0.
そして、彼女はこう言った。
とても儚くて、でも、とても綺麗な笑顔を浮かべて。
「だから、お願い。
私が私でなくなっても、わたしの友達でいて。私でないわたしの、友達になってあげて、ね」
なにも知らなかった。
気がついてもいなかった。
大切なことは、いつも手遅れになってから思いだすんだ。
1.
俺はトレイのものを平らげると手を合わせて目を瞑った。
「ごちそうさまでした」「はい。おそまつさま」
周囲に座る看護婦さんたちが楽しそうに俺の仕草を見守る。若干、居心地の悪さを憶えつつ、トレイの上のお茶を手に取った。
病院での生活もこれで一週間になる。
いろいろと訳ありの事情から気にかけてくれているのだろう。先生や看護婦の人たちにもずいぶんと顔見知りも増え、食堂ではたいてい誰かが一緒に食べようと声をかけてくれる。
ありがたいことだ。
傍から見ると俺はどうやら薄幸の少女に見えるらしい。
確かに
小鳥遊悠里は薄幸の少女だと思うんだが、俺のことじゃないから、ちょっとぴんと来なかったりする。それがまた記憶喪失ということもあって、いや、俺、この少女としての記憶ないからな、当たり前に振舞っても健気に見えるらしい。
や、それ誤解だから。
ただ、周りの誤解には大いに助かっている。だって、俺って少女歴1週間の素人さんですよ。
もうね、初めてのお手洗いなんか、こう女性用に入るだけでも羞恥心全開でしたよ。噂の女性のエチケット装備のさまざまや、この少女の秘密の部分なんて、正直、人として大切ななにかが一つ一つ壊れていくようで。
看護婦さんたちも親切なんだけど、身体が動かないときに受けたアルコール洗浄なんて、その、もう駄目かなってくらい隅から隅まで、そのほんとに凄いところを一つ一つ、ショックで半分気絶してました。もう、二度としません。勘弁してください。
シャワーを浴びる補助もしてもらうと、髪の毛まで綺麗に洗ってくれて、長すぎる髪を切るといったときには、代わる代わるもったいないって説得しに来てくれましたよ。泣いて止める人まで現れて、結局、セミロングで肩に毛先がかかる程度で許してもらいました。
ほんと、お人形さん状態だよ。下着とかも用意してもらったので、文句なんてとても言えんが。男として大切なものがいろいろと失われてしまった長い一週間だった。
でも、ベッド数に余裕があるのか、個室をずっと与えられてずいぶん助かったのも確か。なんというか、いろいろと奇行をしても、抗議されないだろ。入院費用についても聞いてみたことがあるんだが、どうも悠里ちゃんは心配しなくていい、ということらしい。自業自得だが、父親、ご愁傷さま。
とはいえ、やっぱり時間はありすぎるわけで、たまに遊びに来てくれる友達は貴重だったりする。
「おはようさん、悠里。今日も暇そうやな」「うん」
小さく頷く。別に内気と言う訳じゃないんだが、あまり話すとぼろが出るから、な。
車椅子に乗って現れた八神はやてに身体ごと振りかえる。
あれからはやては診察のついでと言いながら、頻繁に遊びに来てくれる。
懐かれたか。
嬉しいけど、微妙だ。や、俺主役と絡む趣味ないし、脇で微妙にいたりいなかったりする程度でお願いしたいんだわ。
「はやて、おはよ」「おはよう」
まぁ、もう痛みはないんだけど、なんとなくあまり動かない癖がついたか、俺。良くない傾向だな。
はやての車椅子が止まる。俺はすぐそばの窓枠に腰をかけた。こうすると、大体はやてと同じぐらいの高さだ。
そんな俺をはやてがちょっとまぶしそうに目を細める。
「時々なんやけど、悠里、格好ええな」「?」
首を傾げる。特に意識したことないんだが。
「こう動きにキレがあるっちゅうか、静と動のギャップがはっとさせるっちゅうか。なんか、ええねん」「そお?」
まぁ、傍から見たらそう感じるのかも。
「髪、切ってもうたんな」「うん。暑いし」「あー、悠里はそうかもしれへんなぁ」
なんかわかられてますよ、俺。暖かな目で見られると罪の意識が、その。
「包帯取れたんや」「うん。もともと大した怪我じゃないし」「そっか」
見なれたはずの入院服を着た格好から、包帯やガーゼがなくなったことにはやてがちょっと迷うように目を泳がせる。
「退院したら、はやての家に遊びに行くね」「うん! 絶対や!」
がちゃりと車椅子が音を立てるほど勢い込むはやて。危ないぞ。一度、はやてのリンカーコアの状態を診察したかったから、ちょうどいいか。
「はやての家はどこ?」「海鳴中央のほうや」「・・・わかんない」
場所を言われても、ちょっとなぁ。
「駅のほうから10分ぐらいなんやけど」
「わたし、記憶がないから、海鳴の地理、ぜんぜんわからないの」「え・・・」
首を傾げるはやてにこちらの事情を説明する。あっけに取られるはやてに、俺は畳みこんだ。
「だから、はやてにいろいろなお店を教えてもらえると嬉しい」「あ、うん。まかしとき!」
はやてが胸を叩いて肯く。俺は立ちあがると、車椅子の背後に回って押す。
「ロビーに地図があったから、教えて。私の連絡先は、石田先生に聞けばわかるから」「うん。ほな、はよ行こか」
そういえば、引き取り先ってどうなったんだろ。
俺ははやての車椅子を押してロビーの大きな海鳴全市地図を探した。
2.
石田先生が教えてくれた孤児院ははやての家の駅を挟んで反対側、山側のミッション系の施設だった。孤児の数は10人弱と少ない。小規模なところだ。
・・・確かさざなみ寮もこっちだったような気が。
いや、気のせいだ。第一、舞台が同じだからって、登場人物まで同じとは限らない。
はやての存在を例外だと、自分に言い聞かせる。や、魔砲少女と知り合う気、なっしんぐっすよ。
タクシーを降り、施設のベルを押す。安っぽいブザーに落ち着く。やっぱ、こうだよね。
「いらっしゃい、君が小鳥遊悠里ちゃんだね」
出迎えの50ぐらいのおじさんにお辞儀する。
「はい。今日からこちらにお世話になる小鳥遊悠里です。よろしくお願いします」「はい」
「あらあら、礼儀の正しいお嬢さんね」
奥側から初老のお婆様が笑顔で出迎えしてくれる。衣装からすると、この人は修道女さんのようだった。
「さ、中へ。みなさんに紹介しますね」「お願いします」
ん。好印象。よほどなにか皮を被ってなければ大丈夫かと思う。まぁ、被虐待児童を受けいれようというのだから、それなりの覚悟がないとやってられないだろう。そう言う意味では安牌か。あとは子供たち次第・・・。
中に入って、視線が集まる。
俺は思わず立ち止まった。
ぱん、ぱ、ぱん。
クラッカーの音が響く。
「せいのっ」「「「「「悠里おねえちゃん、いらっしゃい!」」」」」
若い!
思わず見まわす。誰もが小学校前のように見える。ただ、俺は半ば納得していた。近年の少子化傾向で養子縁組の引き合いは多いらしい。ただ、ある程度の高学年になると教育費の負担やいろいろな人間関係の難しさから、逆にぱったりと減ってしまう。おそらくここは高学年の子供たちが自立してしまった状況なのだろう。だから、俺、この少女のように難しい娘も引き取る気になれたのではないだろうか。
みんなの期待に満ちた表情にちょっと不安そうな影が浮かぶ。あ、しまった。
「みんな、ありがとう。これからみんなのお姉さんになる悠里です。よろしくね」
みんなに届くよう、伝える声。
ほっとした表情に変わって、次の瞬間、子供たちのタックルに転びそうになった。
「「「「「わぁぁぁぁ・・・・」」」」」
じゃれついてくる子供たち、ちょっと出遅れて困った顔をしている子も手招きをする。
にぎやかしくも騒がしい。
それでもここで、なんとかやっていけるんじゃないかと、俺はこのとき思った。
甘かった。
俺は院長先生から俺が通う小学校の制服を渡されたとき、自分の見通しの甘さに落ちこんでいた。
渡されたのは白を基調にした黒いラインが入った制服。俺は悲しいことにこの制服を見知っていた。
「これは?」
少し疑問を抱いたように問いかける。院長先生が優しく微笑みかける。
「悠里さんが通う私立聖祥大付属小学校の制服ですよ」
勘弁してください。
思いっきり、危険な小学校じゃないですか。
俺は戸惑うように問いかける。
「私立なんですか?」「ええ」
俺は院長先生のご厚意に心の中で手を合わせ、首を振った。
「そんな。その、高いんじゃないんですか?」
いろいろと。そう、いろいろと高くつきますよ。ですから、お願いします。普通の公立で・・・。
「福祉活動の一環として、聖祥は当孤児院の子供たちの授業料を免除しております。ですから、悠里さんが心配するようなことはなにもありませんよ」
いや、ありますよ。思いっきり、白い悪魔とか。
なんとか必死に頭を回す。なんとか聖祥を回避する方法はないか。
「それに」
俺の必死の努力を見ぬくように院長先生がいたずらっぽい笑みを浮かべて見せた。
「私は聖祥の理事をしていますから」
終わった。
ここに来た時から、すでに勝負はついていたのだ。
俺はがっくりと肩を落とした。
「わかりました。
それから、その、院長先生ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる。
院長先生はなぜか痛ましいように俺を見る。
ん、まぁ、傍から見れば、確かに同情に値するしな。
だがよ、俺は別の意味で同情してほしかったよ。
いや、まだ勝負は決まったわけじゃない。
そう。聖祥で彼女たちと関わらなければいいんだ。
諦めたら、そこで終わり。そうですよね、安西先生!
お願い。そうだと言って。
・・・・・・。
返事がない。ただの屍のようだ。
「はい、みなさん。今日から皆さんの新しいお友達になる小鳥遊悠里ちゃんです。じゃ、小鳥遊さん」
「はい」
うへぇ、このクラスは地獄だぜ。
「今日からこのクラスで皆さんと一緒に勉強させていただく、小鳥遊悠里です。
勝手がわからずいろいろとご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
俺は両手を前にそろえて、ゆっくりとお辞儀する。
あー、そこの金髪の天才少女。値踏みするようにこちらを見なくていいから。いや、奥の人外の美少女も目があったからって、そんな柔らかく微笑まなくても。
・・・そして、そこの白い悪魔。そんな期待するようなわくわくした目でこっち見んな!
心の中で目の幅の涙を流しながら、俺は俺にできる精一杯の笑顔で微笑んだ。
ああ、みんな可愛いねぇ。
え? 現実と戦わなきゃって?
いや、もう、現実はごちそうさまですよ。
朝のSHRが終わるやいなや、俺は少女たちに取り囲まれていた。
君ら元気すぎ。
これが若さか、と思う間もなく矢継ぎ早に押し寄せてくる質問にめまいする。
「ちょっと、みんなそんなに一杯質問したら駄目だよ」「小鳥遊さんも誰に答えていいのか困ってますよ」
だから、いいだろ? そんな状況から助けてくれた彼女たちが誰かわかっていなかったとしても!
正面には月村すずか、右手にはアリサ・バニングス、そして、左手に白い悪魔、高町なのはを迎え、お昼を食べる事態になるなんて、冗談じゃないですよ。
え、本音ですか? いやー、みんな可愛いね(棒読み
3.
ようやく落ち着いたころに、俺は院長先生にお願いをした。週末に友達の、八神はやての自宅にお泊りさせてほしいと。
先日も街中を樹木が生い茂ってしまうという異常な事件があったばかりなので、院長先生は少し考えた後、先生自身が連絡するということで許可を出してくれた。
んでもって、海鳴の市街に向かって歩いていたときのことだった。周囲を見渡すと、まだ、修理し切れていない塀の壊れた跡や伐採されていない木が残っていた。
「セイクレッド」『
Yes, master.』
俺はふと感じた違和感にデバイスに呼びかけた。
『
Warding has been expanded. Be careful.』「ん」
心を伸ばし、繋がる感触。
セイクレッドの探知した結界の位置を把握する。そこそこの広さと強度に術者を特定する。
「ユーノ・スクライアか」『...
Register magick pattern as Yuuno Scrya.』
なかば呆れた様子でセイクレッドがユーノ君の魔力を登録する。
『
How you'd like to do?』
セイクレッドの問いかけに、しかし、俺は首を振った。
あの努力家の魔法少女から、実戦の機会を奪うつもりはない。いずれ現れるライバルを前に、彼女には魔法戦に慣れておいてもらう必要がある。
え、最近諦めていないかって?
いやいや、予断を許していないだけですよ。
この世界がリリカル☆なのはの世界かどうかについては、これだけの偶然に囲まれると認めざるを得ない。だからといって、未来が全てその通りとは限らない。だとしたら、最悪に備える。それしかない。
「関わるつもりはない。・・・様子は見られるか?」
でも、やっぱりちょっと気になって、俺はセイクレッドに問いかけた。
『
Yes, of course.』
首にかけたセイクレッドが薄い碧の魔法円を形成する。
視界が飛ぶ。
大型化した鳥のような黒い影が白いバリア・ジャケットを身にまとった栗色の髪の少女の周囲を飛び交う。
少女に目立った怪我の様子はない。
相手の速度に悩まされながらも、少女はいくつものスフィアを形成し、射撃を行っていた。
「うん。問題はないな」
伝わるユーノ君の指示も適切っぽい。あの鳥では少女の防護を打ち破れない。
「じきに終わるだろ」『
I think so, too.』
高町なのはは大丈夫。
気を抜くのが早すぎて、結構隙をつかれるタイプだが、逆に戦闘中の集中力はすばらしいものがある。
その辺を周りがサポートするようにすれば、あの事件も避けることができるだろう。
だから、まずはこちら。
どきどき八神はやて、お宅訪問、の方が重要だった。
「ま、今の段階で夜天の魔導書をどうのという話にはならんだろうが」『
But it's necessary to pay attention.』「そうだな」
俺は手元のケーキをチェック。駅前で買ってきた一口サイズのアソートだ。
「よし!」『
What you do?』「いや、ちゃんとお土産も万全だ」『
Are you all right?』
「ま、それはさておき、八神はやてはギル・グレアム提督の監視下にある可能性がある。感づかれないようにな」『
Why you can ...』
ちょっと間を開けて、セイクレッドが輝いた。
『
OK, master. Change to silent mode.』
よし。戦闘準備は万全だ。
俺は軽く頬を叩くと、教えられた住所を探し始めた。
八神家は意外に早く見つかった。
プチ・ブルジョワジーって感じの家だが、この家に障害を抱えた少女一人しか住んでいないと考えると、逆に悪意すら感じ取れる。
いや、おそらくはその通りなのだ。
彼のこの対応は憎しみと贖罪の入り混じったがゆえのものなのだろう。
だからと言って、言い訳できるってもんじゃねぇけどな。
いずれ封印するから、と年端もいかない少女を孤独に落とし、いずれ封印するから、それまでの生活を援助する。
ただの自己満足じゃねぇか!
俺は思わず地面に唾を吐き捨てそうになる。
む、怒りにかまけて軽率な行動を取るところだった。この家の周囲はあのリーゼとか言う猫の双子に監視されていても不思議はない。
俺は胸元に手を当てて自分の呼吸を整える、振りをする。目の前にはインターフォン。擬装は十分だろう。
「セイクレッド、なんらかの魔法を感じるか?」『
No, master. Perhaps, their observation system is also built passive.』
「じゃ、精度勝負か」『
Yes, I guess. But my magick can't find their magicatology.』
「へぇ、大した自信だ」『
Just a fact.』
誇らしそうに響く声に思わず苦笑する。
「あー、そろそろええか?」
頭上から聞き憶えがある声が響いた。
「ちょ、おま・・・」『・・・』
上を見上げると、八神はやてが二階の窓から顔を出して手を振っていた。
「こほん。はやて、おっす」「おっす」
小さく咳払いをしてはやてにぴっと額に当てた右手を振る。はやても真似をして敬礼のような挨拶を返した。
「というか、いつから?」「んー、ぶるじょわめーとか言ってたとこからかな」
orz
双子の猫以前に、はやてに見られていたよ。
危なかった。たぶん、はやては2階の窓からずっと外を見て待っていたのだ。
初めての友達が家に遊びに来るのを、窓から外を眺めてずっと待っていたのだ。
あやうく失望させるところだった。いくらギル・グレアムに対する怒りでも、それと知らないはやてからみれば自分に怒りが向けられていると誤解してしまうかもしれない。そうなると、ま、色々手間だ。
面倒だよな、女の機嫌取るのって。
「すぐ行くさかい、ちょっと待ってぇな」「ん」
肯く。自動でロックの外れた門扉を通り、玄関の前で待つことしばし、かちゃりと鍵が外れ、手すりにしがみついたはやてが笑顔で俺を迎えてくれる。
「いらっしゃいや、悠里」「おじゃまします」
ぺこりと一礼。笑顔を交わす。
そして、はやての身体を半ば抱えるように、俺は八神家の玄関をくぐった。
4.
夕食の買い物を終えて、八神はやての家の中、ソファに座ってコーヒーを呑む。
「手伝わせてしもうて、悪いなぁ」
台所からはやての声。とんとんと包丁が立てる慣れたリズム。
「別に悪くない。前にも言ったはず。はやてはもっと私を頼っていい。友達なんだから」「・・・うん」
うわぁ、恥ずい。
自分で言って、かなりダメージを受けましたよ。ちょっと耳元が熱いや。はやてがここにいなくて良かった。
ちなみに台所には立ち入り禁止を食らってしまった。ふたりで近くのスーパーに買いだしに行ったから、料理ははやてが腕を振るうらしい。皿だけ用意して、コーヒーを呑みながら待つ。台所からはやての鼻歌が聞こえた。
「せや。今度はわたしが悠里の家にお泊りしてもええかな?」
「いいよ」
俺は気楽に答える。もともとそれなりの人数がいるわけだし、一人増えても問題はないと思う。
「でも、少し距離があるから、車の方がいい。事前に私がこっちに来るから」「お願いや。そう言えば、悠里の家、どこにあるのか、まだ聞いてへんかったわ」「?」
俺は首を傾げた。てっきり石田先生から聞いているものかと思ってたんだが。ああ、個人情報の守秘義務ってやつか。お医者さんも大変だ。
「山手の児童養護施設だよ。みんないい子だから、きっとはやてが遊びにきたら喜ぶ」「あ・・・」
うん、それは確かだ。
肯く。そして、そのほうがはやてのためにもいい。こんな広くて暗い部屋に閉じ込められて生きるなんて、いいはずがない。
ん、レスポンスがないな?
そう言えば、包丁の音もしない。
俺は弾みをつけてソファから立ちあがると、キッチンをそっと覗きこんだ。
はやては車椅子の中で顔を伏せていた。
「はやて、体調が悪いの?」
俺の声にびくりと車椅子の中で身を縮ませたはやてが首を振る。俺ははやてのそばに立つと、その小さな肩に手を置いた。ざっと火周りをチェック。ん、問題なし。
「ごめんなぁ・・・」「ん?」
はやての気弱な声。弱さを見せてくれるのは嬉しいけど、なぜかがわからん。
俺ははやての耳元に顔を近づけた。
「どうしたの?」「わたし、悠里のことなんも知らへんで・・・」
ああ、そんなことか。
腑に落ちる。はやて自身もいろいろと言われたことがあったんだろう。自分の言葉が俺を傷つけたんじゃないかって落ち込んでいたんだ。
俺は苦笑した。
「はやて、それはフェアじゃない」「は?」
きょとんとした目が俺を迎える。その双眸に浮かぶ涙にちょっと心が痛んだ。ポケットからハンカチを取りだして、手を伸ばして、そっと拭う。
そう。フェアじゃない。
「私はちょっとばかりはやての事情を知っている。それはそれを知る事情があったから。でも、はやてには私のことを知るチャンスがなかった。
だから、はやてが私のことを知ろうというのは嬉しい。知ってほしい。時間はまだあるから、今は話せないこともあるけど、いつかきっと、みんなわかるから」「うん。うん・・・」
はやてが肩に置いた俺の手に手を重ねて、繰り返し肯く。
まぁ、いつか、全部話せたら、いい。ま、人として無理だけど。
俺は心の中でひっそりと呟く。胸元のセイクレッドが同意するように微かに輝いた気がした。
俺ははやての部屋の床に布団を敷いた。
ふと、見上げる本棚には分厚い装丁の一冊の本があることに気がつく。
『
Don't touch master.』
手を伸ばして、セイクレッドの警告に動きを止める。
確かに危なかった。
不用意に接触することで活性化されたら、いろいろと問題を起こすかもしれない。
「悠里、ちょお、扉を開けてぇ」「うん」
お茶のセットを持って車椅子で部屋に入ってくるはやてを手伝う。机にお茶とお菓子を置いて、二人ではやてのベッドに座ろうと・・・。
「「しまった(しもた)」」
床に先に布団を敷いてしまったので、車椅子が通れなかった。
ふたりで顔を見合わせて、笑う。
「もう、あかんなぁ」
照れくさそうにはやてが頭を掻いた。初めてのお泊りということで舞い上がってたのかも知れない。
・・・馴染んでしまったら、負けだよな、俺。
ちょっと考えて俺はセイクレッドに問いかけた。
「できるか?」『
Yes, wait a little. 』
碧の光が身体に染みこんでいく。俺は車椅子の前に立つと、はやてに覆い被さった。
「ちょ、ちょい待ちぃ!!」「待たない」
俺はぐっとはやての身体を抱き抱えると、横に持ち上げた。俗に言う、お姫さま抱っこという奴ですよ。
「あかん。わたし、むっちゃ恥ずかしいわ」「それを言わない」
腕の中で身を縮めるはやてを見ないようにベッドに向かう。柔らかな髪がパジャマの隙間から入り込んでこそぐったい。ミルクのような柔らかな甘い匂いがした。
「よっと」
やさしく、はやてをベッドに横たえる。
・・・そこ、これは18禁じゃないからな。第一、9歳の子供に欲情するもんか。
「・・・おおきに」「どういたしまして」
寝転ぶはやての手前に腰かける。
「悠里、意外とまっちょやな」「違う」
そう、ちょっとしたズルをしただけだが。
ん。そういえば、ちょうどいいか。
「ねぇ、はやて」「なんや?」「はやての脚を見せてほしい」
「・・・」
どうだろう。正直、早すぎるかと思わなくもないが、こういうことは最初にやっておいたほうが後々気まずくならないだろう。
はやては頬を赤くして肯いた。
「あんまり、人様にお見せできるもんやないけど・・・。
悠里になら、ええよ」
そう言って、はやてが笑う。
やべっ。ちょっと、ツボだったかも。
「・・・うん」
俺は恥ずかしさで耳まで熱くなりながら、ベッドでパジャマの上を押えたはやての太股に手を伸ばした。
なんか、エロいよ。
じっと意識を集中して、セイクレッドを起動した。指先に感覚を集中して、魔力の流れを感じ取る。パジャマの上から感じる筋肉が落ちて痩せた太股が痛々しい。
「どう?」『
Found their lines to her LinkerCore.』
セイクレッドが俺の視界にはやてのリンカーコアから流れる魔力線を重ね合わせる。その結束部が暗く陰っている様子が見て取れる。
俺はその腰の上辺りに手を伸ばした。リンカーコアに繋がる身体の魔力吸収線が未発達な部位で閉塞し、下半身の麻痺を引き起こしているようだった。
「はやて、この辺りが痛むことがあるでしょ?」「へ?」
俺の言葉にはやてが頭を起こした。目が丸くなっている。
「悠里、よくわかったなぁ」「うん、ちょっとね」
しまったか。だが、これが目的で来たわけだしな。
「ちょっと、痛いところを追うよ?」「う、うん。ええよ」
両手から魔力を当てて、リンカーコアへ繋がるラインを整える。これだけでも定期的に行えば、未発達のリンカーコアが活性化して痛みが和らぐはず。
「なんか、悠里の手、気持ちええわぁ」「そう?」
俺はセイクレッドの指定に合わせて、ゆっくりと魔力を注ぐ。
「ここも痛むときがあるでしょ?」
心臓の位置にあるコアにやさしく手を当てる。
とくんとくん・・・。
はやての心臓の動きが置いた右手の下から感じられた。
「そや。・・・悠里はわたしの病気のこと知ってるんか?」
「うん」
ゆっくり、ゆっくり。
セイクレッドの指示に合わせて、はやてのリンカーコアに魔力で包むように。
あまりに急激に魔力を浴びせると、逆にリンカーコアが過剰反応してしまうから。
セイクレッドの制御で硝子の器を包む綿のように、優しく暖める。
「今はこれぐらいしかできないけど」
「・・・」
返事がない。
顔をあげると、はやては心地よさそうに寝息を立てていた。
む、風邪を引くな。
俺ははやての身体をそっと起こさないよう持ち上げると布団の中に収める。
胸元まで掛け布をかぶせて、俺ははやての頬に手を伸ばし、そっと撫でた。
「なんで、こんないい娘を・・・」
怒りがこみあげる。
見上げる先には、はやてを苦しめる闇の書がある。でも、この書も主を殺してしまう自分に嘆き続けている。
過去の過ちが延々と悲劇を量産し続けている。それを止めるには、はやてを悲しませるしかなくて。
「なぁ、セイクレッド」『・・・
Sorry, master.』
そう。俺たちは無力だった。
静かな部屋の中で、俺は唇をかみしめた。
5.
部屋に差し込む月の光が眩しくて、ふと八神はやては目蓋を開けた。
いつのまにか、窓が開けられていた。そして、そこから流れてくる夜気にはやては少し肩を震わせた。
窓閉めてへんかったか?
ぼんやりとした頭で寝返りを打つ。窓の下には一人の少女の影があった。
ああ、そう言えば今日は悠里がお泊りやったな。
頬が緩む。枕が変わって眠れへんかったんか。悠里も可愛ええなぁ。
はやては悠里に声をかけようとして、違和感を覚えた。
筋の入ったようなぴんと伸びた背中。月の光に照らされて、視線を落とし、でも、その瞳にはなにも映っていない。
まるで何もかもを諦めてしまった老人のように。
暗い、昏い、眼差しに、ぞくりと背筋が震えた。
「・・・あんたは誰や?」
闇の中、月に照らされて浮かび上がる少女の姿に、はやては確信していた。目の前の少女が彼女の友達である小鳥遊悠里とは違う存在であるということを。
少女がはやてに視線を向けた。
その昏い視線に熱が篭る。その熱に息苦しいものをはやては感じた。
「渡さない」
少女が応える。彼女と同じ鈴やかな声で、重く暗い情念をはきだす。
これは、嫉妬や。
「あなたに悠里は渡さない」
「なんやて!」
はやてはくっと少女を睨みつける。しかし、少女の瞳に浮かぶ苦しいまでの切望と怖れに、どこか見覚えがあって、はやては言葉を失った。
「わたしだけの悠里を、あなたなんかに渡さない」
そう。はやてには憶えがあった。きっとそれは大切なただ一人を失いたくない、奪われたくないという必死の想いだった。
「あなたはきっとわたしの悠里を・・・」『・・・』
と、少女の胸元で淡い碧色の光が走った。なにかの囁きが耳ではなく、心に響く。
次の瞬間、少女が目を瞑り、ゆっくりとかぶりを振った。
「・・・あれ?」「悠里?」
少し間の抜けた調子にいつもの口調を感じて、はやては少女の名前を呼んだ。
「はやて?」
目をこすりながら、小鳥遊悠里がはやてに問いかけた。
「どうしたの?」「・・・ああ、ちょっと寝つかれへんでな」「そう」
あっさりと肯く。
ああ、いつもの悠里や。
はやては胸に手を当ててほっと息をついた。
「悠里は寝ぼけぐせがあるんやな」「? そうかな?」
悠里が首を傾げる。時折、悠里はこうする。まるで誰かの言葉に耳を傾けるように。でも、すぐに振り切るように首を払って、奇妙にまじめな表情で悠里が見つめる。
あ、なんか照れるわ。
「私、今なにか」「・・・」
深刻そうな表情。でも、なんでやろ。さっきのことは悠里に言ったらあかんような気がして。
なにも言えなんだ。
「・・・なんでもない。もう寝よ」
悠里はそう言って布団にもぐりこむ。
いつもの悠里らしくあらへんな。
ぎこちない仕草に、はやてはさっきまでの少女の影を探す。しかし、そんな気配は微塵もなかった。
「なぁ、悠里」「ん?」「えいっ」「!!」
ベッドから半ば落ちるように悠里の布団に転がり込む。
「ちょっ・・・」「悠里は柔らかいなぁ」「ひッ!」
抱きつく。悠里の柔らかな身体の感触が、腕の中に確かな温もりを伝えてくる。その小さな背中に頬を寄せる。
「悠里はどこにも行かへんよな?」「――」
応えがない。感じるのはためらい。腕の中の感触があやふやになる。
「わたしをひとりにせぇへんよな?」
悠里が身じろぎして振りかえる。
その優しく儚い眼差しが、はやてに悠里の言葉を直感させた。
「うん。大丈夫」
嘘や。
思わず叫びそうになる。悠里の表情はとても優しくて、そして、やがて来る別れに耐えるかのように寂しげな色を浮かべていた。
「はやては大丈夫だよ。悲しいことがあるかもしれない。辛いと思うかもしれない。
でも、大丈夫。
はやては手にいれることができる。
大切な家族と、友達と、仲間を」
悠里が自信を持って告げる。
でもな、ちゃんとその中に悠里も入ってるんよな?
わたしの大切な人の中に、悠里も入ってるんよな?
そんなはやての想いも知らず、悠里は指を折って数える。
「具体的には四人、ん、五人か。あと、友達や仲間はいっぱいだぞ」
「・・・そぉか」「うん。保障する」「ほな、約束や」
はやては布団の中から手を出すと、小指を立てた。
「悠里にもちゃんとみんな紹介するからな。一番のお友達やって、必ず紹介する。約束やで?」
「・・・」
悠里が少し目を細めて肯いた。
「うん」
「「約束」」
互いの小指を絡める。
そう。これは絶対の約束や。
さっきの少女の姿を脳裏から追い払って、はやては悠里と約束の指を切った。