薔薇の矜持

Code of Rose


ある晴れた昼下がり


1.

 かちゃりと落ちついた音で紅茶が目の前に置かれる。
「あ、ども」
 福沢祐巳はよくわかっていない様子でぺこりと頭を下げた。そんな祐巳の仕草が可笑しかったのだろう。くすりと笑顔を浮かべると、髪をショートに整えたハンサムな彼女は対面左手の三つの席の真中に腰を下ろした。
 視線の先で三つ編みにした少女と目が会う。ちょっと目を下げる儚げな美少女に慌てて祐巳は目礼した。
「ようこそ、薔薇の館へ。福沢祐巳さん。歓迎するわ」
 祐巳はなんとなく気恥ずかしくなって顔を正面に戻した。そのタイミングを見計らったかのように、正面の席に座る凛々しい容貌の女性が声をかけた。
「は、はいッ! ごきげんよう、お姉様がた。えっと、あ、その・・・」
 わたわたと答える祐巳を正面に座った紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が笑顔で受ける。
「そんなに硬くならないでって言うのは、やっぱり無理かしら。今日はね、祐巳さんにお願いがあってお招きしたの」
「へ?」「駄目よ。この娘、目を回しちゃってるもの」「ちょっと、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)!」
 祐巳はきょとんと首を傾げた。そんな祐巳の姿に紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)、蓉子さまの左隣に座るバレッタで前髪を押さえた女性が口元に手を当てて笑う。美人はこんな風に笑っても気品があるんだと祐巳はむしろ関心すらしてしまう。
 声を荒げる紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の怒りもなんのその、黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)は楽しげに笑い転げている。祐巳はなんとなく問いかけるように『黄薔薇の蕾』(ロサ・フェティダ・アン・ブトゥン)、先ほど祐巳にお茶を出してくれたミスター・リリアンこと支倉令たちに視線を向ける。そんな祐巳の視線の先で、令さまは諦めるようにゆっくりと首を振った。祐巳はがっくりと肩を落とした。
「くくく、楽しいね」「はいっ!?」
 突然、横からかけられた声に、祐巳は飛び上がりそうになる。振り向くそこには、どことなく中性的な彫りの深い女性が楽しそうに祐巳を見つめていた。
「百面相、してる」「えぇぇっ!」
 祐巳はばっと顔を両手で押さえる。その仕草に、白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)がまた爆笑した。
「くっくっく・・・」「あははは、いいわねぇ、この娘」
 誰か、助けて。
 そんな思いがやっぱり顔に出ていたのだろう。正面の紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が溜め息を一つつくと声を荒げた。
「聖、いいかげんにしなさい。江利子も遊ばないの」
「はいはい」「あら、お怒りだわ」
 意外なほどにあっさりと二人が退く。怪訝そうな祐巳に白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)がウィンクして答えた。
「蓉子は怒ると怖いから」「聖!」
 ぺろりと舌を出す白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)。祐巳は美人は様になるなぁと思いながらも、正面の紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)に視線を戻した。
 苦労してるんだ。おもに人間関係で。
 そんな祐巳の思いに気がついたのか、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は苦笑する。
「ごめんなさい。話を元に戻すわね。
 リリアン女学園がお隣の花寺学院と姉妹校の関係にあるのはご存知?」
「あ、はい。うちも弟が花寺に通ってますし」
「そう」
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は納得するように肯く。
「それで交流のために文化祭のとき、お互いにお手伝いを出しているのは?」「いいえ」
 祐巳は話が見えず、首をかしげた。
「今年も夏休み開けにすぐ花寺の学園祭があるの。でも、今年は人手不足で困っていたのよ。そこで祐巳さんにお手伝いをお願いしたいの」
「私にですか? それは構いませんけど」
 どうして私なんだろう、と祐巳は頭をひねる。
「弟さん、福沢祐麒さんが花寺の生徒会長に気に入られてるって話、聞いているかしら?」
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の言葉に祐巳は弟の言葉を思いだし、立ち上がった。
「え? どうして、祐麒の名前を・・・。まさか!」
 水野蓉子さまは祐巳の驚きにちょっとしてやったりといった表情で楽しそうに笑った。
「そう。お二人に、両校の連絡役をお願いしたいの。
 さしあたっては、このプリントからかしら」
 祐麒の話はこれだったのか。
 頭の中に祐麒が手を合わせて謝る姿が思い浮かぶ。
 サーッと、頭から血が下がる音が聞こえた。
「まぁ、そんな真っ青にならなくても、別に取って食べたりはしないわよ」「あ、でも、なんかこの子、食べちゃってもいいかな?」「ちょっと、聖!」「あら、いいんじゃない? そのときは私も混ぜて」「お、おねぇさま!」「・・・」
 いったいどうなってしまうのか。
 祐巳は弟に売り渡されてしまった自分の行く末を儚んだ。

2.

 いささか珍事はあったが、無事に連絡を終わらせると、その日の会合は終わりだった。
 新入生に蕾たちをにっこりと笑顔で送りだすと、薔薇さまだけとなった室内で紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)、水野蓉子はキッと眉を怒らせて無関心そうな表情で外を眺める白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)、佐藤聖を睨みつけた。
白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)、あれはいったい何なのかしら?」
「ん?」
 めんどくさそうに聖がこちらを振り向いた。
 蓉子はそんな人と関わることを拒むような態度にさらに怒りを募らせた。
「志摩子への当て付けに同じクラスの娘を利用するなんて、志摩子の居場所をさらに追い詰めるつもり?」
 聖が無表情に蓉子を見つめ返す。
「失礼なことを言うね。私は蓉子が望む通りの白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)を演じたつもりだよ」
 なにを言うんだとばかりに聖が肩をすくめた。
「祐巳ちゃんみたいな一般の生徒が、気軽に出入りができる明るい雰囲気がお望みだったんでしょ?
 志摩子への当てつけ? 蓉子、それは勘ぐりすぎってものだわ」
「あなたね!」「蓉子、あなたも少し落ちついたら?」
 状況を傍観していた黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)、鳥居江利子は熱くなりかけた蓉子を引き止めた。蓉子は半分椅子から立ち上がりかけていた姿勢を戻す。
「聖、いいかげんに中途半端なことやめなさい。あなたは志摩子を追い詰めようとしてるのよ」
「おせっかいはやめてと言ったわよね」
 うんざりだとばかりに聖が立ち上がる。
「そんなに志摩子が大切なら、あなたの妹にでもすればいい。志摩子なら紅薔薇の蕾(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)も務まるでしょう?」「聖!」
 制止したのは江梨子だった。
 言われた蓉子はむしろ静かにその言葉を受け止めていた。
「そうね。それも考慮にいれるべきかしら」
「な!」「蓉子、あなたも頭を冷やしなさいな」
 驚きの声を上げる聖を蓉子はゆっくりと見上げた。
白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)が絶対に妹を作らないと約束してくれるなら、それでもいいわね。きっと志摩子は断らない。
 聖、あなたは黙って横から志摩子を見ていればいい」
「ちょっと、蓉子。それ本気で言ってるの!?」
 慌てるのは聖のほうだった。蓉子はこくりと肯いた。
「本当は祥子の妹になるならそれでも、と思っていたのだけど。正直、志摩子は限界よ。ここでちゃんと縁を切って自由にしてあげるか、なにかここにいる理由を作ってあげるべきだわ。もとはといえば、私のおせっかいだから、私が面倒を見るのも筋ね」
 蓉子は両手をテーブルについて立ち上がった。
「祥子が妹を作るよう言ってくれたけど、こんなに早くその機会が来るなんて思わなかったわ」「ちょっ!」
 蓉子は鞄を持つと、ごきげんよう、と一言告げて部屋を出ていく。
 その背を見送った聖は、椅子を荒々しく引く音に江梨子を振り向いた。
「まったく、いいかげんにして欲しいわね。今の蓉子を挑発してどうするのよ?」
「・・・本気だと思う?」
 聖は無表情に問いかける。江梨子はため息をつくと大きく横に首を振った。
「わからないわね。でも、今ので本気になったかもね」

3.

 それは、もしかしたら、嫉妬だったのかもしれない。
 藤堂志摩子はちらりと隣で黄薔薇の蕾の妹(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・プティ・スール)と言葉を交わす福沢祐巳を盗み見た。
 ころころと変わる表情。
 彼女の示す一挙手一挙動が心の動きを伝えてくれる。
 新鮮だった。
 祐巳さんのことは知っていた。同じクラスの生徒だ。いつも友達の桂さんと仲良くはしゃいでいる姿を、離れた場所で見ていたから。
 そんな祐巳さんだからこそ、あの人も心を動かすのだろうか。そして、私も・・・。
「志摩子さん、どうしたの?」
 気がつけば、祐巳さんが私の顔を見上げるように覗きこんでいた。動揺を押さえて、私は何でもないと首を振った。祐巳さんの向こうで黄薔薇の蕾の妹(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・プティ・スール)が面白くなさそうな顔をしていた。
「ちょっと考え事を」「何か心配でもあるのかしら?」
 少し刺の入った口調で黄薔薇の蕾の妹(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・プティ・スール)が首を傾げた。
「そう言うわけではないの」「そう? よかった」「・・・」
 ぱっと笑みを浮かべて祐巳さんが笑う。
 ああ。
 この笑みが曇ることはきっとない。
 そう確信していた。
 すぐにそれが、ただの思いこみでしかないと理解することになったのだけど。

 売り文句に買い言葉だった。
 水野蓉子は先ほどのやり取りを思いだして、ひとりため息をついた。
 静かな教室の中、蓉子はひとり窓辺に立って暗くなりつつある空を見つめていた。
 明らかに言いすぎだった。
 聖の性格上、言いすぎれば反発する。どうして、あの時はうまく流せなかったのか。
 いいえ。わかってる。
紅薔薇の蕾(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)
 その言葉が聖の口から出たとき、思いだしてしまったのだ。あの不器用で、意地っ張りで、臆病なあの子の事を。
「だからって、あれは言い過ぎたわ」
 反省。
 ちょっと机に手をついて、蓉子は反省のポーズを取ると、頭を振って外を眺める。眼下にはどこかで見覚えのある四人の人影がある。
「あら?」
 蓉子はちょっと意外な様子に目を丸くする。『黄薔薇の蕾の妹(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・プティ・スール)』が姉である支倉令を余所にあの少女に話し掛けている。
「祐巳ちゃん、だったわね」
 少女の名前を思い起こす。跳ねあがる髪をリボンで抑えて、ツイン・テイルの特徴的な髪型にした可愛らしい少女だ。由乃ちゃんの言葉に受け答えながら、共に歩く志摩子にも話を振っている。
 その無邪気な幼さに、蓉子も少し心が和らぐ気がした。
 そして、気が付く。黄薔薇の蕾の妹(ロサ・フェティダ・アン・ブゥトン・プティ・スール)と志摩子が普通に話をしている姿を今まで見たことがない。由乃ちゃんの身体のこともあって令が普段やりとりの間に入っているためだろうが、由乃ちゃん自身の人間関係に対する用心深さが志摩子を警戒していたのだろう。志摩子自身、何事にも一歩退いた立場で人と接する態度がある。それも由乃ちゃんの警戒心を煽るのだろう。
 それがどうだろう。
 今は、可愛らしい、でも、リリアンでは珍しくない普通な少女を間に、あの他人を寄せ付けない雰囲気を纏う二人の少女たちがぎこちないながらも言葉を交わしている。
 たぶん、本人は意識していないことだけれど、それは凄いことだ。
 と、ふとマリアさまの像に祈る少女たちに背後から忍び寄る一人の上級生の姿を見つける。自然と、蓉子の眉根が寄った。
 蓉子の視界の向こうで、その上級生がお祈りを終えた少女を背後から抱きしめる。じたばたと逃げ出そうとする反応を楽しんで、彼女は少女たちに手を振った。
「・・・」
 この時間帯は確かに人通りも少ないが、部活帰りの生徒がいないわけではない。せめて、志摩子に抱きついてくれれば。
 いえ、聖にはそんな度胸ないわね。
「聖、あなた、ぜんぜん学んでないわ」
 蓉子は明日起きるだろう騒動を予想してがっくりと肩を落とした。

4.

 今日は朝から妙に視線を感じるなぁ。
 雨が降り出しそうな曇り空、福沢祐巳は鮮やかな水色のリボンで結んだツイン・テイルを微かに揺らせて首を傾げた。
 通学時はそれほどでもなかったのだ。いつものように挨拶を交わし、マリア像にお祈りを・・・平穏な一日をお願いして。
 それからだ。
 どうも視線を感じるのだ。なにより、下駄箱からここの教室までにいつもより挨拶を交わす数が確実に多い。
 初めは自意識過剰かな、と思ったのだ。
 昨日、あんなてんやわんやな状況で薔薇の館を訪れて――祥子さまはもういないけど――艶やかな薔薇さまがたとお話することになるなんて、本当に夢のようなひとときだった。
 できれば、夢のまま忘れてしまいたい人もいたのだけど。
 だから、今日の自分は少し周りに過敏に反応してるんじゃないかって、そう自分を疑ったりもしたのだ。
 でも・・・。
「ごきげんよ「祐巳さん!」おっ!」
 扉を開けて挨拶をした途端、駆け寄ってきた桂さんが祐巳の首をがっしりと腕を回して引きずり寄せた。
「か、桂さ、ん!」「ちょっと、これ、どういうこと!!」
 なんか、最近、こんなノリばかりって、頭のどこかで冷静なわたしが囁く。
「ちょっと、桂さん! なんのこと?」
 あまり体育会系のノリは勘弁して欲しいな。
 そう思いながら、祐巳は桂さんが手にした物を見つめた。リリアンかわら版の、号外?
 祐巳は桂さんが手にしたモノを見て、くらりと意識が歪むのを確かに感じた。かわら版の一面記事には、大きな文字で疑いようもなくこう書かれていた。
『白薔薇トライアングル!! 蕾となるのは果たしてどっち!?』
 どうもご丁寧に。いや、いいんだけどね。
「ねぇ、ねぇ、祐巳さん! これいったいどう言うことなのよ!?」
 両肩を掴んで祐巳の上体を力いっぱい振りまわす桂さんの問い詰めに半ば意識を飛ばしながら、祐巳は天井を仰いだ。
 マリア様! これが高校デビューという奴ですか!?



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Last modified $Date: 2005/09/26 09:19:21 $
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