早咲きの薔薇(rosa precoce)

Code of Rose : the Second season.


小さな紅薔薇


1.

 その人は『小さな紅薔薇(ロサ・キネンシス・ラ・プチ)』と呼ばれていた。
 リリアン女学園高等部の生徒会である山百合会の方々が入学式で新入生を前に祝辞を述べられる。
 でも、今年の山百合会は異例だった。
 何せ、三人の同格の生徒会幹部のうち、二人までが二年生。つまり、わずか一年生の身で一月に行われた生徒会役員選挙を勝ち抜いたのだ。
 しかも、今年の役員は、定員三人に対して四人の立候補者がいる。お相手は二年生だったらしい。その役員選挙を勝ち抜いての堂々の当選だった。
 一部には先代の紅薔薇さまの威光で、という声もあるらしいけど、そう言われることがわかった上で、それでも選挙に出るという心構えは凄いと思う。
 そんな先入観があったからだろうか。
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)がこんな普通の人だなんて思ってもみなかった。
 だから、みんな拍子抜けしたんだと思う。特に、私のように中等部からそのまま高等部に繰り上がった生徒達は、幾多の紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)伝説を噂に聞かされており、壇上で挨拶を述べる三人の一人、美しいと言うよりは可愛らしい、平凡な少女がその伝説の主人公だなんて思っても見なかった。
 ざわめく新入生の中、私は周りに雷同することもなく、どことなく醒めた目で壇上に立つあの人を見つめていた。
 実は私は彼女の姿を見たことがある。
 去年のバレンタインのイベントにこっそりと隠れて参加していたのだ。だから、あの人がなにげに同級生や上級生に人気があることも、知っている。
 そう、私は知っている。
 私はあの人が、一生懸命頑張っている姿を、知っているんだ。

2.

「あんな方が紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)だなんて、納得がいきませんわ! 乃梨子さんもそう思われるでしょう?」
 周囲を憚ることなく憤りを露わにする少女のカールしたお下げ髪が勢い良く跳ねる。栗色の髪を豪奢な印象の赤いリボンでまとめた松平瞳子の言葉に、二条乃梨子は周囲に視線を送りながらあいまいに相づちを打った。
「まぁねぇ、あまり映える顔立ちじゃなかったのは確かだけど?」「そうでしょう!」
 すらりと通る綺麗な黒髪を市松人形のように切り整えた乃梨子の言葉に力を得たかのように瞳子は小さな手で拳を握って力説する。
「本来は祥子お姉さまがつくべき『紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)』の地位にあんな平凡で取り柄もなさそうな人がつくなんて、私には納得がいきません!」
 乃梨子は小さくため息をついた。目の前のくるくる髪の少女はどうやらあの三人の薔薇さまに不満らしい。いや、正確には紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)に不満なのだ。
 『祥子お姉さま』がどんな人なのか、乃梨子は知らない。けど、やっぱり、それは言いすぎなんじゃないかと思う。
「でも、瞳子。生徒会役員選挙で選ばれたのはあの人なんだよ。その言い方はあの人を選んだ2年や3年の先輩に失礼なんじゃないかな?」「まぐれに決まってますわ!」「・・・」
 おいおい。
 気持ち良いほどきっぱりと言いきる瞳子に、乃梨子は危うく突っ込みをいれたくなる自分を抑えた。
 周囲の瞳子に対する視線は厳しい。
 そりゃそうだ。中等部からの繰り上がり組には山百合会なる生徒会に夢や憧れを感じている人も多いのだろう。それをこれだけくちさがなく非難していれば、不愉快にも感じる。
「瞳子は顔で生徒会役員を選ぶんだ?」
「失礼ですわよ、乃梨子さん。瞳子はそんなことしません。私が言いたいのは、もっと薔薇さまとして威厳ある姿を求めているのですわ。本来、紅薔薇となるべき小笠原祥子さまに代わって恥じない方として、振舞っていただきたいのです!」「ふーん・・・」
 納得がいかない乃梨子は首を傾げる。瞳子がこれだけべた誉めする以上、その祥子さまという人はすごい人なんだろうと思うけど・・・。
「でも、あの人、福沢祐巳さんだっけ、にも役員が務まるってことじゃない?」
「とんでもない! 薔薇さまといえばただの生徒会役員なんかではありませんわ!
 薔薇さまは全リリアンの憧れ。そして、私たちすべてのお姉さまなんです。薔薇さまの品格が問われるということは、私たちすべてのリリアン生の品格が問題にされるということですのよ? 乃梨子さんもそのことを良くご理解されるべきですわ」「・・・それは、ちょっと」
 乃梨子はこれまで様子見をしていた生徒たちの中に瞳子の言葉に熱心に肯く生徒の姿を見て、内心退いていた。そんな憧れを押し付けられる身に、乃梨子は同情した。
「それは先輩がたも理解しての選出でしょう? 私たちよりも福沢さんのことを良く知っている人たちが、この人が相応しいって選んだ人だよ。そんな良く知らない人を非難するなんて、瞳子らしくない」
「乃梨子さんのおっしゃることにも、一理ありますわね」
 強く出た乃梨子があれっと思うくらいあっさりと瞳子が肯いた。
「私たちは紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)のことを良く知りませんもの。まず、敵を知るというのは重要なことですわ。
 乃梨子さんもそう思われるでしょう?」
「え? ええ」
 乃梨子は瞳子に同意を求められてあいまいに頷いた。瞳子の意図が読めなかった。
 そんな乃梨子の腕を瞳子ががっしりと抱え込んだ。
「では、敵情視察といきましょう。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)ご自身が気楽に訪ねてくださいとおっしゃってましたもの。それを利用しない手はありませんわ」「ええぇ!」
 やられた。
 乃梨子はしっかりと絡め取られた左腕を見て瞳子の意図に気がついた。
 薔薇の館を訪ねる道連れにしようとしてたんだ。
「よろしければ、ほかの方々もどうぞ」
 瞳子は周囲の生徒たちにそう声をかけると乃梨子を引きずって歩き出した。
 遠からず一年椿組漫才ペアと呼ばれそうな情けない予感すら感じて、乃梨子は瞳子に引きずられていくのだった。

3.

 その『小さな紅薔薇さま』(ロサ・キネンシス・ラ・プチ)は薔薇の館で大きく息を吐いた。
「祐巳ちゃん、お疲れさま」「祐巳さん、お疲れ」
 黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)こと支倉令は緊張が緩んだ福沢祐巳の姿に苦笑する。その妹、黄薔薇の蕾(ロサ・フェティダ・アン・ブトゥン)にあたる島津由乃が祐巳の前に紅茶を置いた。
「あ、由乃。私には?」「まずは挨拶もこなして一番お疲れの祐巳さんから!」「由乃ぉ・・・」「もう!」「くすくす」
「由乃さん、ありがとね」「ううん」
 祐巳は姉のために台所に向かう由乃さんに礼を言う。由乃さんは首を振って笑顔で応えた。
「でも、祐巳さん、立派だったわ」「そんな志摩子さんまで」「うふふ・・・」
 白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)となる藤堂志摩子も祐巳に笑みを向けた。
 それは新年度にあたって3人で決めたことだった。祐巳を前面に出して、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)が上級生を押さえる。そして、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が実務の進行を取り仕切る。
 最上級生を二人も欠いた今期の山百合会は残念ながら威厳に欠くこと甚だしい。何かことが起こった時、山百合会としての権威だけでは抑えが効かないことは容易に予想がついた。
 そこで取ったのがこの体制だった。
 主な負担は正面で実際の折衝にあたる祐巳にかかるのは仕方がない。
 祐巳自身が山百合会選挙に出るとき決めたことだ。
 この入学式、そして、始業式は山百合会新体制を学内に知らせる最初の機会だった。他にもマリア祭までに新聞部のインタビューを行い、折にふれ、このことを学内に触れまわるつもりだ。令さまにも、各部の予算が正式に決まるまでは、剣道部よりも山百合会を優先してもらうことになる。
「予算が決まるまでは各部の部長、副部長になるべく頻繁に薔薇の館を訪ねてもらうことにして、あとは祐巳ちゃんたちが早く(プティ・スール)を作ってくれたら申し分なしかな」
 令さまが由乃さんのいれたお茶を一口含むと機嫌良さそうに言った。
 他人事だと思ってプレッシャーをかけるなんて、あんまりだ。
 祐巳は志摩子さんと目を見交わし、溜め息をついた。
「でも、祐巳さんたちより私が(プティ・スール)を作るほうが早かったりして」「!!」
 言葉にならない悲鳴を挙げて、令さまが紅茶を噴出しそうになる。
 うわ、令さま、ファンが見たら、幻滅しちゃいそうな情けない顔しないで下さいよ。
「まぁ、(プティ・スール)はともかく、マリア祭にはお手伝いが必要になるのは確かですよね」
 令さまが口を開く前に、素早く祐巳が問題を挙げる。現在の山百合会幹部は4人。三つの薔薇のうち、蕾二人が欠けているこの状況では雑務が由乃さん一人に押し寄せることになる。
 いくら由乃さんがイケイケの人でも、心臓の手術をしたのはわずか半年前のこと。身体の機能に問題はなくても、体力が付いてこない。
 事実上戦力としては0.5人。令さまも剣道部を疎かにできないため、由乃さんのフォローに回ったとしても二人併せて1.2人分の戦力にしかならないだろう。
 決定的に人手不足は否めなかった。
紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)はなにか考えてる?」
 令さまがあえて役職名で訊ねる。黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)の問いかけに、祐巳は少し宙を見つめた。
「いくつか心当たりをあたってみようかと」「祐巳さん?」
「へぇ・・・、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)は?」
 志摩子さんが眉を顰めてゆっくりと首を横に振った。
「そう。マリア祭まであと2週間あるから、お願いしてみて」
 令さまは満足げに肯く。そして、ふと窓の外に視線を送った。楽しそうな笑みを浮かべる。
「じゃあ、今日はこれぐらいかな。お客さまもおみえのようだし」
「失礼します!」
 階下から、元気そうな少女の声が響く。令さまは祐巳にウィンクした。
紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は今年も人気だね」「??」
 意味がわからず、祐巳は首を傾げた。
 由乃さんが扉を開けて、階下のお客さまを出迎える。
 古びた階段を4・5人ほどの足音がぎしぎしと登ってきた。
「どうぞ」「「「お邪魔します」」」
 由乃さんを先頭に祐巳の目から見てもまだ幼い、おそらくは一年生たちだろう、少女たちが緊張に表情を強張らせながら、入ってくる。
 祐巳はようやく事態を悟ると、驚きとともに令さまを振りかえった。令さまが満足げな笑みを浮かべて肯く。
「いらっしゃい、薔薇の館にようこそ」
 祐巳はたち上がると満面の笑顔を浮かべて彼女たちを迎えいれた。
 先頭の、髪をカールした特徴的な少女が、歩み出た。なぜか、隣にいる日本人形のような少女の困惑したような表情が疑問だったが。
「ありがとうございます、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)
 勝ち気そうな少女が礼儀正しく頭を下げる。祐巳もあわせてお辞儀した。
「私、1年椿組の松平瞳子ですわ。紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)とお話したくてお邪魔いたしましたの」「そう?」
 祐巳は緊張しているだろう一年生を安心させるべく、ゆっくりと笑みを浮かべると、空いている席を数えて人数と比べる。二つほど足りないけど、椅子を取って来れば・・・。
「椅子をもってくるから、こちらに座ってちょっと待ってくれるかな?」
「・・・やっぱり。
 いえ、私の用件はすぐ済みますから」「ちょっと、瞳子」
 瞳子ちゃんが首を振る。
 そして、びしっと祐巳に人差し指を突きつけた。
「貴女は紅薔薇の称号に相応しくありませんわ!」
 ぴしっと祐巳の耳に部屋の空気が凍りつく音が聞こえた。
「あ、あははは・・・」「ちょっ、祐巳ちゃん」「祐巳さん」「瞳子! いきなりすぎだよ」「この一年生、いきなりなに祐巳さんに喧嘩売ってんのよ!」「ああ、由乃も抑えて」「紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)、お気をしっかり! 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)・・・」
 ああ、空が青いな。
 一気に広がった喧騒の中、祐巳はふっと笑みを浮かべ、窓の外に広がる青を仰いだ。
 ・・・マリア様、新年度からこれですか?



トップ : 戻る


Last modified $Date: 2005/08/06 07:31:37 $
Document $Revision: 1.1 $