水底の月


第三話 ・・・ 頭上の月影



1.

 あの人が告げる。凛々しく胸を張って、お気に入りのオモチャを見せつけるように。
「私は、今ここに福沢祐巳を妹とすることを宣言します」
 私は思う。
 この人も、同じなんだ。あの人達と、同じなんだ。
 そう。
 きっと、ここにいる人たちも、みんな、同じなんだ。

 武嶋蔦子は祐巳さんをここにつれてきたことを激しく後悔していた。
 思えば蔦子自身、山百合会のお姉様方に幻想を抱いていたのかもしれない。
 彼女たちなら、きっと祐巳さんを取り巻く不信の垣根を乗り越えて、心をこめて接してくれる。そんな幻想を。
 先ほどから、祐巳さんをそっちのけの言い合いが続いている。
 祐巳さん自身は最初から諦めているのか、小笠原祥子様と薔薇さま方とを見比べては、困っている。いや、困った振りをしている。
 私も短気になったものだ。いつもの私なら、気にせず後ほど新聞部との交渉の種にするだろう。
 でも、駄目だ。
 祐巳さんが絡むと、私はてんで駄目になってしまうようだ。
 だけど。
 そう。私はそんな自分を気に入っている。
 だから、私は手を挙げる。
 このくだらない話から祐巳さんを連れ出すために。
「はい」「何かしら。武嶋蔦子さん」
 私の言葉に、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が応える。
 この人は、危険だ。先ほどから、ただ、目の前の話題に乗せられているのではなく、祐巳さんを取り巻く周囲を見つめ続けている、そんな気がする。だったら、早くこのくだらない言い合いを取りやめて頂ければいいのに。
 そんな、皮肉な気持ちを込めて、私は答える。
「お見知りおきとは、光栄です。、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)
「祐巳さんはともかく。あなたのことを知らない生徒はいなくてよ。有名人ですもの」
 それはどうも。心の中で答える。目立つところだけ見ていれば、そうでしょうよ。
「恐れ入ります。一言よろしいでしょうか?」
 視線が集まる。
 でも、私が本当の意味で気にしているのは、祐巳さんの無意味な視線だけ。その無造作で投げやりな流し目が、消え去った後も私の心を釘付けにする。
「私にはぜんぜん話が見えません」
 違う。ほんとうに私が言いたいのはただひとつ。
 私たちを、祐巳さんを巻き込まないで。
 でも、そんな言葉が彼女たちに届くはずがない。くだらない。そんな疲労感に捕われながら、私は彼女たちの言葉を待った。


2.

 蔦子さんが話を解きほぐそうと頑張っている。
 単純に嬉しいと思う。
 でもね、蔦子さん。
 私は大丈夫。私は傷つかないから。

 気に入らない。
 彼女を一目見て思った。落ち着きなくきょろきょろとあたりを見渡し、周囲の言動に一喜一憂する。
 島津由乃が福沢祐巳に対して抱いた感情がそれだった。
 場違いな場所に引きずり出されておどおどしている、主体性のない普通の少女。
 ツインテールに赤いリボンが精一杯の自己主張なのだろう。
 そのシンボルを外したら、ほら、十把一絡げのお嬢さまの出来上がり。そんなありきたりの少女を巻き込んだ祥子様の負けず嫌いもかなりのものだが、それに流されるままになっている姿が気に入らない。
 ほら。まただ。
 武島蔦子さん。彼女の一言がなかったら、そのまま、流されてどこまでいったのやら。
 由乃にとっては、祐巳という少女の印象はその程度のものでしかなかった。
 この時は、まだ。

 かいつまんで説明するとね、祥子は一度は請け負った学園祭関係の仕事を、今日になって拒否してきたわけ。
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の言葉が、私のうつろな心に響く。
 今年は花寺からゲストを呼ぶことになったんだけど、祥子はそれが不服らしいの。
 ほら、辛くない。ぜんぜん、痛くない。
「くっくっく。面白いね」「は?」「百面相してたわよ」「えっ…」
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の言葉が、それまで薔薇様たちと祥子様の間で行われていた議論に、私を引きずり込む。
「ほんと、可哀想に。目を白黒させちゃって」
 言葉とは裏腹に楽しそうに目を輝かせる黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)。ただ、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)だけが少し表情を曇らせて私と祥子様を見比べる。
 ああ、聡い人だ。
 でも、気付かない方が幸せなことが世の中には多すぎますよ。
「別に話し合うことなんてありません! 私が(プティ・スール)を決めた、それだけのことですから。今日はもう解散!」
 ヒステリック気味に声を荒げた祥子様が強引に話をまとめようとしている。
 それだけのこと。
 なんでもないこと。
 そう、この人にとって、なんてことないことなんだ。
 空しく言葉を交わす。伽藍に響く空虚な音。
 でも、届かない。
 私には届かない。
 私は何も感じないから。なにも想わないから。
 この人たちの言葉なんて、私には届かない。
「もうロザリオはあげたの?」
 でも、その一言は死んでしまったはずの私の心を、ただひとつの感情で染めあげてしまった。
 それは、恐怖だった。


3.

 それまできょろきょろと落ち着きのなかった祐巳さんの表情が一瞬にしてこわばった。
 藤堂志摩子はこれまで多くの祐巳さんの表情に触れていた。
 友達とはしたなくも楽しそうに笑う姿、困ったように視線を泳がす姿、そして、透き通った素顔で蔦子さんと視線を交わす不思議な表情。
 でも、こんな強張った表情はまったく見たことがない。
 志摩子は蔦子さんの表情を盗み見る。蔦子さんは祐巳さんの背後に座っている。だから、気づいていない。
 祥子さまの言葉に祐巳さんが立ち上がる。周囲のちゃちゃも聞こえず、祐巳さんはただ祥子さまのロザリオを、ロザリオだけを見つめている。
 でも、祐巳さんにとって嬉しいはずなのに、浮かべている表情は・・・。まさか、怯えているの?
「「待ってください」」
 志摩子と誰かの声が重なった。志摩子は確信とともに、彼女と、蔦子さんと目を見交わした。

 危ないところだった。
 蔦子は志摩子さんと視線を交わすと、軽く目礼して祐巳さんを強引に祥子さまの前から引き剥がした。
 祥子さまが目を怒らせて睨みつけてくる。
 痛いほどのその視線を浴びながら、祐巳さんを背中にかばった。
 祐巳さんの身体は、ひどく固まってしまっていた。たぶん、ロザリオを突きつけられてパニックを起こしてしまったのだろう。いつものように、さりげなく避けたりすることができなくなるほど、祐巳さんにとっては恐ろしい出来事だったのだ。
「みなさま、肝心なことをお忘れですわ」
 志摩子さんが薔薇さまがたを相手に説得している。蔦子はそっと祐巳さんの背をさすった。
 すっかり、ちじこまってしまい、逃げることも言葉を挙げることもできなかったのだ。
 強い視線を感じた。
 正面から睨みつけている祥子さまだった。でも、その視線に込められているのは怒りよりも別の何か、いいえ、蔦子にはその感情がよく理解できた。
 嫉妬だ。
 紅薔薇の蕾(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)は蔦子に嫉妬している。
 祐巳さんの庇護者としての立場を奪われて、祥子さまは嫉妬しているのだ。
「でも、祐巳さんは祥子のファンだよ。断るとは思えないけど」
 勝手なことを。
 蔦子は白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の言葉に、かっとなってしまった。
「私は反対です」
 祥子さまの視線が痛い。でも、譲れない。
「私は祥子さまが祐巳さんにとって良い(グラン・スール)であるとは思えません」
 その言葉に、自慢の妹を貶されたと感じたのか、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が蔦子に鋭い視線を向ける。なまじ、整った顔立ちのクール・ビューティだけに凄みがあった。
 でも、蔦子はそのとき、そっと背中の熱が薄れたのを感じた。
 一瞬だけ、制服が掴まれる。
 祐巳さんだ。と、それだけを憶えた。
「もう、蔦子さんたら、過保護なんだから」
 振り返るその先に、いつもの笑顔。
「祐巳さん、大丈夫?」
 志摩子さんが不安そうに問いかける。祐巳さんはちらりと舌を出して見せた。
「ちょっと、びっくりしちゃっただけ。もう平気だから」
 そう言って軽く笑って見せる。
 いつもの元気。いつもの笑顔。
 いつもの・・・、仮面。


4.

「すみません。私、祥子様の妹になれません」
 驚いた。
 由乃はあのかばわれてばかりの少女が祥子様の申し出を断ったことに興味を引かれた。
 今度は蔦子さんを薔薇さまがた、その蕾たちの視線からかばうように進み出る。表情は視線が泳ぎ、どう言ったものやらと悩んでいるようだが、その立ち振舞いに迷いはない。
 まるで紅薔薇様(ロサ・キネンシス)のようね。
 ふと、そんな馬鹿なことを思う。
「どうして、と聞く権利は私にあるわよね」
 祥子様が動揺を隠しきれない様子で、問いかけた。意外だった。ついさっきであったばかりの相手に、祥子様がここまで本気だったとは。
「確かに私は祥子様のファンですけど・・・」
 ころころと変わる表情。
「でも、ファンだからって、みんながみんな、妹になりたいと思ってるわけじゃないと思うんです」
 一生懸命考える姿。
「だから、私は・・・」
 でも、それはまるでオルゴールの音楽にあわせて踊る人形のように無表情で。
「祥子様の妹になれません」
 残酷に、証しを求めているように見えた。

 申し訳なさそうな表情で、あの少女が頭を下げる。
 でも、なぜか祥子には、あの少女はなにも受け入れようとしてないのだと感じていた。
 その本当の姿は拒絶。
 断固なまでに関わりを拒む姿が、見て取れる。その向こうで、あの眼鏡の少女がほっとしたように前髪をかきあげた。それが余裕に見えて腹立たしい。
「あはははは、どっちにしろ、祥子はまたも振られたというわけ」「あらあら。かわいそうな祥子。番狂わせの2連敗?」「・・・」
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の笑い声が癪に触る。黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)も楽しそうだった。祥子は思わず振り返って言い返していた。
「かわいそうとおっしゃるのなら! シンデレラに一件をどうにかしていただけない?」
「それは駄目よ。わかるでしょう?」
 お姉さままでが、気の毒そうな、でも、なぜかほっとした表情で祥子をたしなめる。
 もう、頭が沸騰しそうだった。
「あ、あの。でも、そもそも、どうしてこんな事態になったんですか?」
 無邪気に問いかける姿が、今はとても憎らしい。
「あなた、まだいらしたの?」
 思わず、言葉が口をついた。少女の向こうで眼鏡がむっとしている。たぶん、少女の言おうとしている言葉の意味をわかっていないのだろう。
 だが、これはあくまでも祥子と姉である水野蓉子さまの話だ。祥子の妹にならなかった以上、少女が関わっていい問題ではない。
 でも、少女は止まらない。
「もともとの連絡ミスだって、祥子さまに劇のお話が伝わっていなかったのは」「お黙りなさい!」
 強い口調で止める。祥子にはわかった。
 この少女は暗に祥子を嵌めたことを非難しているのだ、と。
「私のために言ってくれていることくらい、わかっていてよ。でも、私のためなら、それ以上、お姉さま方を非難しないで」
 だから、祥子にできるのは止めることだけ。これ以上、少女を巻き込まないことだった。
 でも、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)の浮かべた笑みに、祥子はその望みが絶えたことを知った。
「ひとつ、賭をしましょう」


5.

「賭け・・・ですか?」「そう」
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が楽しそうに人差し指を立てて説明する。
「ルールはいたって簡単。祥子が祐巳さんを妹にできるか否か。もちろん、祥子には『できる』の方に賭けてもらうわ」
「・・・」「えっ?」「!!」
 聖の言葉に祥子と祐巳さんが首を傾げる。祥子のそれは自分にとって賭けの内容が自分にとって有利か不利かをおもんばかる表情だが、祐巳さんのそれは状況を理解できていないが故のものだ。
 山百合会の紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)である水野蓉子はそんなそれぞれの表情を注意深く見守りながらも、親友の言い出した内容に不安を覚えずにいられなかった。
 それは、微かな違和感。自分たちはなにか酷い間違いを犯しつつあるのではないかという、不安だ。
「反対です! そんな、祐巳さんにはなんの関わりもないことじゃないですか!」
 彼女、武島蔦子さんにしても、そうだ。蔦子さんはたぶん、あの写真について祥子に合いに来たのだろう。
 だが、今のこの反応はどうだ。
 蔦子さんの趣味を考えると、蓉子たち山百合会の近くに友人を送り込むのは都合がいいはずだ。
 でも、彼女は強硬に反対している。
 それに対して志摩子は静かに事態を見守っている。口を開くのは、あの娘が言葉も発せないような時だけ。たぶん、志摩子自身はあの娘に山百合会に関わってほしいのではないだろうか。
 そう考えると、聖の頑張りも理解できる。
 だが、その焦点となっている少女、福沢祐巳さんはというと・・・。
「ま、悔やむなら祥子を助けたいなんて仏心を一瞬でも出した自分を悔やみなさい」
 江利子、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)もほんとに楽しそうに、だが、ちらりと蓉子に意味ありげな視線を送る。
 正直言うと、蓉子は彼女が、祐巳さんが怖かった。
 どうして、聖は気がつかないのだろう。彼女は罅だらけのガラスのようだ。触れるものを深く傷つけ、自分も砕けてしまう。そんな危うい存在だというのに。
 祐巳さんが祥子の申し出を断ったとき、内心蓉子はほっとしていたのだ。妹の祥子は言いだしたら聞かない性格だから、蓉子が強く言ったとしても、説得できなかっただろう。
 蔦子さんが口にしたときは、反射的に睨みつけてしまったが、祥子が祐巳さんにとって良い(グラン・スール)になれるかどうかは、祥子の姉の蓉子から見ても疑問だった。でも、それも相手が祐巳さんでなければ、姉としてよい経験を積んでいけるのだと割り切れただろう。
 だが、祐巳さんでは駄目だ。
 きっと祥子は彼女を押し潰してしまう。そして、砕け散った心の欠片は祥子をずたずたに引き裂くだろう。それを受け止めるには祥子の本心はか弱く内向きすぎる。
 たぶん、この姉妹(スール)には哀しい結果しか生まれない。
 それでも、そう、それでも、確かに蓉子も見てみたいと思うのだ。この二人の幸せな結末を。
「そうね。シンデレラが祐巳さんに決まるなら、それも面白いからいいわね」
 控えめに賛意を示す。
 もしかしたら、杞憂かもしれない。すべてうまくいくのかもしれない。
「駄目です。山百合会のお姉さまの都合で、祐巳さんを弄ばないでください!」
 蔦子さんが叫んでいる。彼女とは後で少し話す必要があるだろう。
 蓉子はどう纏めようかと考える。
 でもその前に、祐巳さんが蔦子さんの肩にそって手を置いて微笑んだ。
「蔦子さん、大丈夫。ただのゲームなんだから」
 心臓を氷の手で掴まれたような絶望に蓉子の表情は強張った。


6.

 嵐のように騒ぎの通り過ぎた薔薇の館に薔薇さま方3人は残っていた。内々の打ち合わせと言うことでそれぞれの妹である蕾たち(ブゥトン)は帰らせてある。何について話し合うのか容易に考えついた彼女たちは、いささか未練を残しながらも素直に家路についていた。
「くっくっく、それにしても祥子もやってくれるわね」
 思い出してもまだ笑えるのか、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)こと、佐藤聖が窓枠に肩を持たれかけて口元を抑えていた。
 その様子に、水野蓉子はため息をついた。
 わかっていない。聖はぜんぜんわかっていなかった。
「ほんと、祥子もやってくれるわ。この時期に紅薔薇姉妹崩壊の危機を起こしてくれるなんて」
 他人事らしく無責任に、でも、いつものようには笑わず黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)こと、鳥居江利子が皮肉な視線を蓉子に向けた。蓉子は紅茶を一口含むと、そっとテーブルにおいた。
「江利子、なにを言って・・・」「反対なんでしょ? 蓉子は」「・・・」
 蓉子は答えない。だが、その沈黙がなにより江利子の言葉を肯定していた。
 聖は驚いて身を起こす。
「なんで? 祐巳さん、面白いいい子じゃない?」
「あら、聖、ほんとにわかってないの? それとも、わかりたくないのかしら」「だから、なにを言っているの!?」
 なぜか奇妙に腹が立って、聖は江利子の隣でテーブルに手をついて覗きこむ。
「だって、あの子、あの頃のあなたにそっくりじゃない」
「な・・・!」「江利子、やめて」
 それは未だ癒えない傷を引っ掻かれたようなものだった。
 激高する聖を止めるように蓉子が視線を送る。だが、それは江利子の言葉を否定するものではなく、聖は裏切られたような気持ちになって蓉子に振り返った。
「そうね。でも、似ているけど違うわ。だって、彼女は聖よりもずっと強いもの。
 だから、駄目。きっと祥子じゃ堪えられないわ」
 聖の視線に蓉子が力なく首を振る。
「ちょっと、ふたりとも何を言っているの? 祐巳さんが私に似てる? なんの冗談?」
「あなたが怒っているのは、あの子を自分と比較されたくないのかしら、それとも」
 江利子が気怠そうに聖を見上げた。
「あの娘より自分のほうが不幸だと言い張りたいからかしら?」「江利子! 言っていいことと悪いことがあるよ」「あなた、人を見る目がないわ」「何も感じていないくせに、わかったようなこと言わないで」
「江利子、あなたは祐巳さんのこと、何か知っているかしら?」
 聖をさえぎって、蓉子がたずねた。江利子は軽く手を振る。
「わたしは蓉子の態度が、ね。蓉子は?」
「私は祐巳さんの言動と蔦子さんの反応ね。特にロザリオの時が・・・」「ああ、あれね」
「ちょっと、私を無視して話を進めないで!」
 ばんと勢いよく、聖がテーブルを叩いた。
 蓉子はわざとらしくため息をついて、座るよう指示した。実際、状況を悪化させた聖へのお仕置きみたいな気分だったのも確かだ。
「聖、福沢祐巳さんは確かに面白い子かもしれない。でも、今のあの娘を祥子の(プティ・スール)にはできないわ。それは祐巳さん自身もよくわかってる、と、思う」
 蓉子は聖が落ちつくのを待って、ティカップを両手で包むように持つと口を開いた。
「だから、なぜ?」
「祐巳さんは強い子だから。傷ついても当たり前のように笑っていられるほど強い娘だから。祥子は彼女に支えてもらえるかもしれないけど、祐巳さんを守ることはできないわ。逆に傷つけるだけ」
 だから、駄目だと頭を振る。聖は訳がわからないとばかりに江利子に視線を向ける。
「祥子はあきらめないでしょうね。あの子がなぜ姉妹(スール)に、ロザリオに怯えたのか、それを調べたほうが有意義だわ」
「・・・怯えた?」
「ええ、そうよ。あの娘は事態がわからなくて固まっていたんじゃない。怯えていたのよ。姉妹(スール)という関係に。
 でも、だいたい何があったか、想像がつくわね」
「・・・裏切られた?」「たぶん・・・」
 話の流れを察した聖が、眉をひそめて問う。蓉子が肯いた。
白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)はそんな娘に、賭けだの藁しべだの言ってたわけ。正直、いつあの娘が切れるか楽しみだったんだけど」
 先に眼鏡ちゃんが切れちゃったわね、と江利子は肩をすくめる。
「いっそのこと、切れてくれたほうがよかったわ」「・・・もしかして、私、かなり軽蔑されることしてたんじゃ」
 ようやく合点が言ったのか、聖が口元を覆う。だが、蓉子は静かに首を振った。
「大丈夫よ。きっと私たち、あの娘に認識すらされてないわ」「?」「・・・」
 江利子の言葉に聖は首を傾げ、蓉子は表情を暗くした。
「言ってたでしょう? 『ゲームだから』って」
「うわっ・・・」
 蓉子の言葉に聖が顔を顰めた。
 ゲームだから、お遊びだから、気にならない。
 そういう宣言だったのだ。あれは。
「きっと、あの娘にとっては祥子が諦めるまでの、茶番なんでしょうね」
 ため息とともに漏れた言葉はひたすら重かった。


7.

 祐巳は志摩子さんと並んで歩いていた。
 初めて訪ねた薔薇の館の感想、薔薇さま方の印象との違い。志摩子さんとは今までほとんど言葉を交わしたことがなかったから、その埋め合わせをするかのように祐巳は言葉を紡ぐ。
 志摩子さんが微笑む。
 やっぱり、志摩子さんは美人だと頭の片隅で、捨て去られた祐巳自身の心の墓場でひっそり思う。
 志摩子さんに笑っていてもらえること。それは助けてもらったことへの祐巳の感謝だった。
 そんな二人から、少し遅れて蔦子さんが続く。申し訳なさそうな表情で、時折祐巳を見つめているのがわかる。
 気にしなくてもいいのに。
 祐巳は思う。
 蔦子さんが祐巳を薔薇の館につれていったことを後悔しているのはわかる。昔の、今も続いている茶番劇に引きずりまわされた祐巳を、結果的にまた別の茶番劇に付き合わせることになってしまったのだから。
 でも、祐巳自身は蔦子さんが心配するほどのことではないと思うのだ。こちらはせいぜい文化祭が終わるまでの、癇癪持ちのお嬢様が諦めるまでの期限付きなのだし。
 それに、祐巳は思う。
 こんなことで傷付くような心なんて、持っていない。
 なにも期待なんかしていない。
 なにも夢なんか見ていない。
 だから、何が起きても、私は傷つくことなんて、ない。
 だから、蔦子さんが祐巳のことなんかで気に病むことはないのだ。むしろ、蔦子さんが祐巳を利用してまでと願った写真の展示許可の話がうやむやになってしまったことが祐巳は申し訳なく思う。
 蔦子さんが望んでいるものを手にいれる。そのために祐巳がダシにされることは別に気にならない。むしろ、そんな使い方でも蔦子さんの役に立てるのなら、それでいい。
 ふと、蔦子さんが誰かに気づいた。つられて祐巳も顔を向ける。視線の先、今朝のマリア像の場所にあの人がいた。
「お待ちなさい」
 朝と同じ凛とした姿。立ち止まる。蔦子さんが少し眉を曇らせた。
「覚えていらっしゃい。必ず、あなたの(グラン・スール)になって見せるから」
 凛々しく言い放つ姿に一瞬見とれる。ただ祐巳だけを見つめる視線が重なった。
「ごきげんよう。気を付けてお帰りなさい」
 こちらが礼をするのも忘れるほどに、颯爽と祥子さまが立ち去る。
「・・・何か、格好いいね」「・・・」
 蔦子さんが呟く。祐巳は祥子さまの消えた先に視線を送る。志摩子さんが不思議そうに祐巳を見ているのを感じた。
「うん」
 ちいさく肯く。なんとなく、敗北感を覚えた。でも、それは奇妙に心地よい気がしていた。



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$Revision: 1.3 $
$Date: 2004/12/23 00:29:03 $