲートに光が奔る。
「ん?」「重力波さらに増大」
しかし、その輝きは奇妙なことに敵性母艦の端々をなぞった。そして、まるで中から無理矢理こじ開けられるかのように敵性母艦のゲートが大きく内側から押し上げられる。
爆発。
無理矢理内側から押し広げられた敵性母艦が限界に耐えきれず弾け飛んだ。
その中から、一隻の戦闘艦が姿を現す。
白い艦体の所々が煤け戦闘直後のような気配を漂わせながらも、なお『彼女』の姿は美しく見えた。
前進する。
敵性母艦の破片をディストーション・フィールドで吹き飛ばし、『彼女』は全身を露わにした。艦中央には、花びらをアレンジしたマークが誇らしげに輝く。
「まさか、あれは?」
「IFF照合。出現した戦闘艦は地球連合ネルガル重工所属ND−001ナデシコです!」
「「「「「ナデシコ!」」」」」
2.
「外惑星動乱後の太陽系社会の変容とその戦後復興計画 改定第八版」<<極秘>>
地球連合航空宇宙軍中枢ネットワークは現在の進行中の木星系ガリレオ衛星群反地球連合共同体(以後、通称「木連」と呼称する)との外惑星動乱を次のように認識している。
今回の動乱の直接的な原因は、木連の領土的野心と航空宇宙軍による外惑星系開拓の衝突に端を発するものである。
人口の増加に伴う社会基盤整備に失敗した木連は、すでに社会基盤の整備を終了し本格入植段階に入った火星を奪取することで、人口増加と経済的不況を解決しようと試みている。地球=月圏に対する攻勢は火星を確保するための予防攻撃としての側面が強い。
木連は火星に対する統治権を確立するべく、内惑星系に展開する航空宇宙軍戦力を火星に誘引。主戦闘艦艇を殲滅することで内惑星系における制宙圏を確保した。そして、航空宇宙軍の主要生産源である地球=月圏に対し、戦力回復を吸収するべく攻勢に出た。
月の占領は地球=月圏に策源地を確保することで航空宇宙軍の軍事作戦をコントロールする試みである。また、彼ら自身が築き上げた建国神話に基づく国民への成功のアピールと言える。
木連のこれらの動きは、本来、豊富な資源・自動機械を保持しているはずの彼らが、適切な社会開発に失敗した事実の証明である。
彼らは人口増加による社会不安をフロンティア開発に誘導することなく、既存の開発済み地域を強奪する方策で解決することを選択した。ここから彼らには新規に生産地を開発する能力が欠けていると判断される。
現状の戦況において木連側の満足する休戦を迎えた場合、火星への植民は失敗を迎える可能性が高い。
なぜなら、惑星改造の技術的蓄積がない彼らには、地球化改造が施された惑星をメンテナンスすることが困難となることが想定される。(グラフ「ナノマシン生存期間」参照)その時、木連ははたして地球=月圏に地球化改造技術の協力を求めるだろうか。それよりも、ひとたび味をしめた軍事的冒険に打ってくる可能性が高い。その標的は彼らの技術的欠落を埋められる場所、すなわち、地球の割譲となる。
ゆえに、現状における木連との講和は無意味であり、将来の禍根となることは間違いない。
この戦争の終結はひとえに地球連合がどこまでの流血に耐えることができるかにかかっている。
地球=月圏ではナデシコ級戦闘艦の出現で個艦性能の優越を実現した。また、エンディミオン級巡航艦の登場により戦隊単位での優位を実現した。
現在の航空宇宙軍は木連軍から太陽系の制宙覇権を奪い取る能力がある。木連軍の軍事思想は沿岸海軍のそれであり、ボソン・ジャンプという例外を除いて広範囲な作戦能力を持たない。
この状況で木連軍との休戦は本動乱によって急速に拡大した太陽系社会に軍事的空白を生じさせることとなる。そのような事態が発生した場合、太陽系は群雄割拠の時代を迎えるだろう。
地球連合、木連が正面対峙を続ける間に、資本の離脱の影響を真っ先に受ける辺境が脱落し、地域勢力の勃興を招く。(この点に関しては「火星の独立運動」を参照)正面対峙する力を持たない地域勢力は地球連合、木連の側面をゲリラ戦術で侵食し、正面対峙を維持できなくなった側が分裂、解体され、再び、地域勢力として編成、残った勢力は長期の対峙に経済的に疲弊し、太陽系は新たな統合政体の誕生を待つまで、長きにわたる混迷と争乱の時代を迎えることとなる。
ゆえに、カルタゴは滅ぼさなければならない。
木連は誕生の過程から地球=月圏に過剰なコンプレックスを抱いており、その開発方向は地球への郷愁を含んだ内向きなものである。木連の政治的主導権を認めることは、人類の版図の拡張に逆行し、内・外惑星の社会的閉塞感をもたらす。
地球連合にとっての戦争終結点は、太陽系の制宙覇権の確立である。
外惑星系を開発する意思を持たない木連から、土星、天王星、海王星にいたる外惑星航路の支配権を奪い、オールト雲から外宇宙へ、恒星間社会への飛躍を遂げる星間航路の確立が地球連合の戦争目的となる。
木星系は外惑星開発の拠点となる場所であり、その社会的安定は人類が活動拠点を恒星間に広げようとしている今、後方支援基地として欠かすことができない。
木連を解体、ないし、安全な惑星国家として地球連合に吸収するためには、木連軍の徹底的な惑星間作戦能力の剥奪と、太陽系社会の不安定要素となる『プラント』の排除が必要となる。
太古種族の遺産である『プラント』は太陽系経済にとって収奪的な側面を持つ。
無人機械による膨大な単純労働力は『プラント』を占有するものによる経済破壊をもたらす。21世紀に顕著となった生産設備のユニット化、リロケータブル化が先進国による富の格差を固定化させ、世界的な労働力過剰とそれに基づくデフレーションを引き起こしたように、『プラント』は生産する物品の価格破壊を引き起こし、社会不安の要因となる。無人機械の輸出を許可するだけでも、現在、単純労働に従事する人々の失業、そして、仕事を奪う機械に対する不安からフランケンシュタイン・シンドロームを巻き起こす。
木連社会では『プラント』の生産物を国家統制することで、社会保障の充実を行っている。これにより、アテナイのごとき機械による奴隷制民主主義を実現している。しかし、木連が太陽系社会に復帰しても、『プラント』の生産力を全ての太陽系社会に提供できるわけではない。『プラント』の膨大な無償の生産力を戦略的に投入することによって、太陽系中の生産拠点を破綻させ、地域経済を破壊し尽くし、木連による独占階層を形成する恐れがある。
このような経済的破綻を避けるために、木連が太陽系社会に復帰する前に『プラント』の及ぼす経済波及効果を最小限に留めなければならない。太陽系社会の健全な拡張には、労働者の単価を減少させる無尽の工場など害悪でしかない。
このためには『プラント』の奪取は絶対であり、それが困難である場合には、航空宇宙軍が所持するありとあらゆる攻撃手段、これには反物質兵器の限定的な使用も含む、を投入して破壊、ないし、無力化を実現しなければならない。
戦後の木連社会は・・・(後略)
あるXION上のログより
[ジョーイ]>とは言っても木星は遠いよ。
[ジョーイ]>デリバリーにいくらかかると思ってるんだ?
[ユッスー]>諦めたらそこで終わりだろ。ハローワークに並びたくなかったら、連中のおもちゃを取り上げるしかないんだ。
[ジョーイ]>俺さぁ、昔、将来はロボットが仕事してくれて働かなくてもよくなるって信じてたんだぜ?
[ユッスー]>そんな十九世紀のユートピア、あるわけないだろ。
[ユッスー]>儲かるのは、ロボットを持っている資本家だけ。コストのかかる上に文句を言う人間なんて。真っ先にお払い箱さ。
[ジョーイ]>増税はしたくないんだよ。
[ユッスー]>金で命が買えるなら安いもんだ。兵隊だって有権者だぞ。
[ユッスー]>あなたたちの命を守るために増税しましたとでも言えば、家族が喜んで票田になってくれる。
[ジョーイ]>その代わりにちょっくら木星まで反物質ぶち込んでこい(AA略)ってか?
[ユッスー]>言えばやってくれるさ。まぁ、玉はいっぱい使うだろうが。
[チャック]>おいおい、こっちの持ち玉だって有限だ。赤紙張る気か?
[ユッスー]>陸と違ってストリートのガキにチャカ渡して突っ込んでこいじゃ済まねぇよ!
[グロウリア]>それなら火星の彼らにお使いを頼んではどうかしら?
[ジョーイ]>それだ!
[ユッスー]>それだ!
[チャック]>その発送はなかった。
[ユッスー]>誰が巧いこと(ry
3.
フェイエン・ノールの耳に装着された通信機に、コールが入る。
時計に目を落とす。時間だった。
フェイエンは囁くように問いかけた。
「各班、状況知らせ」
『シルバー・フォックス、配置完了』『グレイ・ハウンド、準備はオッケーです』『シュガー・コーン、待機中』『キャンディ・ストア、待機中』
フェイエンは聞こえないよう深く溜息をついた。
「了解。客を迎える。以後、通信封鎖。電子戦に備えろ」『『『『了解』』』』
フェイエンは脇の下の銃を意識すると、客を迎えるためにエレベータ・ホールへ向かう。彼女を支援するために、すぐ横にアニー・ウィルキンズ准尉が少し拗ねたように歩く。
父親に無理矢理軍に放り込まれたお嬢様の不満そうな表情に、フェイエンは苦笑した。
「そんなに不満か?」「はい。当然です」
歯に布を着せず、アニーは腰の拳銃を収まりが悪そうに直す。
「私はこんなことしたくて軍隊にいる訳じゃありませんから」「・・・」
フェイエンは肩をすくめる。任務の秘匿上、第177特務大隊を配置しているが、誰もが不満に思っていることは容易に想像できた。フェイエン自身も納得しているわけではない。ただ、必要だから部隊を動かしていた。
「そうだな。正しいことだけで生きていけるなら、きっとそれは幸せなのだろうな」「・・・」
フェイエンは頭を振って考えを押しのけた。
キンと言う音と共に、エレベータが止まる。アニーはエレベータ横側に無言で立った。
扉が開く。
フェイエンは中の二人の人物に大きく手を開いた。アニーが扉に手を当てる。
「お待ちしておりました。こちらへ」
「わかった」
テンカワ・アキトの乗る車椅子がイネス・フレサンジュに押されて、ホールに現れた。
ちらりと、テンカワ・アキトの首が左右に振れる。おそらくは、気がついたのだろう。この周辺に配置されている兵に。
しかし、なにも問いかけることはない。
フェイエンは心の中でもう一度溜息をついて、大統領執務室のドアを叩いた。
「大統領閣下、テンカワ・アキト氏をお連れいたしました」
ササハラ・イオリは受け取った申し出に驚きを隠せなかった。急いで四方に連絡を取り、ようやく捕まえたヤシマ・マゴロクに訊ねる。
「ちょっと、テンカワ・アキトをクリムゾンに売るってどう言うことなの!?」「待ってください。その話ってどこから出たものです?」
ヤシマは興奮した様子のイオリを落ちつかせようと問いかける。その話しはヤシマも初耳だった。
「戦略宙軍の方で母艦航空隊への転属の打診を受けたの。新造の航宙機母艦が二隻配備されるから、その基幹部隊にジャンパー経験者が必要だって。
でも、二隻の母艦って、あのクェーサー級のことでしょ?
どこから手にいれたのかって聞いたら、エンディミオンと引き換えにクリムゾンが提供を申し出たって。
おかしいじゃない。ただのエンディミオンだったらクリムゾンにだって造れる。そうじゃないとすると、アール君もいっしょってことになるわ。でも、アール君がなによりテンカワ・アキトと離れるわけがないじゃない。
そうなると、あのクリムゾンのお嬢様のことだもの。目的はきっと逆。むしろテンカワ・アキトが主で、結果としてアール君が付いて行くって事なんじゃないかしら」
イオリがまくしたてるのをヤシマが静かに耳を傾ける。
「私たちは共犯者のはずよ。仲間を売って空母をせしめるだなんて、やってはいけないことだわ」「・・・」
ヤシマは小さくため息を付いた。確かにその話しが本当だとしたら、ジャンパーの相互監視、相互防衛という火星宙軍の前提が崩れてしまう。
火星宙軍はジャンパーを管理する。その代わりに火星宙軍はジャンパーを保護するという枠組みだ。この枠組みから、テンカワ・アキトという火星によっての功労者を取りこぼすのは、火星宙軍に対する信頼を損なうことになりかねない。
それはこの先のジャンパー管理を考えると正しい方向には思えなかった。
ヤシマは一つ肯くと電話を手にした。すぐに大統領官邸に繋げてアポイントメントを取る。
「わかりました。ガドナス大統領と相談します。それから、この件は・・・「わかってる。こんなこと誰にも話せないわ」――感謝します」
イオリが口元に人差し指を立てて肯いた。ヤシマは満足げに肯いてスーツの袖に腕を通した。
「それじゃ、行ってきます」「ええ。なにかわかったら」「伝えます」
見送りを背に、ヤシマは脚を急いだ。話が進められてしまう前に、そんな焦りを感じながら。
エマニュエル・ガドナス火星植民都市連合大統領は、来客の知らせに奥歯を強く噛みしめた。
こうして彼に合うのはただの自己満足なのかもしれない。それでも、ガドナスは彼に伝えたい、と、伝える義務があると思った。
「大統領閣下、テンカワ・アキト氏をお連れいたしました」
褐色の肌をした忠実な大統領補佐官が彼の来訪を告げ扉を開く。ガドナスは立ちあがるとデスクを回りこんだ。
車椅子を押すイネス・フレサンジュ博士が軽く目礼する。ガドナスも小さく会釈をすると、車椅子の人物に声をかけた。
「よく来てくれました。彼女たちの葬儀以来ですね」「ああ、そうだな」
テンカワ・アキトは黒いバイザーの向こうからガドナスを見つめた。
「あなたにはナノマシン摘出手術を受けてもらいたいのです」
エマニュエル・ガドナスは沈んだ声で伝える。
「アクア・クリムゾンが示したクェーサー級航宙機母艦の提供条件は『火星の後継者』の拠点を地球に、テニシアン島に移す事。具体的にはあなたをクリムゾンに引き渡すことです。アクア・クリムゾンは同志として、あなたを受けいれたいと言っておりますが・・・」「ボソン・ジャンプの研究対象にしない保障はないわね」「ええ」
ガドナスはイネス・フレサンジュの悲観的な予想を否定しない。
「もちろん、戦略宙軍はあなたにクリムゾンの悪意が向けられたとき報復を行う準備があります。しかし、それはあなたが被害にあってしまった後のことになる。我々にはあなたの受ける苦痛をせめて減らすことしかできない」
フェイエン・ノール軍務補佐官が火星宙軍としての対応を説明する。
「ましてや、火星が壊滅した場合、その歯止めもなくなる。せめてもの救いは、アクア・クリムゾンが好意的ってとこかしら」
イネスが皮肉そうな流し目をアキトにくれる。
「そうか?」
「「「・・・」」」
この朴念仁が。
首を傾げるアキトを見るみんなの想いは一つだった。
4.
生命維持と制御系をのぞく電力のほとんどをディストーション・フィールドに回した暗い艦橋で、ホシノ・ルリは瞼を開いた。
遺伝子強化体質。
IFS に代表されるナノマシンによるマン=マシン・インターフェイスを人体の許容限界を超える濃度で保持することができる遺伝子強化。それは、全身から伝達される情報流を同時に多元処理することができるだけでなく、エネルギー蓄積効率を上げ、睡眠を取らずに長時間の労働を可能としている。
世界でも成功例は数例。
実証されているのは自分だけ。
そう信じていた。
あの航空宇宙軍の少佐に会うまでは。
鋭い機械音とともに完全空調管理されているはずの艦橋に風が起きた。
艦橋に誰かが入ってきたのだ。
ルリはオペレーターのコンソールに手を当て、艦内の状態と乗員の安否を確認する。
艦内で活動しているのは、ルリ自身ともう一人、ルリと同じ遺伝子強化体質の人物だけ。ルリよりも大人な『彼女』がルリよりも先に目を覚まして艦橋に到着したことなど容易に想像がついた。
背後から近づく彼女の声が否が応でもルリの注意を引きつけた。
「まもなくナデシコは通常空間に復帰します。非常事態に備え、総員起こし。艦長不在の間の指揮は私が執ります」
彼女、アマノガ・ルリは艦長席のある最上階のステージからただ一人艦橋で起きているホシノ・ルリを見つめて、告げた。
途中、洗面所で顔を洗ってきたのだろう。パイロットスーツを着替え、白い士官服を着た彼女からはうっすらと化粧を直した跡が見える。敵性母艦突入前、あれほど取り乱した彼女の素顔はその能面のような表情からは伺えなかった。
この人が、十年後のわたし。
ルリはロングの髪をなびかせる彼女の姿を見上げた。
いったい何があったんだろう。いったい何があるんだろう?
聞きたくても聞けない。そんな疑問にルリはじっと彼女を見上げていた。
「どうかしましたか? 復唱は?」
冷ややかな金色の瞳がルリを見下ろす。
「・・・アイサー。総員起こし。艦長不在の間の指揮権をアマノガ・ルリ大尉に委ねます」『了解』『承認』『よくできました』
アマノガ・ルリ大尉が権限譲渡を確認すると、ナデシコ艦内の照明が全エリアで点灯される。
「皆さん、起きてください。おーい、やっほー」
ルリはやる気のない声で艦内に呼びかけを開始した。
5.
地球連合航空宇宙軍第七艦隊、通称「外惑星艦隊」艦隊司令ホウメイ・ゲレルは窓から覗く艤装中の艦を見つめていた。
地球‐月軌道ラグランジュ・ポイント3、月の反対側に位置する航空宇宙軍の持つ最大の泊地リンデンバウムですら、この巨艦を収容できるドックはない。クリムゾン・スペイシャル社がグループの総力を集め、他の企業体にすら頭を下げてかき集めた乾ドック――移動可能な無重力空間専用建造ドック――では、先ごろ採用が決定した新造艦が建造されている。
そして機関・船殻の建造を終え無事進宙式を迎えた量産一番艦、二番艦は、艤装委員の指揮の元、ここリンデンバウムの泊地に移動して内装や固定武装の装備を行っていた。
「提督、失礼いたします」「ああ」
ノックの音と共に、カイオウ中佐が声をかけた。ゲレルは泊地を覗く窓から目を放すと鷹揚に入室を許可する。
扉が開き、カイオウ中佐はゲレルのデスクの前に立った。
「お呼びでしょうか」「ああ。いくつか報告が入った」
ゲレルは軽くウィンドウを操作する。
「月軌道防衛に出ていた第二艦隊から連絡が入った。
ナデシコと合流したそうだ」
ゲレルの言葉にカイオウはすぐさま状況を把握していた。
「艦長以下、要員207名、欠員1。火星から引き渡された帰還希望者57名も同乗とのことだ。
艦は中破判定を受けているが、要員・帰還者共にすこぶる健康との事だ。今、ネルガルのドック艦が向かっている」
ウィンドウに映し出された状況をカイオウは急いで読み取る。
航空宇宙軍からの派遣者の名簿を確認し、カイオウはやっぱりという想いと共に、その名前を口にしていた。
「欠員は、フクベ提督ですか」「ああ。火星に残られた」「・・・」
「と、言う訳でだ。カイオウ君にはひとつお使いを頼もう」
ゲレルは軽く告げる。カイオウはその言葉を予想して肯いた。
「はい。受け賜ります」「うん」
ゲレルは苦笑した。
「君の役目は、帰還したアマノガ・ルリ大尉に会い、その人柄を確認することだ」
ゲレルはウィンドウに一人の少女の姿を映して、泊地を見下ろす窓を振りかえった。
「この太陽系最強の暴力を、振るうに足る人物であるかどうか」
視線の先には量産がなったギャラクシー級宇宙空母ギャラクティカと二番艦アンドロメダが静かに時を待っていた。
眼が醒める 記憶をすり抜けてゆく夢に そっと涙が零れる
懐かしい日々は苦しくて 今を知るほどに悲しくて
忘れてしまいたい すべてなくしてしまえたら
そんな誘惑はとても甘くて
そして、目覚めた私は忘れてしまった夢を求めて、また泣くのだ
あとがき
長らくぶりに、お久しぶりなんだけど、ちょっと悩みどころ。
構成をがらりと変えるべきだったんじゃないだろうか。何となく、これまでの荒筋みたいなものをつけるべきだったと反省。
動きがないので、正直、再開冒頭にしては駄文に過ぎた気がする。
もう少し、後の分まで煮詰めて書き直すべきだったか。いや、きっとそれではいつまでたっても再開しないだろうから、自戒を込めてリリース。