Re-Genesis
a disastrous summer
機動戦艦ナデシコ 2次小説
Author : Veneficus
間章『最悪の夏』 D Part
1.
満天の星空の中、静かに航行する一隻の輸送船があった。
30万トン級輸送船カナリーグラスは木星=火星を結ぶ最適経済航路上を小惑星帯から火星に向けて静かに航行していた。
乗員は21名。全長600メートルを越える巨大な輸送船とはいえ最適経済航路上を航行するだけなら多くても8人で足りる。しかし、この船はただの輸送船ではなかった。
「まもなく、配置予定宙域に到達します」「周辺宙域に敵影無し」
輸送船にしては異常な数の観測員が報告する。
艦長席にちょこんと座ったアジア系の黒い髪をポニー・テイルに纏めた少女が応えた。
「全天走査用意。測定修了後、方位0−4−2。爆雷発射管、1番、2番、3番、4番、機動爆雷装填。方位修正後、機動爆雷の設置を行う」
「アイサー、大将。方位修正後、爆雷装填」
少女の言葉を副長のエノラ・パーキンスが復唱した。
こよみは小さく頷く。
「加速停止。総員、固定を確認」
「爆雷発射管、固定確認」「弾薬庫、固定確認」「機関、固定確認」「観測区画、固定確認」「居住区、区画閉鎖」「CIC より、固定よし」「艦橋、固定確認」
「全区画、固定問題なしっと」
エノラが最後に確認してからこよみに頷いた。
「オッケー、いつでもいいぜ」「ふむ。艦内重力停止。全パッシブ・センサ開放」
今まで艦橋周辺にのみ張り巡らされていた人工重力が切れる。それまでシートに押しつけられていた身体が浮き上がろうとして、身体を固定していたベルトに受け止められるのを感じた。そして、空気が固体化したような重さを感じる艦橋に微かな振動が響いた。
「重力子増強管展開完了」「重力波センサ、展開開始」「本艦、回転を開始します」
輸送艦が感じないほどのゆっくりした回転を始める。その遠心力を利用して、初期加速したセンサの腕が自重で展開していく。
「センサ・セット展開終了」
「全天走査を開始。総員、二時間の半舷休息。エノラ、ローテーションは任せる」「あいよ」
全天走査中は余分な雑音を出さないために、艦の機能はほぼ休止される。こよみは休息を指示すると、全天走査で検出しているデータをウィンドウを開いて表示させた。
「うし。許可をくれい」「ん。ああ、いいだろう」
エノラが開いたウィンドウを一瞥する。その情報はすぐさま艦内各員に転送された。
艦橋にいた乗組員の半数近くがこよみたちに一礼をすると艦橋を出て行く。
それを見送って、エノラはほぼ無重力に等しい艦橋の中で器用に肘をついた。
「まぁ、なんとかおおむね配置は終わった感じだな」「ああ」
ほぼ、小惑星帯での設置作業を終え、輸送艦は航路の出口付近での設置作業を行っていた。破片などとの衝突で危険宙域を突破してきた艦艇がほっと一息つくタイミングで背後となる小惑星帯側から火星方面に攻撃を仕掛ける配置だ。
木連軍の火星派遣艦隊と入れ替わるように小惑星帯までボソン・ジャンプした輸送艦は、そこに大量の機動爆雷と索敵センサを配置していた。そのために、火星宙軍はいままでクリムゾン・グループから受け取った機動爆雷、固定式機雷の全てを投入している。もちろん、機雷をただばらまくだけでは航路を封鎖できるわけではないので、これからも早期警戒網などの継続的なメンテナンスが必要ではあるが。
「あとは定点警戒線と嫌がらせの爆雷を配置して帰るだけ。気楽なもんだ」
「やっかい事は押しつけたからな。あとは奴らの仕事だ」
感慨深げにこよみが呟いた。そんなこよみの横顔をエノラが見上げた。
「そういえばよ。ずっと気になってたんだけど、大将、どうしてそこまで火星に肩入れすんの?」「む?」
その言葉にこよみは心外そうに首を傾げた。
「別に火星に肩入れしているつもりはない。ただ、興味があっただけだ。ボソン・ジャンプというテクノロジーが人類の行く末にどのような影響を与えるか、と言うことに」
こよみはそっと虚空に目を向ける。
「そう。ずっと観察していた。いろいろと試してきた。そして結論づけた。
ジャンパーは人類の進化の行く先ではない。
ボソン・ジャンプ、その演算装置。制御された時空間移動。人類の時空間認識能力の拡大を期待したものだったが、なんにせよ劇的にどうにかなるというものでもないようだな」「へぇ」
エノラがこよみの言葉に感心したような声を上げた。
「なんだ?」「いやぁ、ちゃんと仕事してたんだなってよ」「当然だ」
こよみが拗ねたように頬を膨らませる。
「私がなんで火星に荷担していると思う。別に、情が移ったとか、危なっかしくて見てられんとか、そんな感情的な理由ではないぞ。ボソン・ジャンプという時空間への認識の跳躍を手に入れた人類が、どのような認識能力の拡大を示すのかを調査するためにだな、最もボソン・ジャンプを有効に観測できる場所にいただけだ」「へぇ・・・」
エノラが何かもの言いたげにこよみを見上げた。
「俺ぁてっきり伊達と酔狂で遊んでるのかと」「んなわけ、あるか!」
うがーっとこよみが声を荒げた。
「人類の行く末は常に航空宇宙軍の最重要テーマだ。
時間と空間に対する認識において人が受ける精神的拡張はどのような方向性を得るのか。端的に言えば、ジャンパーにとって距離と時間はどのようなものと把握されるのか。そして、認識のズレはジャンパーとそうでない者との間にどのような軋轢を発生させるのか。
それを観測するために、多少の無理は必要さ」「人類の進化ねぇ。話がでかすぎね?」
こよみがくっと唇を曲げて笑ってみせる。しかし、正直全然迫力がなかった。エノラはあえて指摘せずに肩をすくめ、ぽんとこよみの頭にその大きな手を置いた。
「まぁ、それでもいいんだわ。俺たちは助けることができた。俺にはそれで十分」「・・・」
こよみは何か言いたそうにエノラの顔を見上げる。
そして、ぼそっと呟いた。
「お前、今、死亡フラグが立ったぞ」「え、まじっ!」
2.
作戦は第二段階へと移行した。
第二次火星会戦において火星圏の完全な制宙圏を手にいれた火星宙軍は、残存艦を集結した。
第二次火星会戦での火星宙軍の損害は、特設砲艦パエトーン中破、跳躍誘導艦マルシュアス小破、航宙機41機損失となる。航宙機の被害の大半は無人機であり、また、有人機でもジャンパーの多くは自力で帰還を果たしていたが、それでも母艦航空隊の構成員の四分の1が未帰還となっていた。
航宙機の損害の大半は敵ヤンマ級突撃艦やカトンボ級駆逐艦などの小型艦で編成された駆逐戦隊との交戦によるものであり、無人艦の敵味方を問わない砲撃に巻きこまれたものであった。
先のマリネリス市防衛戦でも顕著だったが、木連軍の対機動兵器戦術は、その無尽蔵の生産能力を活かした無差別攻撃であり、多少の被害を吸収してでも敵を殲滅するという過酷な意思に基づいている。
このままでは、遠からず火星宙軍の航宙機戦力は壊滅する。
火星宙軍は木連軍の戦術に対抗する新たな戦争遂行手段を必要としていた。
だが、第二段階作戦はそのような手段の開発を待てなかった。
火星全土の奪還。その実現は火星圏の制宙圏を掌握した今だけが最後のチャンスだった。
作戦の趣旨は明快だ。
火星上に展開する1000近い敵性母艦を掃討する。
エンディミオン級作戦母艦エンディミオンと跳躍誘導艦アスクレピオスで編成された触接艦がチューリップに接近。迎撃に出現する無人艦をシステム制圧したところを、上空から特設砲艦アクタイオンによって対地砲撃を行うというものだ。
当初、作戦は簡単だった。
無造作にかたまるチューリップは護衛艦隊を無力化されることであっさりと撃破されていく。無人艦が出てこようにも、出現初期に制圧されてしまっては艦隊を出現させることができず、後続の艦が衝突してなにもしないうちに爆発してしまうものもあった。また、最初から艦艇を展開しているチューリップも、数十隻の単位ではオモイカネ・アールに対抗できることもなく、逆に火星に展開する艦をまとめて撃破させる機会を増やすばかりだった。
小破判定を受けたマルシュアスが戦線に復帰し、作戦中期にさしかかったとき、木連軍による最大の反攻が行われた。
20を越える大型敵性母艦による電子戦に対する飽和攻撃、艦艇の全てをヤンマやカトンボで編成した800隻もの艦による一大迎撃作戦である。
この不意の反攻に火星宙軍第一戦隊所属跳躍誘導艦アスクレピオスが撃沈。作戦母艦エンディミオンも中破するほどの被害を受け、火星宙軍は慌てて退却することとなった。
報復は宇宙からなされた。
エンディミオンと仮設航空航宙機運搬艦四隻によって行われた再度の攻撃は、再び、木連軍のチューリップによる飽和攻撃を受けることとなった。
しかし、今度は違った。
火星宙軍は地球圏に転移されクリムゾンの造船所で修理を受けていたパエトーンを戦線に復帰させ、アクタイオンと共に特設砲艦二隻による宙対地攻撃で対抗したのだ。
オニヤンマ級大型戦艦を配置していなかった木連軍無人艦群は宇宙からの攻撃を防ぎきることができず、砲力の差で押しきられることとなる。
木連軍による大規模な迎撃作戦はこれが最後となった。
だが、このアルカディア湾海戦以後、木連軍はチューリップの機動運用を開始する。木連軍はそれまで通信傍受によってたやすく位置を暴露していたチューリップの通信を厳重に封鎖し、無人艦を運用していた。
この手法には火星宙軍も困惑することとなる。十分な対地監視衛星をもたないため、火星宙軍はエンディミオンを宇宙に上げ、代わりに地上ではアクタイオン、パエトーンの二隻による戦隊を編成した。これはエンディミオンによる対地監視の下、砲力に優越した戦闘を繰り広げようと試みだ。
だが、大気圏中での砲戦においてオニヤンマ級大型戦艦に対抗することができず、ここに火星宙軍は最大の損害を蒙ることとなる。
パエトーンの喪失、アクタイオンは中破と、本来、木連軍火星派遣艦隊との決戦に備えて保持しなければならなかった最大の打撃戦力を失ってしまったのだ。
幸い、パエトーンは要員の大半をボソン・ジャンプによって退避させており人員の被害こそ少なかったが、開戦初期からの殊勲艦であるパエトーンの喪失は関係者に衝撃を与えた。
また、エンディミオンが修理・改装のためにドック入りする必要が出たため、火星宙軍の投入可能艦艇はマルシュアスただ一艦となってしまっていた。
作戦を中断するか。
火星宙軍統合作戦本部はその可能性も考えずにいられなかった。
火星宙軍の継戦能力は限界に達している。数少ない艦艇、そして、それ以上に限りある人材をここまで騙し騙しやり繰りしてきた。
ここにクリムゾンから支援の手が伸びた。
アクア・クリムゾンは航空宇宙軍外宇宙艦隊向けに量産を開始した、アルテミス級巡航艦二隻を火星宙軍に貸与したのだ。しかも、人員込みで。
同じくエンディミオン級中枢艦を祖とするアルテミス級巡航艦は、火星宙軍の艦艇のようにボソン・ジャンプを前提とした設計ではないものの、砲艦として特化したその火力はナデシコ級を優越し、火星でのチューリップ掃討には十分な能力を持っている。そして、投入された人員は地球連合航空宇宙軍第四艦隊からの派遣。つまり、将来、航空宇宙軍外惑星艦隊に所属する艦隊からの分派だった。
航空宇宙軍は艦隊戦に投入しないことを条件に、火星宙軍への航空宇宙軍外惑星艦隊から正規戦闘艦、および、補助艦艇を分派、派遣することを決定していた。
作戦は続行する。どれほどの犠牲を払っても。
それが、この外惑星動乱勃発以来初めて地球圏から直接的支援を受けた火星宙軍の、そして、火星植民都市連合の決断だった。
正直、火星宙軍にとっては航空宇宙軍が決断した補助艦艇の派遣が何よりも重要だった。
これまで火星ではエンディミオンによる管制、すなわち、オモイカネ・アールに頼りきりで、わずかに通信傍受用の施設が稼働している程度だ。それがエンディミオンの改装中はわずかな対地監視衛星と通信傍受のみが頼りとなってしまう。
だが、航空宇宙軍の通信隊が火星にまで進出すれば状況は一挙に改善する。
デイモス軌道上に航空宇宙軍の指揮機能施設を建設し、低軌道上に航宙機母艦を展開、チューリップの活動を察知した段階で宙対地攻撃、あるいは、コレオプテールを投入してチューリップに対する降下強襲攻撃を行うことが可能だ。これまでのように火星宙軍の艦艇をチューリップに接近させる必要がなくなる。
航空宇宙軍も正面戦力を供出するよりは、火星戦での通信管制を提供することで火星宙軍の木連との戦闘データを直接取得することができる。
双方にとっての好条件から、将来的に指揮統制を共同で行う合同司令部の設置も念頭に置いた、通信施設の建設が決定した矢先のことだった。
ドックを出たばかりのアクタイオンが爆沈した。
艦長グレッグ・カニンガムを含む、六八名がその爆発に巻き込まれて死亡している。
原因は多連装重力波砲の取り付け部分の接合不良によるエネルギー・トラブルと判明。新規に受領したイカロスとアドニスの改装作業を行うために、中破したアクタイオンを一刻も早くと修理した結果の事故だった。
「時々、いつまで戦い続ければいいのか不安になるわ」
ササハラ・イオリがぽつりと呟いた。
グレッグ・カニンガムの葬儀には、『火星の後継者』結成以前からの仲間たちも参列していた。特に、こよみやエノラ・パーキンス、ヤシマ・マゴロクたちは海難救助時代からのつきあいだ。陽気にまとめ役を引き受けてくれるグレッグにどれほど世話になったことか。
その言葉は深く、その場にいるものたちの視線がイオリに集まる。イオリは慌てて手を振った。
「あ、別に戦うのが怖いとか、嫌だとか言ってるわけじゃ・・・ごめん、嘘。戦うのは嫌だし怖い。でも、戦えない訳じゃない。
ただ、こうして戦って、次の戦いを戦って、また、その次の戦いを見つめていると、すごく不安になるの。
いつまでって」
口ごもる。いつも勝ち気なイオリからも弱音が零れるほど、グレッグの戦死は堪えていた。
「まずは、火星での戦闘を終わらせる。そうすれば、あとは航空宇宙軍と木連軍、2大パワーのぶつかり合いとなる。火星宙軍が主軸となる戦いは、もうじき終わる。戦争はまだ続くがな」
「そんなことじゃ、私が言いたいのは、そんなことじゃないの!」
こよみの言葉をイオリが遮った。イオリは自分が言いたいことを表現できずに頭を掻いた。
「ごめん。私、帰るわ」「あ、いおちゃん」
どうしていいのかわからず、イオリは首を振って立ち去る。そのあとを、梨花が一度振り向いてぺこりと一礼すると慌てて追いかけた。
その背を見送ってエノラ・パーキンスが腕を組んだ。
「かなりキテるんじぇね?」「まぁな」
こよみが頷く。
「気が緩んでいたのだろう」
テンカワ・アキトが答えた。
「戦いの果てがようやく見えた。生き残るための目処もついた。なんとかできる。そう信じた。
そんなときに、この事故だ。これまでに失われたものを思い出し、そして、払った対価に、立ち止まってしまったのだろう。だからこそ、グレッグの死が堪えたんだろうな。心の弱さは守れん、か」
アキトは思い出す。隻眼の男の言葉を。
そんな物思いに沈むアキトをこよみが見上げた。
「なんだ?」
そのもの問いた気な、言いよどむかのような表情に、アキトは疑問に思った。少女らしくない。
「なぁ、テンカワ・アキト」
にじみ出る迷い。
「この戦いが終わったら、手術を受けないか?」
「手術?」「ああ」
こよみはアキトを見つめて頷いた。
「このままでは、お前の身体はケリがつくまで保たない。いや、この戦いですらいきなり倒れる危険性があるからな。お前は留守番だ。だが、それじゃあ、根本的な解決にはならない。お前は、この戦いの結末を見ることができない」
「だからか?」
アキトは問う。手術を受けろという少女に、アキトは少し違和感を感じていた。あまりにも急ぎすぎる。
「ああ。もう、我々が火星に手を貸す必要はない。グレッグさんの死は単なる一個人の死じゃない。我々『火星の後継者』が火星政府と同一だった蜜月の終焉でもある」「・・・」
火星はもう彼らの手を必要としていない。
こよみはそう告げていた。
確かに火星は自身の独自の政府を整備し、内政、外交を行える行政能力を手にしていた。軍事においても、かつての都市警備隊は続く戦乱の中で火星宙軍、戦略宙軍に姿を変え、惑星間戦闘艦クラスの軍用艦を運用するに至っている。防空能力も格段に跳ね上がり、チグリフォーン32型の量産を開始、また、コレオプテールもこれまでの戦訓を組み込んだV型の開発が始まった。ここに現在開発中の無人戦闘/攻撃機クラ・カナールが配備されば、木連の無人戦艦群に引けを取ることはない。また、これまでクリムゾン財団が主体となって行っていた火星支援も、地球連合政府、そして、航空宇宙軍によるものに移り変わりつつある。
彼ら『火星の後継者』はその役目を終えた。
それは彼らと現在の火星政府との共通認識であると言えるだろう。
「我々の為すべき仕事は終わった。あとは、彼らに任せればいい」「だから、ナノマシンの切除手術を受けろと言うのか?」
「ああ。私やお前はもう火星にとって用済みなんだ。だから、もういい。お前が命を削ってまで戦う必要はない。あとは少し離れた場所からゆっくりと見守ってやれ。お前が守った人たちの自らの行く末を」
アキトは深く目を瞑る。
少女の言うことは確かなのだろう。テンカワ・アキトが個人として火星のためにできることはもう多くない。あとは、機動兵器のパイロットかせいぜい戦闘艦の艦長か。それとて、長期の緊張を必要とする任務にテンカワ・アキトの身体が耐えられない。かなり、限定した局面でなければ、アキトに出番はなかった。
だが、頭でわかるのと、決断できるかどうかは別だ。
たぶん、俺は弱い。
アキトは思う。
自分の果たしてきた役割が終わってしまったことはわかる。アキトがこの世界に関わって1年半。歴史はずいぶんと変わっていった。その中で自分がどんな役割を果たしてきたかと言えば、よくわからない。思えば大したことはやってこなかったようにも思う。
とはいえ、手を離してしまうことは怖かった。
守りたかったすべてが、この手から零れていってしまうのではないか。築き上げてきたものが失われてしまうのではないか。
それを少女は手を放せという。
ああ、少女の正しさはよくわかっている。だが、簡単に受け入れられるものではなかった。
「少し、時間をくれ」
絞り出す言葉にこよみが頷く。
「たぶん、あまり時間はないぞ」
3.
木星系ガリレオ衛星群反地球連合共同体、通称、木連のヴァルハラ市にある木連軍作戦本部は、一つの重大な事実を付きつけられていた。
火星失陥。
火星軍の機動兵器と戦闘艦による第二次火星会戦での敗北は火星制宙圏の喪失を招き、亜宇宙からの対地攻撃によって、火星に配置した時空転移門が破壊されるという事態となっていた。
もちろん、木連軍無人艦隊群司令部も可能な限りの対応をしてきた。しかし、火星軍は木連軍に優越する電子戦能力で無人艦を無力化すると、まず、戦闘中枢たる時空転移門を破壊、その後、木連軍の指揮統制下に無くなった無人艦を次々と破壊していた。
二度に渡る大規模な撃滅戦も、敵残存戦力の壊滅という戦略目的を実現できず、戦術的な勝利を残しては後退を余儀なくされていた。
現在では、火星の海洋に100ばかりの時空転移門を休眠状態のまま潜ませているばかりである。
いくつかの時空転移門を活動化させ、海上で戦力を展開したこともあったが、ただちに亜宇宙圏から降下して来た火星軍の機動兵器の迎撃に合い、貴重な残存戦力を撃破されてしまうため、現在では活動を停止させている。
すでに無人艦隊群火星方面司令、および、その統括責任者である無人艦隊群司令は更迭された。
火星は木連にとって堅持するべき拠点である。本格的な地球圏への攻勢を強めようと、優人部隊の先遣隊を派遣した矢先でこれでは、司令部の前進などできようはずも無い。
しかし、それよりも重要な問題があった。そう、火星派遣艦隊をどうするかである。
火星戦線において無人艦群は無力化された。このまま、火星派遣艦隊を前進させた場合、悲劇的な事態が発生するのではないか。
そんな悲観が作戦司令部にあった。
「現在判明した火星軍の残存戦力は、エンディミオン級電子戦艦1、エンディミオン級巡航戦艦1、アルテミス級重砲撃戦艦2、そして、パーム級改装航宙機母艦2、となります。航宙機に関しましては、機動戦闘機チグリフォーンが約200、戦闘攻撃機コレオプテールが二個航宙隊50機前後であると判断しております」
木連軍中将草壁春樹は火星軍の戦力評価に耳を傾ける。その数は、むしろ開戦前よりも着実に増えているようだった。
「火星軍の戦力は以前に比べて増強されているように見えるが、これはどういうことか?」
草壁が疑問を投げた。
直立不動で報告をする士官が大きく返事をした。
「はい。火星圏の制宙圏が奪還されたために、航空宇宙軍による支援が行われた模様です。
火星軍が戦前保持していた5隻の巡航艦のうち、三隻の撃沈を確認しております。追加された二隻の重砲戦艦は航空宇宙軍第四艦隊から派遣されたものであることが判明しております。また、敵機動兵器も六割が無人機であり、航宙機戦力の撃滅には成功しつつあります。
現在の苦境は初期の戦力見積もりの甘さによるものではないかと思われます」「ふむ」
目の前に配られた冊子をめくる。
戦力評価では初期には問題視していなかった機動兵器の数が倍以上に修正されている。そのほとんどが無人機だ。また、あの戦術核を使う戦闘攻撃機は実験航空隊が存在するだけと見込んでいたが、正規な部隊が配備されているとは思われていなかった。
「当方の虫型戦闘機械がこれら火星の機動兵器に対して無力だったことも一因といえましょう。
本来ならば敵方の機動兵器の足止めを行い友軍艦を守ることが艦隊随伴機動兵器の果たすべき使命でありましたが、多少の足止めになるかどうかで、容易に敵機の接近を許し、みすみす友軍艦を撃破されることとなりました。
この点につきましては、空間歪曲場の出力を強化した新型を配備することで、これほどの被害がでないよう対処いたします。ただ、大きさの関係上、どうしても『のしいか』に抗することができるほどの強度はありません。しかし、地球軍が採用している人型には十分に対抗できましょう」
「現行の虫型機動兵器の大きさの制限ということか」
「はい。もとより、虫型戦闘機械は作業用機械を改修して製作したものでありますから、これ以上の性能となりますとまったく新規に設計・生産する必要があります」
草壁はその言葉に腕を組んで考えた。
「『ジン』シリーズであれば対抗は可能か?」
「・・・局面によるかと」
答えづらそうな回答が返る。
「火星軍も同様の重力波砲を搭載した大型機動兵器を開発していることが確認されております。マリネリス市攻略戦で確認されたこの機体、敵方呼称『ブラスティ』、は我が軍の『ジン』シリーズと同様に重力波砲を装備し、サイズは『のしいか』を一回り大きくした機体です。この機体は機動力こそ『ジン』に大きく劣りますが、砲力では同等。運動性能、継戦能力では『ジン』に勝る機体といえましょう。
我らが『ジン』シリーズであれば『のしいか』の四機や五機は敵ではありませんが、この機体が出てきた場合、苦戦は否めません」
「そうか」
『ジン』シリーズは『プラント』による量産が前提とされた機体ではない。そのため、全ての部隊に配備できるだけの数がそろっていない。人的資産の消耗を防ぐ目的で優人部隊に優先配備する予定だが、前線に十分な数が用意できるのはずいぶん先のこととなる。
地球軍が新造艦を火星に派遣しているのに比べて、木連軍は火星派遣艦隊にできる支援がない。
草壁は人員を派遣して始めて木星と火星の距離を感じていた。
「派遣艦隊は勝てるのかね?」
だからこそ、問うた。結果によっては草壁の立場も危うくなる。司令部の前進を強く進めたのは草壁だからだ。だが、火星植民が可能とならなければ、木連の明日は無い。そして、『遺跡』を手にいれたものが、この戦いの勝者となる。
そのためにはどれほどの血を流そうと火星を手に入れなければならなかった。
「制宙圏の回復という意味であれば、可能であると判断します」
士官の言葉と共に、スクリーンに火星周辺の宙域図が照らし出される。
「火星軍で一番の脅威となるのは、あの電子戦艦。その次に火星を根拠地とする航宙機となります。重砲艦はせいぜいがオニヤンマ級大型戦艦に対抗できる程度であり、数に勝る派遣艦隊の敵とはなりえません。また、火星軍の航宙機母艦は敵巡航艦と作戦行動を共にできる加速力はありません。
そこで、我々は敵火星軍艦隊の誘出撃破を進言いたします」
火星周辺を遊弋する時空転移門と無人戦艦群、そして、アララギ艦隊が展開する。
火星から出撃する艦隊が時空転移門へ向かうのをアララギ艦隊がブロックし、時空転移門から現れた無人戦艦群が火星軍を避けて火星に殺到した。そして、火星の航宙機戦力を撃滅した後、火星艦隊を包囲殲滅する。
「火星軍の最大の弱点はかの電子戦艦一隻以外に制圧能力がないことであります。距離が短い惑星内であれば問題はなかったことでしょうが、宇宙空間ではせいぜい砲戦を行う程度の距離の相手にしか効果を及ぼせません。我々はこの火星軍の電子戦艦を誘出することで、無人戦艦群を敵根拠地に流し込み、一気に火星を殲滅する手法で作戦立案いたしました」
「「「「「ほう」」」」」
同席する将校たちの感心する声が唱和する。
「なるほど。たとえ敵の電子戦艦が無人戦艦に対して無敵であろうと、電子戦艦の手の届かないところから無人戦艦を投入すればよいと言うことか」「はい」
草壁は感心したように大きく頷いた。
確かにこれならばあの無人戦艦にとって鬼門とも言える電子戦艦を戦術的に無力化することができる。
あとは・・・、草壁は正面右のスクリーンに顔を向けた。
「アララギ君、頼む」
『はっ! 一命にかえましても』
ボソン通信機の向こうでアララギ少佐は胸に手を当てて一礼した。
4.
火星圏を出る。
ここまで同行していた大型輸送船が発光信号と共にボソン粒子となって姿を消した。
『貴軍と再び見えんことを』『穏やかな航海を祈る』
向かう先は共に戦場。
果たせるとも知れぬ再会の約束を祈る。
そして、もう一隻、艦隊に随伴してきた輸送船から最後の補給を受け、火星宙軍第一機動艦隊は始めて火星圏の外に足を踏み出した。
火星圏外において、木連軍火星派遣艦隊を迎撃する。
それが、長い議論の末に下された、艦隊司令フクベ・ジン大将の決断だった。
投入されたのはエンディミオン級電子戦巡航艦エンディミオン、跳躍誘導艦マルシュアス、重装砲艦イカロス、アドニスの四隻と、輸送艦改装母艦のヘンプ・パームだ。
一番艦速の遅いヘンプ・パームに合わせて、加速する。
ヘンプ・パームに搭載された航宙機はチグリフォーン32型12機とコレオプテール3型8機。機数は完全に定数を割っている。しかし、これ以上の機体は今回の作戦上搭載することができなかった。
邂逅点に向けて、静かに、第一機動艦隊は加速を続けていた。
艦長席前方に映し出されたスクリーン上に新たな光点が発生した。
「新たな敵無人哨戒機、方位2-11-0。17秒で観測圏を抜けます」
もう幾度目かの報告に、木連軍火星派遣艦隊司令アララギ中佐は眉を顰めた。
「迎撃は可能か?」
「はい、いいえ。本艦隊の攻撃可能圏外です。ヤンマ級を動かしても・・・」「そうか」
航宙幕僚が首を振った。アララギも特に固執せず返事を返す。
火星圏に近づくにつれ、火星のものと思しき無人観測機と接触する機会が増えていた。
始めは木星‐火星航路上の定点観測機であったため疑問に思うことは無かったのだが、火星まで後一息という距離になって頻繁に射出式の無人機との接触が増えてきていた。
こちらの航路を把握されている。
その認識にアララギは薄ら寒さすら感じていた。
「読まれたか」
口に出して確信した。
「火星軍は討って出てくる」「どういうことでしょう?」
アララギはスクリーンに映る自艦隊の配置を睨みつける。
「もし、火星軍が火星での迎撃を企んでいるのであれば、これほどまで観測機で我々の軌道情報を押える必要など無い。我々が火星に向かっていることなど、航路を見れば一目瞭然。火星周辺に定点観測機を配置するだけで十分用が足りるだろう。
しかし、彼らは執拗に我々との触接を計っている。その必要はただ一つ。火星圏外での我が艦隊との遭遇をもくろんでいるからに他ならない。
ふふふ。見事な心意気だと思わないか。
連中は我が艦隊との艦隊決戦を試みているのだ」
「「「「なんですと!!」」」」
驚きの声が上がった。
もとより、火星圏での交戦を想定していた彼らだ。このままであれば、火星軍の不意討ちを受けるところだった。
「火星軍は自陣営という利点を捨ててでも、我が艦隊との戦いを望むか。となると、標的は我ら優人部隊なのであろうな」
「よほど、有人管制されては困ると見えますな」
「うむ。おそらくは、我が艦隊が展開する前にかの電子戦艦で捉えようという企みであろうが、なに、そうとわかれば、こちらとて手立てはある」
アララギが艶のある笑みを浮かべて見せた。
そして、指示を出す。
「無人戦艦群に本体両翼に展開するように命じろ。以後、無人戦艦間の無線は火星圏到達まで一切封止。
我が艦隊が火星軍本隊と交戦している間に、火星を壊滅する!」「「「「「ハッ!」」」」」
木連軍火星派遣艦隊が無人戦艦群を展開させたことは後方からの情報で火星宙軍第一機動艦隊にも直ちに伝えられた。
その報告を受けたフクベ・ジン艦隊司令は呟いた。
「さすがに、簡単に奇襲をさせてはくれなさそうじゃの」
その言葉に主席航宙幕僚として同行するウェンディ・ハイゼンベルグ中佐が振り向いた。
「はい。ですが、彼らは未だ欺瞞航路を取る様子はありません。状況に変更はないと判断いたします」「うむ」
フクベ司令は密かに口元を緩めた。もし、これが作戦前でなければ手放しで褒めていたことだろう。火星宙軍の人材は少しずつではあるが、着実に実りつつあった。
フクベは航宙図に映る彼我の距離を見比べた。
まもなく、双方の直接観測圏内に入る。木連軍火星派遣艦隊が第一機動艦隊の陣容を知った時が戦いの始まりとなる。
いや、戦いはすでに始まっておったの。
フクベは小さく首を振ると自分を戒めた。
「ハイゼンベルグ中佐、ヘンプ・パームに航宙機隊の発進準備を」「はい!」
ハイゼンベルグ中佐は大きく頭を振ると、シルバー・ブロンドのポニーテイルをなびかせて航宙機母艦に連絡を命じた。
「では、征くとしよう」
その呟きと共に、木連軍火星派遣艦隊の艦艇が先行するプローブにその全容を晒し始めた。
5.
それは突然の凶報だった。
「後方17秒。複数の木連軍戦闘艦を探知!」
「加速停止! 艦首7‐0‐0。総員戦闘配置」
「加速停止! 艦首7‐0‐0」「アイサー、加速停止。艦首7‐0‐0」「総員、戦闘配置。総員、戦闘配置」
輸送艦内に非常警報が響く。非番だった要員が急いで艦橋に駆けこんでくる。
こよみは冷静にスクリーンを見つめていた。ウィンドウに表示されている艦影はまだ動きを見せていない。エノラがこよみに頭を寄せて問いかけた。
「見つかっちまったか?」
こよみが微かに肯く。
「相手は軍艦だぞ。よほどの馬鹿じゃない限り、とうにこの艦を捕らえているさ。問題は向こうがこの艦をどう見るか、だが・・・」
こよみはじっとスクリーンを見つめる。
そこに映るのは17秒過去の映像だ。
このまま、こちらを無視してくれれば・・・。
「敵艦分離します!」「加速全力! 艦橋要員以外は退艦!」
弾かれるようにこよみが指示を出した。
「加速全力!」「加速全力」
「さすがに見逃してはくれないか」
「ジャンパー、CICに集合。順次、要員が集結し次第、退艦。ま、仕方があんめ。で、どうするよ?」
エノラは指示を出して問いかけた。艦橋後方のコンテナに集まった要員の数がみるみる減少していく。
こよみは手元にウィンドウを表示する。生のデータを流して状態の微かな変動に目を凝らした。
「舵中央」「舵中央」
ようやく回頭が終わる。
「コンテナ、13番から16番まで投棄。このまま、25秒後に進路3‐2‐2」「コンテナ、13番から16番まで投棄」「25秒後、進路3‐2‐2」
「13番から16番投棄、今!」
がこんと微かに艦が揺れた。電磁ラッチで牽引されていた機動爆雷のコンテナが投棄されたのだ。
「艦隊より分離した敵、艦数2」
「進路3‐2‐2」「進路3‐2‐2」「アイサー、進路3‐2‐2」
進路変更によって分離したコンテナが輸送艦を追いこしていく。それを見送ってこよみはタイミングを図る。
「本艦舵中央」「舵中央」
「コンテナ9番から12番を投棄。後部牽引索投棄」
「コンテナ9番から12番投棄」「後部牽引索投棄」
こよみは敵艦との相対距離を睨む。木星からの落下航路を取る輸送艦と木星方面に向かう木連艦隊。その中間地点に当たるため、相対速度は大きい。今回の進路変更で加速がほぼ直交することとなった分、これまでの慣性速度と木連軍の加速分が距離を縮めるファクターとなる。
こよみはじっとスクリーンを睨みながら、伝えた。
「エノラ、二人ほど連れて1番のコンテナに残ってる機動爆雷を無線誘導モードに切り替えてくれ」「おい?」
意外な言葉にエノラは問いかける。予定では適当に追いかけられた上で自爆となっていたはずだ。交戦する予定はない。
「この軌道は、包囲するつもりか?」
こよみはコンソールに手を置くと操船系の制御を艦長に集中させた。
「制御移行」「制御開放」
操舵手と航法の二人が立ちあがる。こよみはエノラに軽く手を振った。
「おいって」「ああ。どうも、この船の目的が誤解されているような気配がある」「誤解?」
首を傾げるエノラにこよみが肯いた。
「ただの輸送艦が火星と木星の間で何をやっていると思う?」「そりゃ輸送艦なんだから・・・」
そこまで言ってエノラは気付く。そう。輸送艦は物資を輸送するための船だ。それは火星の先のどこかに物資を届ける相手がいるということだった。
「まずいな」「ああ」
エノラは顔をしかめる。
本来なら適当に引っ掻きまわしてもよかった。痛くもない腹を探られても、相手が苦労するだけだ。
だが、今の火星宙軍には痛い場所があった。
後方トロヤ群。
火星宙軍によって後方トロヤ群は木連監視の最前線基地になっている。
運の悪いことに現在の木星=火星航路は先行する木星を火星が追いかけるという軌道だ。もし、輸送艦の航路を調査されることがあれば、後方トロヤ群にも目が向けられる可能性があった。
「わかった」「ん」
こよみの頭をエノラの手が一撫ですると、エノラは急いで艦橋を通り抜けた。
こよみは急ぐ三人を見送ると、コンソールに手を伸ばす。
「艦の制御を私に。作業が終了したものはCICに。順次、退艦せよ。敵艦の砲戦距離に入る前に、急げ!」「「「「イェス、マム」」」」「む・・・」
唱和される声にこよみは少し憮然とする。しかし、その指は片時も留まることなくコンソールを走りつづけた。
続く...
あとがき
まずはグレッグさん。心の一押しキャラだっただけに、壮絶な戦死とかも考えたけど、似合わないので描写もなくお葬式。
DW 本編での活躍を期待しております。(w