0.
失敗した。
やばい。逃げろ。もう駄目。駄目だ。
なんとかここを切り抜けないと!
俺は正面に立つ人物の姿に恐怖していた。
すらりと伸びた長身に見事なスタイル。淡い桃色の髪をポニーテールにまとめた鋭角な表情を持つ女性が俺をその双眸で捉えていた。胸のボリュームはさすがおっぱい魔人。
ああ、なに現実逃避しているんだ、俺。
「貴様にはなんの恨みもない」
正面に立つヴォルケンリッターが烈火の将シグナムは右手に持つアームド・デバイスをかちゃりと鳴らせる。銘はレヴァンティン。アスガルドを炎で滅ぼしたスルトの魔剣。立ち上がる剣気は灼熱の陽炎のように揺らめく。
くそ、これがニート侍の実力かよ。
全身が震える。突き付けられた暴力に、身体が、心が萎縮してしまう。
ジェイル・スカリエッティ、あんたは正しい。こんな化け物相手に正面から戦っていたら命がいくつあっても足りない。機動戦術。ゲリラ戦におけるイニシアティブを利用して遊軍化する以外に対処する方法なんかない。
なのはやフェイトはこんなのと正面から殴りあうのかよ。
無力な自分への憤りが身体に力を取り戻そうとする。しかし、駄目だ。暗い思い出が脳裏をかすめる。突き付けられる拳に怯えきった身体が屈服してしまう。
違う。俺は、わたしじゃ、ない!
じりっと一歩、シグナムが足を進める。
「我らを恨んでくれていい」「待っ・・・」『
Master, wake me up. 』
誤解だ。叫びたい心が萎縮して言葉にならない。俺の胸元のセイクレッドが目の前の脅威を前に起動を求める。その言葉に、飛びつこうとする激しい衝動を必死に堪えて。
『駄目だ』『
Why? 』
絶望にも似た叫びが心に響く。
平和の使者は槍を持たない。
ヴィータの言った言葉が頭をよぎった。正直、あの言葉は相手のペースを乱すための、ただの駆け引きでしかないと思う。でも、今ははやてのためにもここで俺とヴォルケンリッターがやり合うのは避けるべきだった。
「主の未来を血で染めることは望まん。だから、殺しはしない」
それヴィータの台詞だろ。
心の中で突っ込みを入れる。あれ。俺って結構余裕じゃん。
「その代わり」
じりっともう一歩、シグナムが足を進め剣をゆっくりと掲げ・・・。
ゾクリと背筋が凍った。
『
Master, dimensional gate opens. Run away! 』「しまっ!」
あまりの迫力に気圧されてもう一人いるのを忘れさせられていた。自分に注意を引きつけるのが目的だったのか。
見下ろす胸元から生えた白い腕が俺のリンカーコアを掴み取った。
『
Emergency. Auto defense mode inv...』「駄目ッ!」
俺は力任せに胸元にかかったセイクレッドを引き剥がす。首筋に鋭い痛みが走り、銀色のネックレスが弾け跳んだ。
手の中のセイクレッドから伸びる碧色の光の糸が、幾本となく俺のリンカーコアに繋がっている。俺とセイクレッドの同期を示す繋がりが俺の力任せの行動に一本一本引き抜かれていく。
「なにを!」
俺の行動に正面で陽動として注意を引いていたシグナムが驚きの声を上げて駆けよった。デバイスの割り込み起動中にそれを引き剥がす行為の危険性を知っているからだ。胸元から生えた手がリンカーコアを見失った。
このまま、セイクレッドと融合しているリンカーコアを闇の書が吸収したら。セイクレッドの術式が闇の書の闇、自己防衛システムに乱用されたら。
あの3人でも倒せなくなってしまうかもしれない。
ぐいっとセイクレッドを俺のリンカーコアから引き剥がす腕に力をこめる。
痛い。痛い。
『
No, master!』
ぶちりと力任せに引き抜く。
「だめ、だよ」
痛い。心の一部分が次々ともがれ剥ぎ落ちていく。痛みと苦しみに、涙が止まらない。
「そんなの、ぜったい、だめ。・・・」『
Master...』
リンカーコアとセイクレッドをつなぐ糸が急速に薄れて消える。セイクレッドからの繋がりが絶えた痛みと喪失感で身体の中が、魂がぐちゃぐちゃにかき回された感じがする。
誰かの嘆く声が俺の身体を震わせる。
俺はここで消えてしまうかもしれない。でも、最悪の事態だけは。
再び、胸元の手が俺のリンカーコアを捕らえた。
力が抜ける。そんな俺をシグナムが肩を掴んで支えた。
「大丈夫か?」
シグナムの問いに答えず、俺はぐっと右手を突き出した。
ぐっと引き抜かれる感触に吐き気がする。
「・・・やてに。ごめん、て」
はやて、ごめん。
悠里、ごめん。
意識が薄れる。
身体に張り巡らされた魔法が崩れていく。俺が私であるための操り糸が、ほどけてしまう。
俺を構成する奇跡がその術式を支える魔力を失い、急速に自我が拡散していく。
かすかに感じた誰かの右手を取る感触に、俺はセイクレッドを握った手を開いて、意識を手放した。
「シグナム、どうだった?」
分厚い革張りの装丁の本を『旅の窓』を使ってはやての部屋に戻しながら、金色の髪をショートにまとめた女性は合流地点に現れたシグナムに尋ねた。
「一回リンカーコアを見失ったときはどうしようかと思ったわ。シグナムが抑えてくれていて助かっちゃった。予定外だったけど、ずいぶんページも稼げたわ。これで、はやてちゃんは当分大丈夫ね」
にこにこと告げるシャマルはシグナムの堅い表情に小首をかしげる。
「どうしたの?」「あ、ああ」
シグナムが考え込むような表情で手の中のそれを差し出した。
「あら。デバイス?」「そうだ。相手の魔導師から託された」「え?」
シグナムの頷きにシャマルは表情を強ばらせる。
「どうして? 見ていいかしら」「危険はなさそうだがな」
シグナムは削りだされたエメラルドのようなそれをシャマルに差し出す。シャマルは用心深く受け取るとさっと走査した。
「保護モードに入っているわね。名前は?」
シグナムは首を横に振った。
「わからない」「そう」
シャマルはもう一度ゆっくりとデバイスの様子を眺める。解析を拒否する状態だ。たぶん、高度にカスタマイズされたデバイスなのだろう。
特定の相手以外に情報を渡さない、そんな意思すら感じ取れる。
ただ、この状態だとデバイス自体からも大きな行動は取れないのではないかと思う。リンカーコアに接続されていないデバイスではこの状態を維持するのが精一杯だろう。
「難しいわね。特に危険はなさそうだけど」「ならばいい」
シグナムは危険がないことだけを確認すると、再び、デバイスをシャマルから受け取る。
「どうするの?」「託すべき相手が現れるまで私が預かろう」「そう」
シグナムは大切に懐にしまう。と、顔を上げた。その表情にはもはや先ほどまでの険しさはない。
「さて、では戻ろう。急がなければ主はやてがお友達に腕を振るう時間が減ってしまう」「そうね」
救急車の駆け付ける音が大きくなる。先ほど、気を失った少女を結界内に横たえた後、呼んだ救急車が来たのだろう。結界を解除して少女を引き渡す。
シグナムは買い物の荷物を受け取ると現場を背にした。そしてシャマルと共に歩き出す。
なによりも大切な主の元へ。
1.
その日、悠里ちゃんはいつもよりお洒落さんだった。
高町なのはは土曜日の授業が終わると、翠屋のお手伝いに出ていた。ここのところ、ずっと時空管理局の次元戦闘艦巡航L級アースラに詰めていたため、久しぶりのお手伝いだ。ずっと、非日常の毎日から、ようやく当たり前の日々が帰ってきた気がしていた。そんなとき、
小鳥遊悠里がいつもの気にしない格好ではなくお出かけ用の装いでお店のドアを開いて入ってきたのだった。
白いベレー帽に半袖のフリース、そして、白いロングスカートを身にまとって翠屋に現れた彼女はまるでどこかのお嬢さまのようだった。
「いらっしゃいませ、悠里ちゃん。今日はお出かけ?」「うん」
どことなく恥ずかしそうに、悠里ちゃんが頷く。
悠里ちゃん、このはにかむところが人気高いんだよね。
なのははさりげなく首にかけたインテリジェント・デバイス、レイジング・ハートに記録をお願いして悠里の案内に立つ。
「どこかのお嬢さまみたい」「あはは」
なのはの感想に悠里ちゃんは照れたようなどこか乾いた笑いを浮かべた。
「どこかの奇特なお金持ちの家から、女の子向けの古着をいっぱい寄付してもらったの。せっかくだから、感謝も込めて着てみようかなって」
その意味ありげな言い方になのははぴんと来た。きっと、アリサちゃんとすずかちゃんの家から寄付されたものなんだろう。そういえば、どことなく上品な衣服に、すずかちゃんの印象が重なる。
「妹たちもみんな大喜びで。私が今日出かけるって聞いたら、もう大騒ぎ・・・」
喜んでいいのか、叱るべきなのか、困惑した表情で悠里ちゃんが眉を顰める。
ああ、私も混ざりたかったかな。
悠里ちゃんには申し訳ないけど、悠里ちゃんがいろいろな服を着せられて途方にくれる姿が思い浮かんでなのはは笑顔をこぼす。
「笑いごとじゃ・・・。あ、今日はお土産を」「そうなんだ」
席に案内しようとしたなのはを悠里が首を振って止めた。なのははちょっとしゅんとして母親を呼ぶ。
「お母さん」「はい。いらっしゃい、悠里ちゃん」「お邪魔します」「ふふふ、悠里ちゃんはお客さんでしょう?」
ぺこりと頭を下げる悠里ちゃんにショーケースの向こうでお母さんが微笑んだ。
「今日は焼き菓子がお薦めよ」「それじゃあ・・・」
悠里ちゃんがお母さんに薦められたケーキをいくつか買う。
「わかりました。なのは、お母さんが用意しておくから少し休憩していいわよ。悠里ちゃんも少しなのはに付き合って上げて?」「はい」「もう、お母さん!」
悠里ちゃんがちょっと小首をかしげて頷く。なのはは母親の桃子にぷんと頬を膨らませて、でも、内心の嬉しさを隠せずに悠里ちゃんをテーブルに誘う。
「ほい。なのは」「あ、お父さん、えへへ、ありがとう」
父親の士郎がなのはと悠里ちゃんの分のシュークリームを出してくれる。
「悠里ちゃん、飲み物はなにがいい?」「ん、ホットを」「うん」
テーブルに案内したなのはは士郎の元に駆け寄って、水とシュークリームを受け取る。
「大人びた子だな」「うん」
父親の呟きになのはが頷いた。と、士郎が微妙な表情をしていることに気がつく。
「お父さん、どうしたの?」「いや」
士郎はなのはの問いに顎を手で撫でて答えた。
「なにかの覚悟をしているような、そんな気配があってね。まぁ、気のせいだと思うが」
士郎が笑う。
なぜ、この時、もっとお父さんの言うことを訊いておかなかったのだろう。
その日の夕方、悠里ちゃんが病院に運ばれたという話を聞いて、なのははこのことを強く後悔した。
海鳴大学病院に小鳥遊悠里が運ばれた。
かかりつけの石田先生から連絡を受けた八神はやてはシャマルに伴われて急いで病院に駆け付けた。
始めはシグナムを連れていくつもりだったが、もしかしたら、魔法で治療できるかもしれないと、シャマルが申し出たのだ。はやての友達を、悠里を助けるために打てる手を惜しむ必要はなかった。
連絡を入れてくれた石田先生は夕方、面会時間ぎりぎりに駆け付けたはやてを収容された病室に案内してくれる。
その病室の前に、栗色の髪をぴょんと両の頭でまとめた愛敬のある少女が表情を曇らせて廊下の窓辺にたたずんでいた。その隣に立つ眼鏡をかけた高校生ぐらいの女性が少女を気遣うように肩に手を当てていた。
「こんにちは」「こんにちは」
はやては車椅子から彼女たちに声をかけた。シャマルもはやてに倣って挨拶をする。
「こんにちは」「あ、こんにちは」
高校生とおぼしき女性が少しこちらを探るような視線で挨拶を返す。ツイン・テールの少女もあわてて振り返り、ぺこりと頭を下げた。
はやてはその瞳に涙が浮かんでいるのを見た気がした。
「高町さん、なのはちゃん、この子が八神はやてちゃん。今日、悠里ちゃんがお邪魔する予定だった、悠里ちゃんのお友達です」
石田先生の紹介になのはちゃんと呼ばれた少女がばっと勢いよく顔を上げる。
「はじめまして。悠里ちゃんのお友達の高町なのはです。はやてちゃんだよね。悠里ちゃんから話は聞いてます。とてもいい子だって・・・ちょっとえろいけど?」
幸いか、なのはの後半の言葉ははやての耳には届かなかった。はやても悠里からなんどか相談を受けたことがあった子だ。
「私も聞いてます。なのはちゃん、とても強い、とても優しい子やって」
はやては車椅子の中でぺこりと頭を下げた。今日は身体の調子がよくて、こうして身体を動かすことに全然疲れを感じない。
きっと愛やな。
はやては自分の中に溢れる活力に結論づける。
「悠里は?」「今は眠ってます」
すでに会ったであろうなのはに問いかける。はやてはなのはの言葉に頷いた。
「院長先生が付き添いを」「そか」
はやては車椅子をドアに近づけた。シャマルが主の代わりにそっとノックする。
「どうぞ」
穏やかな声がはやてを迎える。はやても聞きおぼえがある声だった。悠里の住む施設の院長先生だ。
「失礼します」
ゆっくりとドアを開ける。はやての正面、ベッドの傍にグレイの修道女の衣装を纏った老齢の女性が立っていた。はやても以前に施設に遊びに行ったとき、会ったことのある女性だった。ベッドに横たわる人影は小柄で、表情は院長先生の影に隠れて見えない。
「はやてさん? 悠里さんがいつもお世話になっていますわね」
静かに微笑む。はやてはシャマルに車椅子を押されてベッドのかたわらまで押し出される。背後で石田先生が後ろ手にドアを締めた。
はやては車椅子の手すりを一押ししてベッドとの間を詰める。
そこには小鳥遊悠里の憔悴した表情があった。
「!!」
なぜか背後でシャマルが息を飲んだ。
「悠里は?」
「外傷はほとんどないわ。ひたすら衰弱している様子で、眠っているだけ」
石田先生が答える。はやてはほっとした。
「そうなんや」
胸を撫で下ろす。はやては車椅子から手を伸ばすと、悠里の頬に触れた。
冷たい頬に、少しでも自分の熱が伝わりますように。
「今夜は私が付き添いますから。はやてさん、今日は悠里がお邪魔できなくてごめんなさいね」「いえ、私がお願いしたわけですし」
院長先生がふかぶかと頭を下げる。はやては素早く手を横に振った。
「でも、大事なくてよかったです」
はやてはもう一度だけ悠里の頬を撫でた。離す手が、名残惜しい。
はやてはいったん車椅子を下げて、身体をひねった。そして、背伸びするようにシャマルに口を寄せる。
「どうなん?」
不安が胸をよぎる。だけど、シャマルは安心させるようににっこりと微笑んだ。
『大丈夫ですよ。2、3日もすれば目が覚めます。しばらくは身体が動かせないかもしれませんが、一週間もすればもとの体調に戻りますよ』
はやてはぱっと笑顔を浮かべる。そして、勢いよく振り向いた。
「ほな、今日のところは帰ります。また、お見舞いにきますから」
「ええ、よろしくね」
院長先生がゆっくりと頷いた。
毎日でもええな。
悠里の寝顔を見て思う。久しぶりに見た悠里の表情は苦しそうで、ここひと月ぐらい会えなかった時間に一体なにがあったのか、気になっていた。
石田先生の開けてくれたドアを通って、廊下に出る。そこにはまだ、なのはちゃんが残っていた。
「なのはちゃん、悠里、すぐ治るって。な、元気出してや?」「うん・・・」
はやてはうかない表情のなのはちゃんに車椅子を近づけて声をかける。
まだ心配なんやろか。
はやては首をかしげた。そこに、逡巡していたなのはが口を開いた。
「あのね、はやてちゃん。その・・・悠里ちゃんのこと、諦めないでほしいの」「へ?」
この子いったいなに言うとんのや。
はやてはなのはの言葉に怒りすら覚えて、きっと見上げる。
「あ・・・、あのね。はやてちゃんは悠里ちゃんの初めてのお友達だって聞いてる」
そのはやての思いが伝わったのか、なのはが慌てて両手を振った。
「そうや」
はやては胸を張る。はやては記憶のない悠里の目覚めて一番始めにできた友達だ。はやてにとっても、悠里は初めての大切な友達。ううん、一番の親友と言ってもいいと胸を張れる。
その親友を諦める?
言っていいことと悪いことがある。
「なのはちゃんかて、悠里の友達やろ。なんでそ・・・、なのはちゃん?」
強く言い返そうとしたはやての前でなのはがぽろりと涙をこぼす。
「うん。ごめんね。大丈夫。きっと、大丈夫」
強く頷くなのはの姿に、はやては失敗した、と思った。そうだった。なのはちゃんははやてと違って悠里がいつごろ目を覚ますかもわからずに不安を抱えているのだ。そんなときに悠里に久しぶりに会えて浮かれていたはやての姿を見れば、いろいろと気になることがあるかもしれなかった。
「せや。悠里のことやから、すぐに、『ん』とか言うて元気になるに違いあらへん。なのはちゃんもなーんも心配なことあらへんから、な」「うん」
はやてはなのはを安心させるように笑顔を浮かべると、石田先生に挨拶をして病院を出る。
シャマルがタクシーを呼ぶ間、はやてはふと病院を見上げた。
悠里の病室はあのへんやろか。
「・・・はやてちゃん」
シャマルの声に車椅子に坐り直してはやては振り向いた。
「みんなのお披露目はまた今度やな」
明るく笑う。今は空元気でも、きっとすぐに会える。
はやてはそう信じた。
2.
『シグナム、聞こえる?』
はやての自宅でソファに坐ってじっと主の帰りを待っていたシグナムは主はやてに同行したシャマルからの念話に素早く応えた。
『どうした?』『・・・ちょっと失敗しちゃったみたい』『なにを言っている』
シグナムは小さくため息をついた。
まさかとは思うが、主はやてのご友人の治療に失敗したのではないだろうな。
時々とはいえ、シャマルはおっちょこちょいなミスを犯すことがある。家事などで起こしている分にはかまわないが、戦闘や治療の場ではそんなことがないことを祈る。
『以前、はやてちゃんに魔導治療が行われている痕跡を見つけたわよね?』
『? ああ、そのおかげで、我々も主はやての身体の不調に気づくことができたが』
シグナムは思い出す。あの苦い認識。稼働を始めた闇の書と守護騎士システム。それ自体が主はやての身体を蝕む病巣そのものだった。そして、今もその症状は進行こそゆっくりになったとはいえ、主はやての命を脅かし続けていた。
だからこそ、誓ったのだ。
たとえ、騎士の名に泥を塗ることになろうと、主はやてのために罪を背負う、と。
『気づくべきだったのよ。はやてちゃんに知られずに魔導治療ができる人なんて、そんなことができる立場の人なんて多くないってことに』
自分の不明を悔やむ声が届く。その言葉の中にシグナムはシャマルの意図を悟っていた。それは、最悪の状況だった。
『まさか!』『そのまさかよ』
シャマルから主はやてが友人に手を伸ばす映像が送られてくる。その表情にシグナムは見覚えがあった。
『なんと言うことだ』『はやてちゃんのお友達を傷つけたのが私たちだったなんて』
シグナムは思わずソファのクッションに拳を打ち立てた。
気づくべきだった。確かに予想できることだった。
主はやてが身体を見せられる相手など、あの医者の石田先生か、主の家に頻繁に泊りに来ていた友人以外あり得ない。
友人が魔導師だった。しかも、主はやてになされていたのはリンカーコアを保護する精微な魔法。それほどの知識と技術を持つのだ。主はやての身体の麻痺が『闇の書』の影響であると気がつかないはずはない。
あの時のことを思い出す。
あの魔導師の口を封じる必要があると判断した理由。
それはあの少女がシグナムとシャマルを見て驚きの声を上げたからだ。
「ヴォルケンリッターが! なぜ!?」
と。
あの少女は知っていたのだ。『闇の書』のことを。そして、何か手違いがあったことに気がついたのだ。
それを我らが先走ってしまったのか。
追い詰めたあの時、確認するべきだった。なぜ、我らを知っているのか、と。
思い起こす。あの少女の最後の言葉。あれは主はやてに会いにいけないことを詫びる言葉だったのではないのか。
『烈火の将らしくない不手際だな』
ザフィーラの念話が響いた。シグナムは頷いた。
『まったくだ。おそらく、焦っていたのだろうな』『ふむ・・・』『・・・』
主はやてのためにリンカーコアを蒐集すると決めた誓い。それを脅かす存在の出現に、強攻策を取った。その結果がこのざまだった。
『で、どうするんだよ』
ヴィータが拗ねるように問いかける。そんなことがあったことは知っていた。ヴィータははやてにぬいぐるみを買ってもらってご機嫌だった気分に水を差された状況に、ご機嫌斜めだった。
『訳を話して、協力してもらうしかない。幸いなことに、命まで奪ったわけではない』
『そうね。『闇の書』が活動を開始したことの意味をきっと知っているでしょうし』『ほかに手もなし、か』
シグナムはあっさりと決断する。
引き込むしかない。本人に手を汚せ、とは言わないまでも、主はやてに迫る命の危機を回避するために、ヴォルケンリッターがリンカーコアを蒐集していることを黙っていてもらわなければ困る。
『断ったら、どうするんだよ』
ヴィータがその困る点を突く。協力を断られたら。管理局に報告されたら。主はやてに漏らされたら。あの少女をどうするべきなのか。
ただでさえ、彼女たちは主の恩人であり、友人である少女を一度、問答無用で襲っているのだ。それが誤りであったからと言って、行ってしまった罪は拭えない。
『そのときは、私が彼女を監視しよう。シャマル、手伝ってもらうぞ』『はい』
主のご友人を殺すわけには行かない。となれば、監視するしかない。
シグナムは主はやてに対して心の中で詫びた。
主はやて、私は不実な騎士です。この責めはいずれ。
時空管理局L級次元戦闘艦アースラは三ヶ月ぶりに時空管理局本局に到着した。
『時の庭園』の崩壊によって心配された次元航路の混乱も次元戦闘艦であるアースラの航行を妨げるほどのものではなく、アースラは順調に本局へのドッキングを行っていた。
『お疲れさま。リンディ提督。予定は順調?』
「ええ、レティ。そっちは問題ない?」
ドッキング自体は優秀な部下たちに任せ、艦長席でお茶にたっぷりの角砂糖を入れながら、リンディ・ハラオウン艦長は久しぶりに会う友人のレティ・ロウラン提督に通信を開いた。
『ドッキング受け入れとアースラ整備の準備も大丈夫よ』
運用部の提督であるレティが明るい様子で答える。そんな仕草にリンディは特に何も問題がないことを確認する。
『そういえば、グレアム提督がお見えだったわ。例のPT事件の絡みで保護監察官の任を受けられたとか』
「まぁ、本当? ずいぶんと手回しが早く進んでいるのね」
リンディは思わず手を打つ。保護監察官がつくとなれば、もう、フェイト・テスタロッサの保護に人員をつける必要はない。フェイトにはずいぶんと窮屈な思いをさせてしまったが、これで少しは自由な行動が許されることになる。
『第97管理外世界はグレアム提督の出身世界だそうだから、ずいぶんと気にされていたみたい』「そう。でも、助かるわ」
安心したように息をつくリンディの様子にレティはその鋭利な表情を緩めてみせた。
『ずいぶんとお気に入りのようね』「ええ」
リンディは迷いなく頷く。
「すごくいい娘なの。とてもまっすぐで不器用だけど情が深い」『へぇ』
感心したようにレティが頷いた。
『すぐに提督から連絡が行くと思うから』「わかったわ」
リンディはお茶をすすると笑顔で手を振った。
「提督に会うのも久しぶりね」
リンディはかつて夫の上司であったギル・グレアム提督のことを思い起こす。それは、そう、少し悲しい過去を揺り起こした。
微かにお茶の苦みが舌に残った。
ギル・グレアムは応接室で彼らを待っていた。
リンディ・ハラオウンは息子のクロノ、そして、保護処分を受けるフェイト・テスタロッサを伴ってグレアム提督を訪ねた。
「久しぶりだね。元気そうで何よりだ」
窓から本局の次元艦発着港を見おろしていたグレアム提督は彼らが入室すると振り返り迎えた。
「お久しぶりです。グレアム提督。お変わりなく」「はっはっは、もう、引退したじじいに過ぎんよ。クロノも立派になったな」「はい。ありがとうございます」
リンディから視線をクロノに、そして、フェイトに向ける。フェイトが向けられた視線にぺこりと頭を下げた。
「君がフェイト・テスタロッサ君か。リンディ提督から話は伺っている。とても優しい子だ、とな」「まぁ、提督ったら」「なに」
リンディの照れたような合いの手にグレアムが破顔する。
そんなやりとりに親愛の情を感じてフェイトが笑みを漏らした。
「うむ。いまだ裁判中の身ということもある。特に私としては君の行動に制限を加えるつもりはないが、リンディ提督の言うことをよく聞いてその指示に従いたまえ。
なに、悪いようにはしない」
暗に裁判の迅速化にも手を貸そうという表現にリンディは笑みを漏らす。そこに、リンディを呼び出す着信があった。リンディは始め無視しようかと思ったが、呼び出し音が緊急を告げるものであったため、すぐにウィンドウを開いた。
グレアム提督やクロノ、フェイトさんが会話を止める。
「失礼しますわ。−−どうしたの?」『艦長、大変です。なのはさんから連絡が!』「なのはさんから?」
リンディは表情を引き締める。
第97管理外世界から引き上げるにあたって現地協力者にジュエル・シード探索についての報告を受けるための連絡プログラムを渡してある。もちろん、それは形式的なものであり、悠里さんの持つジュエル・シードがまだ見つかっていないとの報告を受けるためだけのものだ。なのはさんはそれを乱用するような子ではない。それでも、連絡してきたということはそれなりのことがあったということだ。
「繋げて」『はい』
『あの! リンディ艦長、お久しぶりです』
映し出されたウィンドウの向こうでこわばった表情のなのはさんが頭を下げる。その隣にユーノ・スクライアのフェレット姿を見つけてリンディは気を引き締めた。連絡するかどうか、相談したのだろう。その彼もリンディに報告するべきと判断した事項というわけだ。
「なにがあったのかしら?」『はい。悠里ちゃんが、悠里ちゃんのリンカーコアが、誰かに奪われて』「「!!」」
クロノやフェイトさんが驚いて息を飲む。リンディ自身も驚きはしたが、今は報告を受ける段だ。
「悠里さんの状態は?」『ユーノくんが言うには命には別状ないらしいんですけど、セイクレッドさんもいなくて。もしかしたら・・・』「そう・・・」
ふと、視線を感じてリンディは顔を上げた。
グレアム提督が鋭い視線を向けていた。
ふとした拍子に、目が覚めた。
布団を敷いた部屋は暗く、投げた視線はデジタル時計の液晶画面を捕らえる。
3時49分。まだ、深夜ともいえる時間だった。
ああ、なんか長い夢を見ていたな。
そんな感慨に捕われる。
身体にかけていたタオルケットを剥いで身を起こす。
窓を開けると、むっとした夏の夜の熱気がクーラーで冷えていた部屋の中に流れ込んできた。空気を攪拌する扇風機がゆっくりと天井を向いて首を振っている。
アパートの窓から顔を出し、建物の間から覗く狭い空を探す。
見上げる光の方向には金色の月の輝き。
俺はさっきまでの夢を思い出すように、じっと見つめた。
「馬鹿馬鹿しい」
口に出して頭を振る。
変な夢だった。俺が女の子の身体に乗り移ってアニメの世界で魔法少女をやってるんだって。まったく、冗談じゃない。
ああ、アニメは好きだ。オタと呼びたければ勝手に呼べ。でも、そこまでのめりこむほど、現実に背を向けていない、はずだ。
俺は窓を閉じた。カーテンを閉めて布団に転がる。
夢だ。
あの痛みも苦悩も後悔も。
全部夢だ。
俺は枕に顔をつっ伏すと、堅く目を閉じた。
思い出すと手の中に握りしめた温かい感触まで浮かび上がってきそうで。
俺はそのまま、眠りの中に逃げ込むのだ。
夢の続きを見るのだろうか。
そんな少しばかりの不安と期待とともに。
3.
LinkerCore has been restored.
Retry to connect Pseudo-Core Emphasizer : Too many packets dropped for connection to peer.
Master, please. Please call my name.
Plz...
高町なのはが悠里ちゃんが目を覚ましたという連絡を受け取ったのは、悠里ちゃんが倒れて一週間後のことだった。
面会を告げたなのはに受付の人たちは一様に暗い表情で互いの顔を見合わせる。不吉な予感。そして、なのはは面会の前に、精神療養士の肩書を持った先生に事前注意を受けることになる。
先生の言葉は半ばなのはがユーノくんやリンディ艦長から聞かされていたことだった。
でも、それでも。
先生になのはは頷く。
約束したんだ。私がわたしでなくなっても。
そう。それでも私と悠里ちゃんは友達だって。
看護士さんに案内されて訪れた悠里ちゃんの病室の前には、この間から悠里ちゃんの面会のときに時々会うシャマルさんが待っていた。
「こんにちは」「なのはちゃん、こんにちは」
少し暗い表情で、なのはの挨拶に応える。おそらくは、悠里ちゃんの状態を聞いたのだろう。
中では今、八神はやてちゃんが悠里ちゃんに会っている。
扉が開く。
石田先生に案内されて、車椅子に乗った少女が青ざめた表情で出てきた。
「はやてちゃん・・・」「なのはちゃん、こんにちは」「こんにちは」
「こんにちは」
思わず声をかける。そんななのはに気丈にもはやてちゃんが笑みを浮かべて見せた。
「悠里に会いに来たん」「うん」「そっか・・・」
はやてちゃんは涙を堪えて頷く。その心情はなのはにも痛いほど伝わってきた。
「ほな、会ってやってほしい。私には応えてくれへんかったけど、なのはちゃんになら」
「はやてちゃん!」
なのはは思わず声を張り上げた。その勢いにはやてちゃんはびっくりして目を見開く。眦に浮かぶ涙に、なのはは負けてほしくない、そう思った。
「はやてちゃんは、諦めるの?」「・・・あ」
なのはの言葉にはやてが目を見張った。
「私は諦めないよ。約束したから。手を離さないって、約束したから。
悠里ちゃんが変わってしまっても、私は悠里ちゃんの友達だよ。
悠里ちゃんが忘れてしまっても、私はまた友達になるよ。
はやてちゃんは諦めちゃうの? 悠里ちゃんの一番のお友達って言葉は、嘘じゃないよね?」「あ・・・」
なのはは祈るような気持ちではやてに問いかける。
きっと今が悠里ちゃんにとって一番大変なときだ。そんなときに初めての友達が悠里ちゃんを諦めてしまうだなんて、そんなの嫌だった。
「あはは。そんなの当たり前や。私かてなのはちゃんに負けへん。
そうや。悠里が心を閉ざしても、私が悠里を大事に思っとる気持ちは変わらへん。悠里が私のことちょっと忘れてしもうたかて、また、お友達になればええことや。
私は負けへん。さっきのは気の迷いや」
車椅子の中で、はやてちゃんが強く頷いた。
強く、だれよりも自分にこそ言い聞かせる。
そんなはやての様子になのはは尊敬すら感じる。そして、また、自分も負けないと思う。
さっきまでと違い強い意思のこもったはやての表情を見て、なのはは頷いた。
「あのね。少しお話があるんだ。私が悠里ちゃんと会った後、いいかな」「うん」
話そう。悠里ちゃんのことを。
なのははこれから一緒に頑張る仲間に自分の知っていることを伝えたいと思った。
その前に。
なのはははやてと入れ替わりに扉の前に立つ。
いままで待っていてくれた付き添いの看護士が扉を開けて、なのはは悠里ちゃんの病室に足を踏み入れた。
病室に入ったなのはの目の前で、いつかの少女がベッドに坐っていた。
その姿は何か大切なものを奪われたように、茫然と宙を見つめ続けて、なのはたちの入室にも何の反応も示さない。時折口元が動く。なにか呟いている様子だった。
「悠里ちゃん」
なのはが声をかける。でも、悠里ちゃんは反応を示さない。なのははもう一度声を上げた。
「悠里ちゃん、なのはだよ?」
おずおずと問いかける。
でも、視界の中の彼女は振り向かない。応えてくれない。
そんななのはに看護士の人が話し掛けた。
「なるべく静かに話し掛けてください。時折、混迷状態に陥ることもありますが慌てないで。生命維持には影響ありません」
「それって?」「いきなり意識を失ったり、身体反応がなくなる様態です。そのときは、なるべくゆっくりとベッドに寝かせて上げてください」「はい」
なのははしっかりと頷くと、ベッドの横の椅子に腰を下した。
「悠里ちゃん、みんな心配してるよ。アリサちゃんやすずかちゃん、フェイトちゃんやユーノくん、クロノくんやリンディさんも。みんな、悠里ちゃんのこと心配してる。もちろん、わたしも」
なのはは宙を見つめる悠里の手をとる。
冷たい。
毛布の外に出ていた悠里ちゃんの手は冷えきって、とても冷たかった。
「なんでかな。どうしてなのかな。みんな悠里ちゃんに幸せになってほしいと願ってるのに」
なんでかな。
なのはは悠里の膝に顔を埋めて、少しだけ泣いた。
病院からの帰り道、はやてはシャマルに車椅子を押してもらい考えていた。
「あのね。悠里ちゃんはもともと心の病を持っていたの」
病院の庭でなのはちゃんから聞いた言葉。本当は悠里から聞きたかった言葉。
「それをね、ちょっと魔法で補って、悠里ちゃん、あんな風に普通に過ごしてたんだ」
魔法で。
おどけるように告げたその言葉が真実だと、今のはやてにはわかる。
「でもね。その魔法が解けちゃったんだ」
なのはちゃんが沈む。それはつまり。
「今までの悠里ちゃんは、多分、もういないんだ」
なんでや。
なぁ、悠里。なんでなんや。
「でもね。すべてがなくなったわけじゃないと思うの。
だから、一緒にがんばろ?」
一生懸命の笑顔を浮かべるなのはちゃん。悲しいのは私だけじゃない。
それでも、それでも!
「なんで悠里がこんな目に遭わんとあかんのや」
はやての問いに車椅子を押すシャマルの手が震えた。
それが事件の始まりだった。
管理世界の内外を問わず、リンカーコアを収奪する事件が発生するようになる。これらの事件から、時空管理局はある事件の再来を予感していた。
第一級ロストロギア『闇の書』。
魔力を蒐集し666ページを埋め尽くすことで大破壊をもたらす危険なロストロギアが、10年ぶりに活動を開始したのではないかと事態を重く見た管理局は、捜査担当者にリンディ・ハラオウン提督を指名。彼女の艦隊に対し、次元転移砲『アルカンシェル』の使用許可を出した。
『アルカンシェル』は整備中だったリンディ・ハラオウン提督の乗艦アースラに搭載されることとなる。
時空管理局本局内に臨時に設置された司令部で行われる会議に、高町なのはも出席していた。今回の事件、その最初の事件の現場の調査担当者ということで、リンディ・ハラオウン提督はなのはに席を用意してくれていた。もちろん、それはAAA級の魔導師を手元の戦力として確保しておきたいという思惑もあるのだろう。それでも、なのははこうして正式に参加させてくれるリンディ提督の温情に感謝していた。
会議を始める宣言と共にリンディ提督がこれまでの事件を表示した。
悠里ちゃんが襲われて早三か月が経とうとしていた。その間に起きた魔力の収奪事件は3ケタの大台に迫ろうとしている。それ以外にも、発覚していない事件を考慮すると頭が痛くなるほどのハイペースだ。
なにか焦っている。
こう立て続けに起きる事件からして、犯人たちが急いで『闇の書』を完成させようとしている気配がひしひしと伝わっていた。
「事件はすべてなのはさんの世界から個人転送で移動できる範囲内で起きてるわね」
それはこの事件の始まりが悠里ちゃんの事件であったことも併せて考えると、実行犯たちがなのはの住む第97管理外世界を拠点にしている可能性が高いということだった。
「リンディさん、お願いがあるんです」
なのはは手を上げて立ち上がった。
「なにかしら、なのはさん」
「私に、囮をさせてください」「なのはさん」
リンディさんは眉を顰める。多分、反対なんだろう。
でも、譲れない。これは譲れなかった。
なのはは胸に手を当てて、伝える。
「私、どうしても聞きたいんです。なんでこんなことしてるのか。
どうして、悠里ちゃんを襲わなくちゃならなかったのか。私、どうしても知りたいんです!」
なのはの正面で、リンディ提督は小さくため息をついた。
「いいでしょう」「提督!!」
クロノくんが抗議の声を張り上げる。
「危険すぎます!」「もちろん、バックアップはつけます」
そんなクロノくんをリンディ提督が片手を上げて止めた。少し柔らかな瞳でリンディ提督がなのはに微笑む。
「勝手に行動しないこと。ちゃんと支援の上で行動すること。
この二点を守ることができると約束できるのなら、なのはさんの行動を許可します。直援にはユーノ・スクライアさん。クロノ・ハラオウン執務官は司令部予備としていつでも動けるように」「「はい!」」「はい」
なのはとユーノの声が元気にハモった。わずかに遅れて、クロノくんが頷いた。
「提督」「しかたがないでしょう。なのはさん言い出したら聞かないんですから」「はぁ・・・」
「そんなことないよ! ね、ユーノくん」「そうだよね。頑固だもん」
「ユーノくんまで!」
なのはは声を上げる。みんなの気遣いに胸が熱くなる。
悠里ちゃん、わたし、頑張ってるよ。
4.
憂鬱な梅雨空を階段の踊場から見上げる。
大学前期の試験を終えて、俺は一人煙草をくわえていた。
この試験期間が終われば、すぐに夏休みだ。最近の飛び去るような月日の流れに、俺はめまいがしそうだった。
教室の湿気を逃れて、煙と共に外気を補給する。しかし、湿った空気が喉にからまり肺に重く感じられる。
憂鬱だった。
どうも最近は夢見ごこちと言うか、現実感がない。
おはようからおやすみまで、なんとなくぼうっと過ごしているような気がしていた。
「わかんねぇ」
大きく息を吐いて曇天の空を見上げる。
うねるような黒い雲が灰色の空の中、雨粒を振り下す。
耳には激しい雨音が止まない。
なにも、聞こえない。
「おい、悠里。こんなところでなにをしてるんだ?」
いつの間に降りてきてのか、斎藤が呆れた様子で声をかける。
そういえば、こいつと話したのも久しぶりのような気がする。
「ん。ちょっとな」
めんどくさそうに首をひねって振り向いた俺に、斎藤は肩をすくめた。
「まったく。寝ぼけるのもいいがな」
斎藤は俺の肩を軽くたたくとすぐに階段を下に降りていく。
「あんまり、女を泣かせるもんじゃないぞ。まぁ、ベッドの上ぐらいにしておけ」
「なに言ってやがる」「わはははは・・・」
思わず怒鳴りかえす俺に軽く片手を上げて、雨の中を別の校舎まで駆けていく。
俺はなんとなくそれを見送って、煙草を灰皿に落とした。
「いったい、なんだって言うんだ」
わからない。
だが、どうもあいつの言葉が奇妙に胸の中でしこりのように残った。
ったくよ。
「嘱託魔導師資格ですか?」
フェイト・テスタロッサは面接に来たギル・グレアム提督の言葉に首を傾げた。
「そうだ。管理局に協力する魔導師としての資格試験だよ。これに通れば、それなりに管理局の仕事をしてもらうことにはなるが、更生の意思ありということで裁判における印象も良くなる。それに管理外世界の友人を訪ねるにも許可が下り易い。君にとっては喜ばしいことだと思う。
もしよければ、私の方から推薦状を用意しようと思うが」
フェイトはグレアム提督の言葉に少しだけ頭を傾げると、すぐに頷いた。
「ぜひ」「うん。いい返事だ」
グレアム提督が我が意を得たりと笑みをこぼす。
フェイトは管理局本局内で拘留中だった。しかし、頻繁に訪れてくれるクロノやリンディ艦長、そして、本局を訪れたとき必ず面会をしてくれるなのはから、あの少女、小鳥遊悠里を襲った事態を見聞きしていた。
「なのは、落ち込んでた」「・・・」
思い出す。悠里がいなくなってしまったと寂しげに微笑むその表情に、フェイトは励ますことしかできなくて。
できるなら、すぐにでもなのはと一緒に犯人を探したいのに。
拘留中でさえなければ、裁判さえ早く終われば。
グレアム提督の働きかけもあって、裁判は迅速化されている。もうあと少し。最終審理にまでようやくこぎつけた。
焦っちゃ駄目だ。
フェイトは自分に言い聞かせてきた。今はじっと待つことが、自分にできることすべてだと考えていた。そして、今、これからのためにできることを教えてもらった。
「なのは、悠里、待ってて」
小さく呟くその姿を、罪悪感と共にグレアム提督は見守っていた。
ヴォルケンリッター鉄槌の騎士、ヴィータは苛立たしげに夜空を見上げた。
「ちくしょう。今夜も飛んでやがる」
この第97管理外世界を時空管理局の魔導師とおぼしき魔力反応が警備を始めたのは、この海鳴市に秋の空気が漂いだしたころだった。
この魔力反応はこれ見よがしに魔法を使って挑発を続けていた。
囮だということは一目瞭然。
しかし、管理局がこの世界に目をつけたという事実は彼らの蒐集活動に明らかに負荷を与えていた。蒐集のペースが落ちているという事実はヴィータを一層苛立たせる。
「このままじゃ、はやての身体が」
『闇の書』によるはやての身体への侵食は進行していた。
以前までそれを抑えていた魔術はすでにない。それを再び掛けることができる術者も、事実上死んでいた。彼らが、殺した。
その自らの失態を補うかのようにシグナムの蒐集は過酷なものとなっていたが、それでも病状の一時的な安静をもたらすだけで、彼らの努力をあざ笑うかのようにはやての麻痺は進行していた。
「もう時間がねぇんだ。あたし一人でも」「待て」「待てねぇ!」
いきり立つヴィータをヴォルケンリッター烈火の将、シグナムが止めた。ヴィータが邪魔するなら張り倒すという怒りの眼つきでシグナムを見上げた。
しかし、シグナムは笑みをこぼす。
「なにがおかしいんだよ!」「止めるわけではない。罠と知って戦う以上、罠を食い破る用意がいるといっているだけだ」
シグナムは腰にデバイスを装着する。盾の守護獣ザフィーラも狼の姿から人型になった。
「我らヴォルケンリッターがいつまでも管理局になめられるわけには行かん」
「ふ、そう言うことだ」「それじゃあ、一気に?」
シグナムはヴォルケンリッターを見回した。
「主はやての身体はすでに一刻の猶予もならん。一刻も早く『闇の書』を完成させて主はやてを正式な管理者とする。それ以外にお救いする手立てはない。
管理局が邪魔立てするというのであれば」
シグナムは手の中のデバイスを掲げた。
「叩き潰すのみ」
高町なのはが夜間パトロールを開始してから、早ひと月、蒐集事件の件数はめっきり低下していた。
それは事件の封じ込めに成功しているということでもあり、管理局としては喜ばしいことではあったが、パトロールを実施しているなのは自身の意図とは外れた副産物であり、なのはは不満を抱えていた。
「私は事件を起こした人たちとお話したいんだけど」
うまくいかないね。
なのはは周囲の魔法反応をサーチしながら夜の空を飛ぶ。空を飛ぶことは好きだ。
でも、今は。
『
Caution. Emergency.』
「来た!」
『
Master, area warding magick is expanding. 』
なのはは周囲に張り巡らされた広域結界に声を上げた。
『ユーノくん、クロノくん、予定通りに?』『・・・』
なのはは念話を使ってバックアップの二人を呼び出す。しかし、何の反応もないことに気がつく。
念話が遮断されてる。
なのははすぐにレイジング・ハートを掲げた。
『
It approaches at a high speed. 』
周囲を見回す。すぐに赤い魔力光を見つけた。
『
Homing bullet. 』
その赤い魔力光から分離する魔力弾になのはは右手をかざす。ミッドチルダ式の術式が展開され、シールドとなってその魔力弾を受け止めた。
「くぅ・・・」
重い。
なのはが思っていた以上に、魔力弾の一撃が重かった。
「テートリヒ・シュラーク!」
背後から赤いゴスロリ風のバリア・ジャケットを身にまとった三つ編みのお下げを二つ垂らした少女がハンマーを振りかざして打ちつける。
なのはは左手を広げてシールドをもう一つ展開。そのまま左右のシールドに魔力を込めた。
『
Explosion. 』
両手のシールドが爆発し、拡散する魔力が周囲の目を眩ませる。
『
Flash move. 』
なのははその瞬間に上空に移動すると、赤い少女にレイジング・ハートを向けた。
『
Shooting mode. 』
「話を」『
Devine Buster.』「聞いてってばぁ!」
レイジング・ハートを幾重もの魔法陣が回転し、桜色の魔力の奔流が赤い少女に叩きつけられた。
5.
白い、白い部屋の中。
少女は右手に持つ男の子を象った人形に話し掛けていた。
「そう。みんな夢。ただの夢。だから、忘れちゃお」
少女が興味を惹かれたただ一つのもの。彼女は他のなににも目もくれず、ただ、その人形だけを望んだ。
少女がその人形につけた名前は『悠里』。彼女自身の名前をなぜか少女は性別の違う人形に名付けていた。
「悠里はいいんだよ。もう戦わなくても、悩まなくても、苦しまなくてもいい」
少女は右手に持つ小さな布の人形を大切そうに抱きしめた。
「ずっといっしょ。わたしが一緒だから」
ここにいればもう『悠里』は傷つかない。
ここにいればもう『悠里』は悩まない。
ここにいればもう『悠里』は悲しまない。
「今度はわたしがずっと守ってあげるの。わたしの、わたしだけの『悠里』」
そう。
ずっと少女の味方だった『悠里』を今度は少女が守る。
その傷つきやすい心を。幸せの夢で。安逸の幻で。
「だから、もう大丈夫だから」
もうお節介な邪魔ものはいない。『悠里』を求める少女を縛っていた鎖は、もうない。
ここにいるのは少女と『悠里』だけ。
「夢なんて、忘れちゃえ」
少女は囁き続ける。
『悠里』に、『悠里』だけに。
少女は真っ白な楽園の中で幸せそうに微笑んだ。