0.
頭を強く打ったような衝撃で目を覚ます。
俺は鼻の奥につんと来る特有の感触に、自分が誰かに殴られたことを理解した。見上げると大きな男の影がのし掛かる。男は腕を振り上げると一発、二発と殴りつけてきた。ごつんと板張りの床に後頭部がぶつかった。くらくらとする。気を抜くと次の瞬間には意識が飛んでしまいそうだった。
殺される。
胸の奥がひやりとする。
襲いかかる男の凶悪さに俺は確信した。
このままだと殺される。
男が大きく腕を振り上げた。
俺は手の中に握りしめていた棒のようなものをのし掛かっていた男の脇に突き立てた。
「ぎゃっ!!」
男が悲鳴を上げる。身体を押えつける力が緩んだ隙に、押えつけている男の腕の間から悶えるように抜け出した。
なんか服が引っかかる。
自分の格好に違和感を覚えつつも、痛みに呻く男の鼻っ柱を狙って容赦なく蹴りつけた。
ぺしりと奇妙に軽い感触と共に男が悲鳴を上げて仰け反る。
走る。
靴下がよく磨かれた木の廊下に滑る。なぜか長い髪が視界を遮る。重いは引っかかるは、とにかく邪魔だった。
俺は周囲を見渡した。まったく見慣れない、知らない家だ。もしかして、こっちが不審者、とか思いつくが、すぐに捨てる。むしろ誘拐でもされたと考えたほうが理解できる。
俺は鼻から血を流して意味不明な悲鳴を上げる男の腕を避けて、玄関と思しきところに向かう。すぐに階段があり、玄関の扉が見えた。
俺は階段の下にある電話を見つけて駆け寄った。110番を打ちこんで叫ぶ。
「助けて!」『・・・もしもし?』
俺は自分の声の奇妙な甲高さに疑問を感じつつも、もう一度叫んだ。
「殺される! 助けて!」『はい・・・!? もしもし!!』
俺はすぐに受話器を外したまま、電話機の横に置く。
「このガキがぁ!!」
男の怒鳴り声が響いた。俺はすぐに電話から離れると玄関に飛びついた。すぐに中から鍵を外して・・・舌打ちを一つ。ご丁寧にチェーンロックがされていた。
「逃がすか!」「わぁぁぁぁ!!」
男が迫る。俺は取りあえず玄関横の靴箱の上に飾られていた絵皿を投げつけた。
くっ。
大きさの割に感じる重さが腕の支えを奪う。半ば肘が砕けたように投げられた陶器皿が、男の手前に落ちて割れた。破片が辺りに飛び散り、男がたたらを踏む。
すぐに、男の脇を通り抜ける。近くの部屋に入って扉を閉めた。ドアに背を当て全身で開かないよう押し止める。
見渡す。周囲には他にドアはない。ここは応接間だろうか。ソファなどの応接セットが中央に鎮座している。左手には大きな硝子の窓がある。その向こうはちょっとした庭になっていた。あれを開けて外の庭に逃げ出せば・・・。
ドンと扉を蹴飛ばす衝撃に身体が浮く。振動で頭がくらくらした。ちょうつがいが軋む。脚をふんばって、背中に必死に体重をかける。
今は電話から離れて、警察が住所を割り出すまで時間を稼ぐしかない。そのために、一分でも、一秒でも闘い続ける必要がある。
俺はぐっと拳を握りしめた。
頼りない腕の感触。華奢な脚が痙攣するように震える。
・・・え?
奇妙な違和感に俺は目を見張った。
見下ろす視線の先にはワンピースのスカートから伸びる華奢な素足。可愛らしい靴下をちょんと履いている。
・・・待て。冷静になれ、主に俺。
どかんと、激しい衝撃と共に、俺は吹き飛ばされた。軽すぎる身体が吹き飛び、正面のソファにぶつかって跳ね返る。
足下に倒れる木のドア。
見上げた視界に大きく映る、拳を振り上げた男の姿。
その血走る目つきが、明確な殺意を宿していた。
『
Call me master.』
言葉が伝わる。
握りしめていた左手の中に、なにかがあった。
『
Call my name master!』
伝わる意思。
俺はその名を喚んだ。
「セイクレッド!」『
OK, master! Sacred makes full connection to your Linker Core.』
手の中に握ったそれが淡い碧の光を放つ。
繋がる感触。人としてのあり方を越えて、その先に辿りつくために、心を、身体を、魂を、人としての存在を拡張する。
身体が震える。
自分が造り変えられていく感触に、俺は不覚にも意識を失った。
『誰か! 力を貸して!』
高町なのはは脳裏に響く声に振りかえった。
「誰?」
「なのはちゃん、どうかしまして?」
「え?」
突然振りかえったなのはに月村すずかが不思議そうに問いかける。なのはは首を傾げた。
「今、誰かに呼ばれたような気がしたんだけど?」
「誰も呼んでないわよ?」「うん・・・」
先に進んでいたアリサ・バニングスが腰に手を当てて振り向いた。なのはは合点がいかずにあいまいに肯く。
「こっちから聞こえたような気がするんだけど」
「ちょっと、なのは!」「なのはちゃん」
いつしかなのはの脚は道をそれて公園の藪の中を進んでいた。後ろからなのはを止める声がする。でも、なのはの脚は止まらない。
そして、藪の向こう、少し開けた場所になのはは倒れているフェレットの姿を見つけた。
そっと手を伸ばしてなのはは傷ついたフェレットを抱き上げた。フェレットの首に紐でかけられている赤い宝石が揺れる。
思えば、これが始まりだったのだと思う。
1.
目を覚ますと、ベッドの上だった。
「・・・」
思わずお約束な台詞を呟こうとした自分をぐっと堪える。
確かに知らない天井だけど、それを口に出したら負けだろ。
身体を起こそうとして、首から腹にかけて走る鈍い痛みに目をぐっと瞑った。
「痛い・・・」
ぽとんと柔らかく清潔な枕に頭が落ちる。
視界に映るのは白い部屋。ちょっと痛みを堪えて首を動かし右手を見る。長い髪がさらりと揺れる。
・・・。
まぁ、まずは現実逃避だ。
ちょっとだけ、いいよな。辛い現実を直視するのを後回しにしても。
青い空に高く日が昇り、爽やかな風が開いた窓から入り、カーテンを揺らす。
静かな昼下がりだった。
こんこん。
ノックの音がする。
俺はなるべく痛くないよう、声を出した。
「どうぞ」「!!」
俺のものとはとても思えない、涼やかな声が通る。
慌てたように扉が開いた。もう一度、力を入れて反対側に首を振る。
「悠里ちゃん、目が覚めた!?」
淡いピンク色の制服を着た見知らぬ看護婦さんが駆け寄ってくる。俺は小さな溜め息と共にこくりと頷いた。
いったいなんでこんなことになったのか。
俺は看護婦さんに助けてもらい、リクライニングベッドの上体を起こしてもらう。
俺は昨日までは男だった・・・、はずだ。
「悠里ちゃんの髪は綺麗ね」「・・・ありがとう」
邪魔にならないよう髪を掻きわけてくれる看護婦さんの言葉がボディブローのように響いた。ずんと暗い気持ちに捕われそうになる。看護婦さんは俺の表情に何を見て取ったのか、慌てて笑みを浮かべながら、内線の受話器を取ってナース・センターに報告した。
なんでこんなことになったのか。
もう一度、心の中で呟いた。俺は窓の外を見つめて小さく溜め息をつく。
「悠里ちゃん、いいかな」「はい」
首筋の痛みを堪えてゆっくりと振り向く。看護婦さんの心配そうな表情に、そっと笑みを浮かべて見せた。
看護婦さんがなにか驚いたように顔を強ばらせた。ん?
「あ、あの、ね。先生が悠里ちゃんの状態について説明したいから、こちらに来られるそうなの」
俺は驚く。正直、自分でも非現実的だろ、と突っ込みを入れたいところなのだが、この事態を説明してくれるのか。
というか、説明してくれ、ぷりーず!
「大丈夫かな?」
戸惑う俺の様子に心配そうに覗き込む看護婦さんに俺はゆっくりと首を縦に振った。
「お願いします」「うん。じゃ、先生を呼ぶね」
くぅ、首が痛い。
全身が筋肉痛でぎこちない動きしかできない俺は、ゆっくりと頭をベッドに預けた。
説明に来た医者は女医さんだった。
石田と名乗った彼女はベッドの隣の椅子に腰を下ろすと、俺のカルテを片手に説明をしてくれた。
とりあえず、今の身体の状況は筋肉痛と全身打撲らしい。一応、CTスキャンをして、脳に特に損傷が見られなかったことを確認しているけど、念のため気分が悪くなったら、すぐにナースコールを押すよう言われた。
打撲も深刻なものではなく、2週間もすれば治るほど。ただ、念のために2日ほどは安静にし、傷の経過を見て退院時期を決めたいとの事。
俺はいくつか不審に思いながらも同意する。
そんな俺の様子を見て、切り出しても大丈夫と思ったのだろう。石田先生は少し居住まいを正して、俺の目を覗きこんだ。
「それから、大切なお話があるの」「はい」
頷く。俺は首筋が痛くならないよう顎を引いた。多分、この病院に収容されるまでの過程の説明だろうと見当がついた。
「お父様のことなんですけど、今、警察署のほうに拘留されています」「・・・?」
首を傾げる。正直、話が見えなかった。
そんな俺を石田先生が痛ましそうに見つめる。
「あなたがお父様から虐待を受けていたことは、今回の事件ではっきりしました。あなたが警察に助けを求めたことでお父様の親権は現在停止されています。
あなたはこのままお父様と一緒に生活することを望みますか?」
俺は状況が理解できずに、少し瞬きした。そんな姿に石田先生はなにかを感じたのだろう。そっと俺の頭に手を伸ばし、次の瞬間、俺は彼女の手を払い除けていた。
「いやッ!」「!!」
急に動いた痛みにベッドに身を預けて身体を強ばらせる。身体の震えが止まらない。顎が震えて、かちかちと歯が鳴り続ける。
身体に刻み込まれた恐怖が、蘇る。
俺は俺のものではない恐怖に、必死にパニックを止めようと身体を抱きしめた。
痛い。痛い。痛い。痛い。
全身筋肉痛でよかったと思う。下手をすれば、そこの窓から飛びだしていたかも、と頭の片隅に冷静な思考が奔る。
「ごめんなさい!」「触るな!」「!!」
布団の上から俺を押えこもうとした石田先生や看護士を止めた。
「出ていけっ! 近寄るな!!」
ただ一つの解答を叫ぶ。
他に方法はない。この恐怖に晒され続けるのなら、あの窓から飛びだすほうが何倍も魅力的だった。
「わかったわ。落ちついたら、ナースコールで呼んでね。大丈夫?」
脅かさないように、ゆっくりと後ずさりながら、石田先生がこちらを覗き込む。震える身体を強く抱きしめたまま、俺は小さく肯いた。石田先生はこちらの理性的な対応にほっとしたように、周りの看護士に指示を出した。
・・・鎮静剤とおぼしき注射器を用意していた看護士も居たぞ。
「じゃ、これを置いておくわね。大切なお守りのようだったから、私が一時的に保管していたの」
石田先生はなにかをベッドのサイドテーブルに置くとゆっくりと部屋を出る。
がちゃりとドアの閉じる音。
その音が俺以外誰も居なくなった病室に響いて、ようやく俺の身体は力を抜くことができた。そのまま、ベッドに身を委ねる。
「い、痛い・・・」
緊張が解けて弛緩した身体が筋肉痛の反動を伝えてくる。内部から鈍く響く痛みに涙がこぼれそうだった。
「なんなんだよ、いったい・・・」
思わず言葉が漏れる。
訳のわからなさと山積みの問題に途方にくれていた。
『
Hi, master. Are you all right?』
そして、サイドボードから響く不思議の声。
高く積み上がった問題は、もはやバベルの塔を形成していた。
2.
俺の名前は
小鳥遊悠里。つい先日までは、楽勝ゆとり世代の大学三年生、だった。
確かに昔から女みたいな名前だと言われてきた。同学年の女友達にまで『悠里ちゃん』なんて呼ばれるのはどうよ。だが、それは初期アニメ世代で痛いネーミングが流行った時代のせいであり、俺が好んでつけた名前じゃあない。それに海外じゃ、ユーリは立派に男の名前だぜ?
orz
自分で言ってダメージを受けた。
まあ、なんだ。俺は昔から女の子みたいな名前という扱いには慣れている。ああ、慣れているんだよ、こんちくしょう!
だがよ・・・。
ぴらりと白い清潔なパジャマの上着をめくる。絹のように白い肌。幼い少女特有のきめ細かな肌と少し膨らみかけの胸がまぶしい。
なんで、俺が、少女なんだよ!
落ちつけ、俺。冷静に、そうだ、クール、KOOLになれ。小鳥遊悠里。KOOLになるんだ。
あー、そういえば、新作狩ってなかったなぁ。
窓の外を眺める。空が青いぜ。
『
Master, Do you feel so calm?』
現実がもう追いついてきやがった。
『
I had been waiting for you.』
「おっけー。そろそろ戦わなきゃな、現実と」『
Nice fighting.』
ちらりとサイドボードに置かれた、碧色のゴルフのティーをもう少しごつくしたような、エメラルドから削り出した旧石器時代のナイフみたいな宝石?に視線を落とす。もちろん、宝石は自分で光ったり、喋ったりしない。
小さくため息をつく。
ああ、あったよな。こういう不思議な道具が。ヒロインがとても漢な、格闘砲雷撃戦魔法少女アニメ。
半ば諦めた気持ちで問いかける。どうも、このデバイスが先ほどから聞いてほしくてうずうずしているようだったからだ。
「で、お前はいったい?」
『
Nice to me you, my master. My name is Sacred Word. I am Human eXtensional device HueX-Uri Type-09.』
「・・・拡張型デバイス?」『
Yes, master.』
初耳だ。こういうのもありなのか。
「俺の名前は小鳥遊悠里。よろしくな」『
Welcome!』
陽気な奴だ。まぁ、こっちも混乱しているから、相棒は明るいほうがいい。
「とりあえず、話は後で良いか? この娘の話を聞くほうが先だと思うからさ」『
I accept your decision.』「ん。助かる」
俺はセイクレッドにその小さな左手をあげて感謝を伝えると、枕もとのナースコールのボタンを押した。
今度はもう少し状況が見えるかな。
俺はベッドに楽な姿勢になるよう身体を落ち着けて、石田先生の到来を待った。
3.
夜の病院はとても静かだ。
俺は病院の味気ない夕食時間が終わると、サイドテーブルの明かりをつけて、静かな夜空を見つめていた。
この少女、小鳥遊悠里は父親からの虐待を受けていた。妻と離婚し少女の親権を獲得した父親は、少女が成長し母親に似るにつれ、庇護としてよりも憎しみの対象へと変化していったらしい。世間体もあって、一見、よい父親を演じていたが、なにかあるたびに少女に当たり散らし、ご近所からの通報もあって、再三、児童相談所からの指導を受けていたんだそうだ。
それがいろいろと限界点に達したのが先日のこと。
虐待に耐えかねた少女が警察に連絡、以前から監督対象であったこともあり、緊急出動した警察官が庭先に倒れて気絶していた少女を保護、ゴルフ・クラブを振りまわしていた父親を逮捕したという顛末だった。
正直、他人事なので、こちらにたびたび気遣わしげな視線を送る石田先生の言葉には特になにも問題はなかったが、父親との同居については丁重にお断りしておいた。
「今度こそ殺される」
そうぼそりと呟くだけで、親権の剥奪とか、石田先生がいろいろと手続きをしてくれるらしい。
ビバ、児童保護法。
虐待児童保護のプロセスとかで、父親の半径1km以内の接近を禁止してくれるそうだし、いざとなったら、セイクレッドが警告してくれるだろう。『
Of course yes, master.』
あとは孤児院、今は、児童福祉施設と言うらしい、に引き取ってもらえれば、贅沢は言いません。海鳴市内の施設に受けいれの問い合わせをしてもらって、それまでは傷の手当てと心理療養も含めて、この大学病院で待機との事。
右も左もわからない状況で、ここまでしてくれるなんて、なんて良い人なんだ、と内心の感動を抑え、あまり表情に出さないようお礼を言っておいた。いや、やっぱり不自然でしょ。それに、『海鳴市』なんだ・・・。やっぱり。
記憶がないことも虐待の心理的ショックということで、なんか、本当にここまで心配してもらって申し訳ないくらいのサービス振りですよ。
看護婦さんたちも優しいし、すごく幸せだよな。身体のほうも明日にでも動かし始めていいとの事なので、受けいれ先が決まるまで気ままに病院内をワンダリングできるしね。
そんなこんなで、とりあえず、一人の少女としての身の振りを整理して、ようやく、いろいろと考える時間ができたわけだわ。
「そういうわけで、セイクレッド」『
Yes, master?』
俺はこの状況を唯一質問できる相手を呼んだ。
石田先生はずっと俺のことを、虐待を受けていた少女として扱っていた。つまり、『俺』について、石田先生は想定外であるということだ。そうなると、この俺、大学三年生の成年男子である小鳥遊悠里が少女になっているということの説明を付けられるものはいないということになる。
ただ一つ、自分と同じとんでもな存在を除いて。
そうなると、まずは聞いてみるのが一番な訳だが。
「俺はこの少女に対してどう言う状態になっている?」
『・・・
I can't understand what you mean.』
思いっきり黙秘権を行使してやがる。こういう状態じゃ、正攻法では難しい、か。
「セイクレッド、お前のマスターは俺か、この少女か?」
『
My master is you, Yuri Takanashi.』
また、微妙な言いまわしを。少女と俺、どちらが主導権を握っているかと問えば、これかよ。
しかたがない。当たりさわりのないラインから聞いてみるか。
「この世界には時空管理局は存在するのか?」
『
Why you know such... Sorry sir. Yes, they are.』
あ、おもろ。意外な問いかけに動揺してる。しかし、そうか。まじ、リリカルなのか。
「デバイスの種類は? インテリジェント・デバイスとストレージ・デバイス以外にもあるのか?」『...
Yes, there are some other types. Intelligent, Storage, Armed and Unison device exist.』
ふふん、引っ掛かった。俺は問いかける。
「じゃ、エクステンショナル・デバイスはどれに当たるんだ?」『・・・』
問いかける。俺の今の表情はずいぶん人の悪い笑みを浮かべているはずだった。
『
I, Extensional device is none of them. It's a new category.』
へぇ。俺はちょっと感心する。
「そんな珍しいものがなぜ?」『・・・』
応えない。まぁ、そういうことなんだろうな、と納得する。
「いいよ。ま、とりあえず、お前は小鳥遊悠里の味方なんだろ。それがわかればいいさ」『
Wait! I'm your device. I created just for you!』「ああ。わかった。わかった」
なにやらごちゃごちゃ騒いでるセイクレッドの言葉を聞き過ごして考える。
とりあえず、一番物事をはっきりさせるには、時空管理局と接触することだと思う。このデバイスが言葉を濁すなら、話がわかる相手に協力してもらうのが一番早い。
この少女も男の俺に身体を貸すのはそれまでのこと。この世界は彼女にとっては辛い日々だったかもしれないが、俺が帰るまでにそこそこな環境を用意してやればいい。まだ絶望するには若すぎる。
『
Please listen! I am your device. Please believe me.』
「はいはい。俺もう寝るから」
騒々しいデバイスから意識を外して、俺は布団を肩までかけて遠い町の明かりを見つめる。今はもう、全てが遠い。
変な感傷に浸りそうになる自分の意識を頭を振って払い除ける。背後の闇に気付いたら負けだ。
「おやすみ」『
Good night, master.』
なんとなく不満そうなセイクレッドに構わず俺は静かに目を閉じる。
ねがわくば、次に目が覚めたときには・・・。
淡い期待と共に、俺は意識を闇に落とした。
4.
病院の廊下に設置された手すりに寄りかかりながら、ゆっくりと歩く。
長い黒髪が邪魔で重い。次のカウンセリングのとき、切って貰えないかお願いして見ようと思う。あ、でも、この娘に身体を返すとき、髪が短くなっていたら悲しむことになるかもしれないな。
むう。難しい問題だ。
なんとなく、腕を組んで首を傾げる。これからもこういうときはどうすればいいのか。
「セイクレッドはどう思う?」『
I guess you do as your desire.』「だが、もし、この髪を大切にしていたら悲しむだろ?」『
No problem.』
くすくすと看護婦さんたちが俺を見て、淡い笑みを浮かべて通りすぎる。
む、念話で会話をしていたはずなんだが、口に出ていたか。
俺は軽く両頬を叩いてほぐす。独り言を見られていたとなると、電波のようで少し恥ずかしかった。あ、ちょっと頬が熱い。
『
No master. They think you are so pr...』「ええい、いくぞ」
頭を振って再び歩みを進める。昨日ほどではないが、やっぱりほぐれていない身体が痛みを訴えた。
俺の記憶の中にある海鳴大学病院は原作のとらハといい、リリカル☆なのはといい、結構、主人公たちの舞台となっていた場所だ。とりあえず、怪しいロリの女医さんもいないし、銀髪ショートのスモーカーもいないから、海鳴市という舞台が同じだけでぜんぜん違う世界なんじゃないかと思う。
そうわかれば気楽だった。
あとはどうやって時空管理局と接触を取ればいいのか。
がちゃ、がた。
ん?
階段のほうで、なにやら音がしている。
そちらに顔を向けると、階段の際で車椅子に乗った少女が一生懸命に後ろに下がろうとしている。どうも前輪がどこかに引っ掛かったみたいだ。
危ないなぁ。
そう思い声をかけようとして、止まった。すぐさま、少女から姿が見えないよう廊下の壁に張りつく。
・・・ちょっと待て。
嫌な事実が頭に浮かぶ。
海鳴大学病院。車椅子に乗った淡い栗色のショートカットの少女。
って、『夜天の主』八神はやてか!
張りついた壁際からそっと覗き込む。真剣そうな横顔。端正な面持ちにアニメで見た少女の表情が重なる。
可愛いじゃん。
あ、いや、3次元を2次元化すると、結構美化1000%な書き方になっちゃうものだけど、こうして見ると、3次元もいいね、なんて考えてしまう俺が居る。
だが、だ。確か八神はやてが車椅子を使っていたのは夜天の魔導書に未熟なリンカーコアから魔力を奪われていたため。周りにいかにも日本人離れした連中は見当たらない。守護騎士たちの出現前か。つまり、まだ、リインフォース消滅前。海鳴怪獣大決戦の前の前ということになる。
念のために、セイクレッドにも聞いてみるか。
「セイクレッド、あの娘なんだが、リンカーコアになんらかのデバイスの痕跡があるか?」
『
Well... Yes, master. She seems to be connecting some sort of device! But, why you can find it?』
「聞くな・・・」
さすがにアニメで見たから、なんて口に出せず俺は右目に手のひらを当てた。
駄目だ。あの娘だけは駄目だ。
良く考えてくれ。俺は今、この少女に憑依しているような状態なんだぜ。霊力とか魔力とか、どっちかわかんないが、要はゴーストライダー。この娘の身体に意識の塊が乗っかっているようなもんだ。リンカーコアは俺のか少女のかセイクレッドの奴がはっきりと答えてくれないからわからんが、どっちにしても魔力の切れ目が俺の存在の切れ目。その可能性が高い。
そして、夜天の魔導書はリンカーコアから魔力を食う。
つまりは、出会った瞬間ぼっしゅーと、最後ですよ。
と言う訳で、ごめん、八神はやて。そして、さようなら。
大丈夫。ここは病院なんだから、一声あげればすぐに誰かが手伝ってくれる。すぐになんとかしてくれるさ。
俺はそう宙に呟き、背を向ける。背には車椅子の軋む耳ざわりな音が響く。
その時、なんとなく、俺は後ろを振りかえった。
振り返って、しまった。
あ・・・。
車輪を一心に見つめるその横顔。助けを求めるすべを知らず、頼るすべも知らない。そんな幼い少女の無表情な素顔を。
俺にはそれが泣きたくても泣き方を知らない、嘆きの表情のように見えてしまった。
脚を踏み出せ。
はやくこの場から立ち去れ。詰まらない同情はなしだ。
振りかえるな。忘れてしまえ。
関わればきっと死んでしまう。彼女に殺されてしまう。
だから、逃げろ!
理性が全力で警告を発している。生存本能が警鐘を鳴らし、感情が罵倒する。
馬鹿なことをするな!
俺はきっと、彼女に殺される。
「大丈夫?」「へ?」
突然背後からかけられた声に彼女があっけにとられたような声をあげる。
俺はきっと、彼女を悲しませてしまう。
「手伝うよ」
彼女が振りかえり、目を丸くする。手すりにもたれて歩く所々ガーゼや包帯が巻かれている少女=俺の姿が、彼女の鳶色の瞳に映る。
「あ、そんな。大丈夫やさかい」
明るく笑って、大したことじゃないと、手助けを拒む悲しい笑みに。
馬鹿だなぁ。
心の中で諦めるように呟く。
それでも、俺は踏み出してしまった。
「ううん。そんな風には見えない。だから、頼ってくれていい」
「あ・・・」
八神はやてが絶句する。俺はゆっくりと手すりにもたれながら近づいた。そして、小首を傾げて、彼女の言葉を待つ。
「ね?」「う、うん。ほな、・・・お願いや」
なぜか頬を赤らめて、彼女がうつむき加減に俺に告げた。俺は嬉しくて、満面の笑みを浮かべて肯いた。
「うん! それじゃ、後ろに引っ張るから」「おおきに」
よっともたれていた手すりから、彼女の車椅子の背に手を伸ばす。自分の軽い体重をかけて、軽く引っ張るだけ。それだけで、たやすく前輪の引っ掛かっていた場所が外れた。
これだけの、たったこれだけのことなのに。
彼女は頼るすべを知らなかった。
俺はぐっと顎を引き締めると、彼女を驚かせないようゆっくりと車椅子を安全なところまで後退させる。
そして、身体が痛まないようにゆっくりと、車椅子の前に回りこんで引っ掛かっていたところにしゃがみこんだ。
見て、指で動かしてみる。
特に壊れている様子はない。
「問題はないようだね」「うん。おおきに」
彼女が帽子を脱いで礼を言う。
うん。いい娘じゃないか。
「ああ言うときは、無理に自分だけでなんとかしようとしちゃ駄目。ちゃんと声をあげて、助けを求めなきゃ駄目だよ」
人差し指を立てて彼女にめっと伝える。
「ほんまやな」
わかってるのか、わかってないのか。恥ずかしそうに左右に視線を振って彼女が肯く。
俺は、すこしずつ言い聞かせればいいか、と思いながら、ゆっくりと身体を起こした。
あー、まだ痛いな。
俺は彼女の車椅子の背に回りこむとハンドルに手を置いた。
「私は小鳥遊悠里。あなたは?」
彼女が驚いたように首を後ろに廻らせた。視線が合う。俺は精一杯の笑みを浮かべた。や、首とか動かすと痛いんですよ。
「わたしははやて。八神はやてや」
「ん。はやてちゃん、ね」「せや」
勢い良く肯くはやてに俺は内心苦笑を禁じえなかった。
まったく、可愛いなぁ。
「じゃ、はやてちゃん。どこに行こうとしてたの? 私のリハビリがてら、押していってあげる」
自分のリハビリのついで、そう強調して、はやてちゃんの異論を封じる。って、はやてちゃん、か。自分で言ってて違和感が拭えん。
「私は悠里でいいよ」「あ、うん。ほな、悠里。石田先生のところまで、かまへんか?」
「うーん・・・」
俺はちょっと腕を組んで悩む。そんな俺を振り向いて見つめるはやての表情が曇る。あ、誤解されたか。
「あかんなら・・・」「はやてが案内してくれるかな? 私、病室から出たの、初めてだから」
「うん、まかせとき!」
なぜか元気にはやてが肯いた。
うん、やっぱり呼び捨てのほうが気楽だ。
「じゃ、しゅっぱーつ」「進行!」「「おー!!」」
腕を振り上げる。
もちろん、次の瞬間、二人そろって、騒がしいと怒られました。
5.
はやてを石田先生の診察室まで送り届けた俺は、痛みを訴える身体をひっぱってロビーまで降りていった。入院者用の服から覗く包帯やガーゼが目を引くのか、どうにも視線が気になるが、とりあえず考えない。
やっぱり、変か?
自分の姿に視線を落とす。
うーん、周囲にも似たような格好の患者さんがいると思うんだが。
居心地が悪くて、日当たりの良い硝子のはめ込みの場所に脚を進める。さすがに昨日の今日で外に出るのはまずいだろう。
タバコが吸いたい。
そう思いつつ、自制。や、さすがにこの歳で喫煙はまずすぎる。
しかし、関わっちまったなぁ。
『
What's matter, master?』
「ん? いや、いきなり原作キャラと関わっちまったな、と」『
What's origin?』
いや、原作はとらハ3なんだが、一応、別シリーズになるから、こっちもオリジンだよな。
どうするか。
まったく悩ましい。
「夜天の魔導書、闇の書ってわかるか?」『
No, It's out of my data.』「そっか。魔導師のリンカーコアから魔力を吸収してな、自身を完成させるデバイスなんだが」『
What a danger device is! You should keep distance.』
「うーん・・・」
いきなり警告を出すセイクレッドに苦笑する。
「今の娘がその主なんだよ」『
Oh...』
ああ、でも、あの娘だったら仕方がないか。ただ、その時、俺がこの少女を守りきることはできないかもしれないけど。その時は。
「セイクレッド、頼むぞ」『
Yes, master. I serve you.』
あとはこいつに任せるさ。
微かに耳に届く車椅子の音。聞き憶えがあるその音に、俺は確信と共に身体ごと振り向いた。
「悠里!」
明るい声ではやてが手を振る。俺は小さく肯いて応えた。
だから、筋肉痛が辛いんです。