a Go! Go!



1.

 プシューとエアの抜ける音がして、スクール・バスの扉が開いた。
 はっとこれまで友達とのおしゃべりに夢中になっていた仁科紗絵子は、周囲の見なれた景色にここが自分の降りる場所であることに気がつく。
「あ、降ります。降ります!」
 がばっと身を起こした紗絵子を暖かい笑いが包んだ。
「それじゃあ、紗絵ちゃん、また明日ね」
 柔らかな笑みを浮かべた瀬川美雪が少しだけ名残惜しそうに紗絵子の手を取った。紗絵子はぎゅっとその手を握る。
「うん。また明日ね」
「紗絵ちゃん、ばいばい」「紗絵ちゃん、また明日」
 声をかけてくれる同じ学校の生徒たちに紗絵子は大きく手を振る。そして、弾むようにバスのステップを降りた。
「じゃあ、またね」
 バスの窓から手を振る友達に紗絵子はもう一度大きく手を振って見送る。
 バスは紗絵子の友達を乗せて発車した。
 少しばかりの寂しさと、新鮮な外の空気に触れて、紗絵子は大きく深呼吸する。グレイのジャケットに包まれたワインレッドのチェックのスカートが、紗絵子の動きに合わせて揺れる。
 学校帰り。
 ここからは自宅まで鞄を背負って、夕暮れの路を歩く。
 世界は朱色に染まり、陰影が人の表情を消す。夕日に引き伸ばされた影は奇妙な姿をまとい、見なれた街並みは異形の劇場によそおいを変える。
 世界がリアルとイメージで混ざり合う。
 そんな時間が仁科紗絵子のお気に入りだった。
 黄昏の街を一人踊るように歩く。一緒に遊んだ友達とも別れ、人ごみの中、ひとり、心踊らせて歩きつづける自分を楽しむ。
 歌いながら、踊りながら。
 退屈な日常のひとつひとつの相に喜びを感じて。
 小さいかもしれない。安っぽいのかもしれない。
 でも、歩くとき足の裏で跳ねあがるアスファルトや街路の感触の違いが楽しい。つま先に感じる大地の感触。
 歩く。歌う。踊る。
 呼吸する。そんなことにすら喜びを感じ取ることができる。
 紗絵子はそんな自分が大好きだった。
 肩にかかる黒髪を歩く、その動作が生み出す風がなびかせる。自然とウェーブがかかる髪が首筋に揺れ、ちょっとこそばゆい。
 と、紗絵子はふと、世界が突然陰ったような冷たさを感じて足を止めた。
 いや、陰ったのではない。
 紗絵子の目の前に広がる世界は、夕暮れの街から様相を一変させていた。
 そこは影絵の世界。
 世界は厚みを失い、意味は連携を持ってのみ存在する一切の雑音を消し去った純粋なセカイ。
 紗絵子は目の前に広がる異形の世界に言葉を失う。
「私の世界にようこそ。有資格者」
 振り向いた視線の先、この厚みを失った世界の中心に、紗絵子以外のただ一つのリアルがあった。
「にん・・・ぎょう?」
 白い面のビスクドールが青いガラス玉の瞳で紗絵子を見つめていた。


2.

 仁科紗絵子は目の前に広げられた世界の異常に呆然と呟いた。
「いったい、なに?」
 わからない。
 いったい、なにが起きているのか。なにもわからない。
 でも、おそらくはコレが今起きている異常の元凶なのだということだけは紗絵子にも理解できた。
 冷たく、いや、無機質に素材を見つめるような目で見下ろすビスク・ドールに紗絵子は寒気を感じて自分の身体を抱きしめる。
 怖い。
 紗絵子は我知らず後ずさる。
 しかし、人形はおびえる紗絵子を意に解さず、無表情に言葉を紡いだ。
「あなたに不思議の力をあげる。幻想を生み出す力をあげる。
 喜びなさい。あなたはこの私に選ばれたのだから」
 人形が両手を差し伸ばした。
 ぐんと近づくその腕に、首を締めつけられるような息苦しさを覚えて、紗絵子は後ずさろうと、身体が動かない事実に愕然とした。
「あ・・・、あ、あ」
 叫びたい。でも、喉の奥に重苦しいものを詰めこまれたように、あえぎ声しか出ない。
 人形が迫る。
 目が離せない。
 青い瞳が、無機質に、紗絵子の視界いっぱいに広がる・・・。
 バキン。
 その時だった。
 硬質のものが砕けたような鈍く硬い音が頭の後ろに広がった。
「いやーっ!!」「嘘?」
 叫ぶ。そして、紗絵子は目の前に迫った人形を力いっぱい払いのけた。黒い路に白い人形が重々しく転がる。
 紗絵子は払った左手の甲の痛みに我に返った。
 すぐさま逃げ出そうと、振りかえろうとする身体を、でも、必死に押さえこんだ。
 そして、紗絵子は逆に人形を睨みつける。
 世界を違うものに変えてしまう異常、これがこの人形のせいだったら、きっと逃げても意味がない。
 理由はわからないけれど、紗絵子はそんなことを悟っていた。
「未開生物が・・・」
 人形がいまいましげに呟いてむくりと起き上がる。でも、紗絵子を一瞥した視線は、すぐに厚みを失った世界の片隅に向けられた。
「融合主義者がそのような差別発言をしてはいかんだろ」
「・・・ぬいぐるみ?」
 そこには白と黒に分かれたふわふわの、紗絵子が両手で抱えなければ持てないほどの大きさの、しゃちのぬいぐるみの姿があった。
「どうして、オルカ?」「ふ、未開生物にもわかりやすい力の証だ」
 そのぬいぐるみは宙を飛ぶと、ぽんと紗絵子の前に落ちて跳ねた。そのあまりの軽さに紗絵子はつかの間生まれた希望が遥か遠くに蹴り飛ばされたような気がして、めまいする。
「終わった・・・」
 紗絵子はがっくりと膝をついた。
「おい! 助けに来てやったのに、それはないだろ!」
 ぬいぐるみが紗絵子の前で騒ぐ。紗絵子は意に解さず異形の空を見上げた。どうしようもなくため息が出る。
「こんな不思議の国で命を落とすなんて・・・」
 もう泣いちゃいそうだった。


3.

「だから、人の話を聞け!」
 オルカのぬいぐるみが地面に両の手をついた紗絵子の周囲を飛び回って抗議する。
 その様子に人形も器用に肩をすくめた。
「私だって貴方を殺すつもりなんてないわよ」「ん? ああ、そうだろうな」
「へ?」
 紗絵子はひょいっと頭を戻した。
「じゃあ、私があんなに怯えさせられたのは、いったい何なの?」
「貴方は私の紡ぐ物語のお人形になるの。少女性という幻想を担って、永遠に」「そのためには、死なれちゃ困るだろうからな。まぁ、落ち着け」「・・・」
 紗絵子は首をかしげた。
「物語のお人形?」「ええ」「あなたが作った話の?」「そうよ」「いつまで?」「ずっとよ」「・・・」「永遠に」「死んでも?」「死ねないもの」
 人形は青いガラス玉の瞳に紗絵子を映し、嗤う。
「腕がもげても、首がちぎれても、死なないから。真っ赤に焼けたフライパンの上で素敵なダンスを踊らせてあげる。何度でも溺れさせてあげる。愛と絶望を抱いて、泡になるのも素敵ね。
 死んでもいつまでも死んでいない。
 そんな素敵な永遠を貴方にあげる」
 罪悪感のかけらも感じていない様子で、人形は詠うように告げる。
「もっと酷いでしょ!」
 紗絵子は思わず叫んだ。
「あら、そうかしら?」「いや、酷い」
 ビスクドールの疑問にぬいぐるみが即答した。
 空は黒く、世界は落書きにように壊れている。嗤うのは人形。語るのはぬいぐるみ。
 こんな奇妙な世界に紗絵子はくらりと頭痛を感じた。いや、実際にきりきりと頭の奥に鈍く軋む痛みが自らの存在を伝えていた。
「あなた達、いったいなんなの! わたしをこんなとこに連れてきて、どうしようっていうの!」
 叫んだせいか、頭痛がいっそう酷くなって、紗絵子は思わずしゃがみこんだ。その肩をぬいぐるみが黒いひれを伸ばして二三度叩いた。
「お前は良く頑張ってる方だ。普通の未開人なら、この抽象化された世界の情報密度に晒されて、とうに壊れてる。
 さすがは『魔術仕掛けの神(デウス・エクス・マギカ)』が現実操作の端末に選んだ器だ」「ふふふ、そうでしょ」
「・・・なにを?」
 頭痛に苦しみながら顔をあげる紗絵子を異質な世界で人形とぬいぐるみが見下ろす。その姿はとてもシュールで、とても恐ろしかった.
「素人なら存在密度だけを考えて器を選びがちだけど、魔力精製という点で私を越える存在なんてありえない。むしろ、私という巨大な幻想を適切に現実操作に消費できる太いバイパスと制御能力に特化したほうが有利だわ。
 その点では私とこの子の相性は最高ね。
 見て。この子ったらもう周囲の概念に自分なりの関連をつけて秩序構成を始めてる。ろくに抽象概念操作の訓練もされていないのによ。操作の手がおよばない外延から浸透する逸脱に必死に耐え続けてる。ううん、再構成すらしてる。この私の幻想世界で!
 私たちが組めば、貴方たち近衛(ガーズ)とデバイス同調した女帝すらも軽く凌ぐでしょうね」「・・・」
 興奮すら見せる人形をぬいぐるみが嘲う。
「じゃ、俺がこいつを殺せば、帝国の危機を未然に防げるわけだ」「!!」
「ふーん・・・」
 ぬいぐるみを涼しい視線で一瞥すると、人形が紗絵子に問いかけた。
「どうするの? あなたを助けに来た騎士様はバリバリの帝国主義者で祖国に忠実。女帝のためなら平気であなたを切り捨てる輩よ。
 どう? これでもこの帝国近衛(インペリアル・ガーズ)に助けを求めるつもり?」
「俺はこのまま気が触れて人形にされるよりは、ばっさりやっちまうほうが親切だと思うがな」「・・・とご・・だと・・って」
 ぼそりと紗絵子が呟く。
 頭が痛い。
 だというのに、この非常識な物体は紗絵子に構うことなく、遊んでいる。
 胸の奥に込みあがる熱を自覚する。
 紗絵子はこの熱がなにかを知っていた。
 怒りだ。
 行き場所を失った怒りが、紗絵子の胸の奥で熱く煮えたぎっていた。
 だが、楽しげに舌戦を繰り広げるふたりには届かない。
「・・・だと思って・・・」
 ちりちりと頭の奥でなにかが壊れていくような感覚がする。そこから解放される熱が広がる。
 異常なまでに拡大する頭の奥に、見える。
 自分を構成する法則。今ならその『意味』に直接手が届く。そんな気がして、手を伸ばした。


4.

 紗絵子の様子に先に気がついたのは人形だった。ハッと顔を上げ、セカイの異常に気がつく。
「ちょっと! 待ちなさい! そんなことをしたら、あなたが壊れちゃう!!」「・・・ほぅ」
 人形は紗絵子がしようとしていることに気がついて、制止の声をあげる。その驚きの中に焦りを感じて、紗絵子の暴走する意識は逆に自分が正しいことをしているのだと確信していた。
「もう! この蛮族! そんなことをしたら、幻想の中で構成している現実が壊れてって、ええい!」
 人形の叫びと共に、手の中の意味が深い霧に包まれたかのように遠くなる。その霧の一端をあの人形が握っていた。紗絵子は胸の奥の熱に任せてそれを奪い取る。
「なッ!!」「む、まずいな」
 力任せに世界構成への制御を奪われて人形が絶句した。その様子にぬいぐるみが額?にひれを当てる。
「人事だと思ってぇ!」
 怒りが頭に血を昇らせて、紗絵子は周囲にばらまかれた意味の断片に片っ端から手をいれる。
 存在するということ。
 そのありようを造り還る。
 意味を失い、捻れ、狂う。
 世界が、コワレル。
「なんて無茶を!」「お前が脅すからだ!」
 おかしくなっていく世界に人形が悲鳴をあげた。崩れ、ありようを変貌させていく存在を避けて、逃げまわるぬいぐるみが叫んだ。
「クッ! キセルターク!」
 現れたのは白と金。
 あらゆるものが変色し、捻れ混ざりあう世界の中に、揺るがぬ一本の杖が現れた。からんと鐘の鳴る音が響く。その響きに周囲を取り巻く世界が掻き消された。
「聞こえるか、原住民! この世界と心中したくなければ、こいつの名前を呼んでみろ!」
 オルカのぬいぐるみが全身で右ひれを掻く。ぎゅんと唸りをあげて、宙に現れた杖が紗絵子の正面に浮かんだ。
 でも、その姿を紗絵子は見ていなかった。
 浮かんでは沸きあがる幻想の意味に、紗絵子は自分が何かを忘れてしまうほどに混乱しきっていた。
 歪む世界、捻れていく自分。むやみに掻きまわした世界で、掻きまわされた世界もまた自分自身でもあって。
 そもそもなんのためにこんなことをしているかすら忘れて、心がただの衝動にまで還元されていく。
 自と他の境界を失い、自分も他人も分け隔てなく変質して。
 消えていく。
 ぞくりと背筋を這う恐怖を思いだした。
「あ、ああ・・・」
 自分のありようが、かき消されていく。
 何も見えない。
 当然だ。
 見るという意味を失い、見られるものを失えば、自分も他人も見えない。
 あるのはただ自他の境界を失った、永遠という名の狂気の牢獄だ。
「ああ・・・いやぁ・・・」
 ゆめだ。
 こんなのただのわるいゆめなんだ。
 きっと、すぐに・・・、わた・・し、は、めをさまして・・・。
 わか・・・ら・・ない。なに・・・かぼっとして、わか・・・ら・・・・・・な・。
 からん。
 なにかのおとがきこえたきがして。
 なにかがいるようなきがして。
 わたしは目をこらした。
 これがさいごのちゃんす、と、だれかがささやいてる。これをのがしたら、ちつじょほうかいしたせかいにまきこまれてきえていくのだとなぜかわたしはしっている。それはこわれていくせかいとわたしがどういつだから。だから・・・。
 わかる!
 紛れ込んできた異質。
 壊れていく私の中にあって、いまだ異質な他人を感じる。
 だれ?
 必死になって問いかける。
 急げや急げ・・・。
 あなたは、誰?
 もうすぐ夜明けの日が昇る・・・。
 見えた!
 ねぼすけどもを叩き起こせ・・・。
 伸ばす指先。その先にほっそりとした白い象牙のような杖が。
 頬に目覚めの光差す・・・。
 届いて!!


5.

 急速に色を失い、歪み壊れ行く現象の中、二つ、周囲をきらめく魔法陣に守られた人形とぬいぐるみが浮かんでいた。
「ふ、ふん。やっぱり馬鹿な未開生物だったわ。身のほど知らずにも私の世界に介入した挙句に秩序崩壊だなんて、ほんと、愚かしいにもほどというものがあるわ」
「・・・思いっきり動揺してるぞ」
 悪態をつく人形に、ぬいぐるみはひれで器用に腕を組んで見せた。
「まぁ、尊い犠牲だった。デウス・エクス・マギカ、これで貴様も懲りた・・・ようだったら、アディクト・ヤース崩壊時に懲りてるか」
 人形がぷいとそっぽ向く。
「これに関しては、帝国近衛(インペリアル・ガーズ)、あなただって同罪なんだから!
 第一、なんでキセルタークなのよ。もっと普通のデバイスなら、あの子だって簡単に契約できたでしょうに」
「いや、俺の手元にはアレしかなかったからな。てか、お前のほうがデバイス持ちだろ」
「ふん、どうだか。『絶対の朝(キセルターク)』は幻想世界(アディクト・ヤース)始まりのデバイス。協約世界の至宝よ。そこに異郷の未開人の認識が届くはずがな・・・」
 人形は言葉を切った。
 崩壊していく世界。
 本来なら世界を維持するために持つべき世界法則を意味なく書き換えられ、相互の矛盾に押し潰され原初に還ろうとする終わりの世界に、違和感を感じて周囲を見まわす。そして、気が付いた。
「崩壊が止まっている?」「ああ」
 オルカのぬいぐるみも異常を前に用心深く辺りに意識を向けた。
 感じるのは透明感。
 猥雑な意味に溢れ、熱的死を迎えつつあった世界に透き通る風を感じる。
 それは孵り来たる秩序。その意味するところは、世界の秩序再生だった。
「うそ!」「・・・」
 気配を感じて振り向いた先、虚空に浮かんでいるのは『絶対の朝(キセルターク)』。
 存在という奇跡、その永遠の幻想を繰り返す汎世界に、ただひとつ、新しい朝を告げる幻想の目覚まし時計。
 白い花びらが舞い散る。
 唱和する鐘の音が、幻想の世界に目覚めを告げる。
 花びらに包まれて、白く輝く右手が生まれる。
 それは『絶対の朝(キセルターク)』との繋がりの徴。
 幻想の花びらは杖から少女を包み広がる。右肩からうなじへ、いまだ薄い胸元を包み、優しくお腹を抱きしめる。華奢な背中からほっそりとした腰を包み、すべるようにお尻のラインから太股に、足のつま先までを白い花びらが抱きしめる。
 輝くのは金の円環。
 鳴り響くのは銀の鈴の音。
 黒い髪を金の髪止めが纏め、杖が少女の魔力を受け入れ、少女の(存在)にもっとも相応しい形態に自己を進化させる。
「クィス・エルト・オ・アーク、イ・シュリック・ソー・・」
 少女が詠う。
 幻想の目覚めを。
「キセルタークをフルドライブさせたの!?」
 人形が悲鳴にも似た絶叫をあげた。
 それこそはこの汎世界で幻想の機織りであるデウス・エクス・マギカを討ち滅ぼすことができる、ただひとつの存在だった。
 白いマントを翻し、金の意匠をまとった少女が杖を一振りした。生みだされた四層の複雑な魔法陣が少女を取り巻き、次の瞬間、虚空へ広がる。
「なにをした?」「・・・」
「この世界はとても疲れてたから。だから、休ませてあげようと思って」
 少女が肩をすくめる。
 混沌とした無意味な意味に溢れた世界は、意味の氾濫を止め、透き通るように視界が戻ってくる。それは少女の良く知る世界の写し絵だった。
 しかし、この世界には彼らしかいない。
 その事実が、この世界がいまだ幻想の中にあることを示していた。
「幻想再生。まさか、ここまでやるなんて」
 人形が平静さを取り戻して、少女を見下ろす。
 少女は杖の先をぴたりと人形に向けた。
魔術仕掛けの神(デウス・エクス・マギカ)、私の故郷を幻想世界に融合させようという貴方の試み。そんなの、私が許さない」
 それは少女の世界への宣戦布告だった。


6.

 杖が伝えてくれる。
 それは始まりの物語。
 アディクト・ヤースと呼ばれた幻想の世界の伝説だ。
 でも、その世界は失われた。
 本来的に幻想に属するアディクト・ヤースを現実に属する双子世界ヤース・リットーと融合させる。
 現実に幻想を、幻想を現実に。
 その世界融合実験によって発生した秩序崩壊は、またたくまに二つの世界に広がり、協約世界の中心として繁栄していた両世界を消滅させてしまった。
 実験を行なった融合主義者たちは、わずかに残ったアディクト・ヤースの大地を、幻想世界の欠片を持って、再びかの『始まりの大地』を再生するべく苗床となる世界を探していた。幻想融合させるにはそれなりに知的生命体の発展した世界が必要となる。世界自体に幻想を受け入れる下地が必要なのだ。
 でも、協約世界では駄目だった。
 彼らは協約世界の本国を滅ぼしてしまったから。世界崩壊の記憶は生々しく、その主犯である彼らは世界間犯罪者として追われていた。
 だから、いまだ多元世界を知らず、魔法を理解しない未開世界を探した。そのほうが幻想融合への拒否もなく、与える魔術の技に率先した協力が期待できるからだ。
 そして、目につけられたのが、私たちの世界。
 いまだ幻想を知らず、汎世界への路を知らず、ただ日々の繁栄を謳歌する未開世界。
 再びの幻想融合実験。その苗床として最適だった。
 でも、そんなこと許さない。
 紗絵子は杖が伝えるままに陣を組み、魔力を通す。虚空には次々と大規模な魔法陣が浮かび、幻想打破の魔法陣を組む。
 正面にいるのは、始まりの幻想、物語の機織りの代理人だ。真実の『魔術仕掛けの神(デウス・エクス・マギカ)』は自らがアディクト・ヤースの欠片として、ひとつの幻想世界を形成している。
 だから、討つべきは正面の人形ではなく、人形から繋がる遥か彼方。
 でも・・・。
「あ・・・れ?」
 紗絵子はかくりと崩れ落ちた.
 力が・・・抜ける。

 壮観だった。
 次々と浮かぶ抽象魔法陣。それはビスク・ドールを取り囲むと、世界の位相を変え、人形の本体であるデウス・エクス・マギカの潜む世界への扉を開いていく。
「見事だ」
 思わず唸り声が漏れる。
 伝達と幻想回廊を結合し、少女の背後にひときわ大きな魔法陣が形成される。
 それは幻想破壊の魔法。
 『絶対の朝(キセルターク)』が全ての夢をかき消す、一瞬の奇跡である。
「だが・・・」
 ちらりと人形の様子を見る。
 その姿には先ほどまえでの狼狽はない。
 世界の崩壊に比べ、今のほうがよほど危機的状況にあるにもかかわらず、だ。
 人形は周囲に展開する伝達魔法陣を解呪するでもなく、紗絵子の魔法が展開するのを待っていた。
 しゃりん・・・。
 鈴の音が鳴る。全ての幻想に別れを告げる目覚めの鐘が鳴る。
 それはキセルタークの広域幻想破壊魔法の前兆だ。
 少女を中心に展開した魔法陣から無数の鐘が生みだされ、シャンとひときわ高らかに音を鳴らして人形とその先の幻想回廊を取り囲んだ。
 いや、取り囲もうとして、すべての鐘が消えてゆく。幻想回廊を維持する魔法陣も次々と色を失い、世界を透明な闇に還す。
「あ・・・れ?」
 振り向く。
 その視線の先で、魔法服(デバイス・コネクタ)から元の学校の制服に戻った少女が、虚空に杖を頼りに力なく浮かんでいた。
「チッ」
 オルタネアシウスは舌打ち?を打つと、明らかに魔力切れで疲労した少女と人形の間に入った。
「当然の結果ね」
 余裕の表情で人形が少女を見下ろす。
「幻想への直接アクセス、キセルタークとの契約と全力稼動、秩序崩壊状態からの世界の蘇生、そして、いくつもの世界を渡る回廊の形成と、広範囲な幻想還元。
 いくらキセルタークからの支援を受けていても、しょせんは魔法を知らぬ未開人。ろくな訓練も受けていない状況で、それだけのことを力づくでやろうとすれば、すぐに魔力が尽きてしまうわ」
 人形がやれやれとばかりに首を振った。
 人形のガラスだまの瞳に映るのは、杖にすがりついてかろうじて意識を止めている少女の姿。
 この世界を癒した秩序再生。それだけですでに少女は限界だったはずだ。それでも少女は人形に幻想破壊を行なおうと、いや、人形を滅ぼしても無駄であることを理解して、人形の本体であるデウス・エクス・マギカを滅ぼすべく、いくつもの世界にトンネルを穿ち、幻想の目覚めを告げようと力技でデウス・エクス・マギカへ辿りつこうとした。
 でも、人形は、その背後にあるデウス・エクス・マギカは理解していた。
 届かない。
 少女とキセルタークではデウス・エクス・マギカには届かないということを。
 人形はその双牟に少女を捕らえた。
「あなたの名前は?」「・・・」
 少女は人形の意図が読めず戸惑う。
「未開の蛮族。そう侮ってたわ。ごめんなさい。
 貴方は私のコレクションの円卓に加えるに相応しい存在よ。だから、名前を教えて?」
「紗絵子、仁科紗絵子」「・・・」
 用心深く紗絵子が伝えた。
「そう。サエコね」
 人形は満足げに肯くと、口の中で何度も紗絵子の名前を呟いた。
「ニシナ・サエコ。必ずあなたを私の物語に加えてあげる。今日のところはあなたに免じて退いてあげるから。
 でも、すぐに迎えにいくわ。それまで、せいぜいあがきなさい」
 人形が告げる。
 そして、周囲に遷移魔法陣を描くとその姿は宙にかき消すかのように消えた。
 紗絵子は杖をしっかり握ったままゆっくりと周囲を見まわす。
「行ったようだな」「うん」
 オルカのぬいぐるみがデウス・エクス・マギカが本当にこの世界から立ち去ったことを伝えた。紗絵子は大きくため息をつくと肩から力を抜いた。
「はぁ・・・」
「良くやった。デウス・エクス・マギカに端末として狙われて人形にならずに済んだ始めてのケースだな」「え"」
 ぬいぐるみの言葉に紗絵子はギギギと音がするようなぎこちない動きでぬいぐるみに顔を向けた。
「そなの?」「ああ。まぁ、キセルタークのお影で見逃してもらっただけだろうがな」「そ、そう・・・」
 手に持つ杖がしゃりんと音を立てて縮む。そして、白と金の細微な細工となって紗絵子の右腕に絡まった。
 世界に音が還る。
 見上げる空は藍色で、西の空に僅かな残照が残るばかりだった。


7.

 頭が痛い。
 仁科紗絵子はまだ母親のあらげた声が耳に残っているような気がして、顔をしかめた。
 あれから家に帰った紗絵子はこんな時間になるまで連絡もいれずに遊んでいたことをたっぷり説教されていた。それから、温めなおしてもらった晩ご飯の暖かさがとても嬉しかった。
「人形になるよりはましだろ」「そうね」
 ばふっとベッドに身を投げた紗絵子の頬をぺしぺしと小ぶとりなぬいぐるみが叩く。紗絵子がわずらわしそうにぬいぐるみを払いのけようとして止まった。
「って、なんであなたがここにいるの!」
 がばりと身を起こして紗絵子は当たり前のようにベッドの片隅に鎮座するぬいぐるみを見る。
「・・・なんでって」
 憮然とした様子でぬいぐるみが言った。
「キセルタークは俺が女帝陛下よりお預かりした帝国の至宝だぞ。こんな文明化されていない世界の原住民にくれてやるわけないだろ。
 そんなことしてみろ。横領で俺の首が飛ぶ」
「問題なのはそこ?」「当然だ」
 ぬいぐるみの答えた本音に紗絵子は身体を支える力を失って再び布団に逆戻りした。
「だから、貴様には俺の指揮下に入ってもらうぞ。とりあえず、ヤーシュリット協約絶対軍権守護預りという身分になるが」「ふーん・・・」
 紗絵子は布団から顔も起こさず手をひらひらと振って同意を示した。
「そんなの、なんだっていいよ。もう、限界だから、寝かせて」
 紗絵子はそのまま、もそもそと布団にもぐりこむ。
「なんでもいいだ?」
 憮然とした表情でぬいぐるみはあっさりと眠りに落ちた少女を見下ろした。
「協約世界で絶対軍権守護がどれほどの重みを持つかも知らずに暢気なものだな・・・」
 これだから原住民は。
 ぬいぐるみは器用に肩をすくめた。
「まぁ、案外大物かも知れん」
 少女の寝顔はこれから待ちうける日々も知らずあどけないものだった。


おはなしは ツ ヅ ク

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