薔薇の矜持

Code of Rose


麗しき君に


1.

 私は控え室の彼女を訪ねる。
 そこはホテルの一室。新婦側の控え室として借りたお座敷だった。
「あら、蓉子さん。来てくださったのね?」「はい。ご無沙汰しております。清子小母さま」
 おっとりとした表情で私、水野蓉子を出迎えてくれたのは、彼女の母親、清子さまだった。私が深々と頭を下げてお辞儀すると、清子さまはいそいそとお座敷の格子戸を開けて迎え入れてくれる。玄関でヒールを脱いで靴をそろえると、中央の白い草履が目にとまった。
 たった一つ、主張するその色が、ふと私の心に実感となって迫ってくる。
 はっとなって私は顔を上げた。私が動揺していてどうする。
 先に部屋に入った清子さまに私も続く。襖を閉めて座敷に上がった。
 部屋に人が入ってきた物音に彼女が振り返る。
 白無垢を纏いさらさらの長い黒髪を結った彼女はとても綺麗だった。
「お姉様?」
 思わず見とれてしまった私に心配そうに私の妹、小笠原祥子が問いかける。
 いけない。この晴れの日に私が祥子を心配させてどうする。
 私はゆっくりと安心させる笑みを浮かべた。
「とっても綺麗よ、祥子」
「お姉様・・・」
 祥子が感極まったように目の端に涙を浮かべる。私はバッグからハンカチを取り出し、そっと化粧が落ちないようその涙をぬぐう。
「馬鹿ね。今日はあなたの晴れの日でしょう? 主役が泣いてはいけないわ」「は、はい…」
 一生懸命に笑みを浮かべる祥子の姿に、私は今日が吉日であることを確信した。それは悔しくも、苦い認識だったのだけど。
「私、お姉様にお伝えしたいことがあって…」「あら、なにかしら、改まって」
 祥子は私を見上げる。
「私、お姉様に(プティ・スール)にしていただいて、ずっと幸せでした。リリアンでの毎日、いつも新鮮で。
 ただ一つだけ、心残りがあるんです」
「あなたが心残りだなんて、珍しいわね」「お姉様!」
 おどけて見せた私に祥子が少し拗ねる。ああ、こんな姿を見れるのも、もうそうないのだろうと感じる。
「なに、祥子?」「私はお姉様からいただいたご恩をお返しすることができませんでした」
 祥子が沈んだ表情を見せる。
「姉から受けた恩を、積み重ねられた日々の思いを、(プティ・スール)に与える。私はたぶん、お姉様に妹を紹介できませんから」
「祥子…」
 私はそんなことを気にしていたのかと、思う。祥子を妹に迎えるとき、正直、この娘には妹を迎えることができないかもしれないと覚悟すらしていた。でも、いつの間にか、妹を持つ自分としての心構えを持っていたことに胸が熱くなる。その気持ちだけでも胸がいっぱいだった。
「その気持ちだけで充分よ」「お姉様?」
「あなたは充分に私に応えてくれたわ」
 祥子は手の中に包んでいたそれを私に差し出した。
「でも…、こんな不承の妹からお姉様にお願いがあります」「なに?」
 祥子の手を受け取る。その中にある感触に、祥子が言い出そうとしていることがわかった。
(プティ・スール)をお作りください」「さちこ…」
 手渡されるロザリオの感触が手の中で痛い。
「私はきっとお姉様にとってわがままで、ヒステリーで、手のかかる問題児だったと思います。あげくにお姉様が一番大変なときに・・・。だから、これは至らない私の最後の我が儘です。
 お姉様、(プティ・スール)をお作りください」
 ああ、この子はこんなに私のことを思ってくれている。本当に不器用な子だと思う。
 私は祥子の差し出したロザリオを受け取ると、手の中でそれを見つめた。
「わかったわ」「・・・」
 祥子が嬉しいような寂しいような表情で私を見上げる。その祥子を抱きしめると、もう一度その首にロザリオをかけた。
「でも、これはあなたにあげたものよ。あなたが結婚しようと、独り立ちしようと、忘れないで。あなたは私の(プティ・スール)よ。それとも、こんな意地悪な姉とは縁を切りたくなったのかしら」
 まじめに伝えると、また祥子は泣いてしまいそうだったから、最後はちゃかしてみせる。
「そんなこと、ありません」「そう?」
「ふふふ」「クスクス」
 笑みが零れる。
「だから、祥子」「はい、お姉様」
 私は笑顔で伝えた。
「幸せに、おなりなさい」

2.

 ホテルのロビ−は大輪の花が咲き美しく華やいでいた。
 日本有数の資産家である小笠原家の結婚式。その披露宴に参加するため盛装した紳士淑女があふれている。あまりにも招待客が多すぎるため、結婚式自体は親しい親戚筋以外の参加はできないが、かわりの宴席には政財界から多くの客が訪れていた。
 水野蓉子は時折テレビでも見たことのある人物すらいる人混みを避けて、ロビーの一角のソファに辿り着いた。
「あら、蓉子。早かったね」「どう? 祥子の様子は」
 その一角はひときわ目立っていた。
 纏うのは深い緑に黒を落とした烏の濡れ羽色の制服。
 リリアン女学園の制服に身を包んだ少女たちが新婦の友人として集まっていた。近くには別に黒の学生服を着た一団もいる。新郎である柏木優の花寺学院高等学校の生徒だ。彼らの多くはこのような席に慣れていないのだろう。居心地が悪そうに仲間と話していた。
「落ちついていたわ。心配するまでもなかったみたい」
 蓉子が空いているソファに座る。
「そう。それはよかったわ」「ふーん」
 あまり本心でそう思っていないような様子で黄薔薇さま(ロサ・フェティダ)、鳥居江利子が肯く。気のない返事を返す白薔薇さま(ロサ・ギガンティア)、佐藤聖を蓉子が睨んだ。
 小さく溜め息を吐いて蓉子は周囲を見回した。
 蓉子たち山百合会、リリアン女学園の生徒会役員だ、のメンバーを除けば、幼稚舎のころから一緒だったという2、3人の人影しかない。あとは習い事の恩師や世話になっていた方々だけ。他には瀟洒なドレスに身を包んだ上流階級の少女たち。リリアンに入学している少女は薔薇さまがたに習って制服を着ているものが多いが、家の付き合いからか、精一杯背伸びをした小さな淑女たちが家族とともにくつろいでいる。
 これが祥子の交友関係のすべてだった。
 蓉子はもう一度ため息を零した。
 これがこの後の祥子の世界の全てになる。それが哀しかった。
「やぁ、山百合会の薔薇さまがた。()っちゃんに会ったんだって?」
 白いタキシードを着た柔らかな容貌の青年が声をかける。自分の考えに沈んでいた蓉子は気付くのが少し遅れた。
「あら、新郎ともあろう方がこんなところで油を売っていてもよろしいのかしら?」
 ちらりと顔をあげた聖が多少の皮肉をこめて答える。柏木は苦笑した。
「とりあえず、挨拶周りをね。不安に思っている奴らもいるし」
 柏木はそういって花寺の制服を着た一団に目を向け、意味ありげにウィンクする。
「まぁ、後輩思いですこと」
 右手を天に振り、江利子が肩をすくめた。柏木はすこし口元に拳を置いて考えるそぶりをしてみせる。
「きついなぁ。もしかして、僕は皆さんに嫌われてるのかな?」
「マリア祭前の忙しいこの時期に私の妹を、『紅薔薇の蕾(ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン)』をさらわれてしまった身としては、無条件に好意的にはなれないわね」
 首を振りながら蓉子が答えた。実際、聖と志摩子の関係の起爆剤として祥子に発破をかけたかった蓉子としては、今の状況には辛いものがある。また、祥子の姉としても、この時期の婚姻には否定的にならざるを得なかった。
「せめて高校を卒業してからでも・・・」
「それに関しては僕のほうからも散々言ったんだけどね。お爺様の強い意向には小笠原の一族のものとしては逆らえないところもあってね」
 ばつが悪そうに柏木が髪をかきあげる。そんなところも様になる男だった。
「そうね。それは祥子も納得したことだから私もこれ以上言いたくないのだけど、文化祭の演目も変えないと駄目ね」
 蓉子が肩をすくめた。江利子が面白そうに目を輝かせる。
「あら、何を考えていたの?」「そういえば、まだ聞いてなかったわね」
「祥子を主役にシンデレラを。私たち薔薇さまは3人で祥子に意地悪する役柄よ」「へー、その意地悪するってところがいいわね」「蓉子、はまりすぎ」「それじゃ、僕は?」
 楽しそうに笑い声をあげる二人を見まわして蓉子は明かした。
「花寺の生徒会長には王子様役で参加していただくつもりでしたの」
 柏木は困った顔で腕を組んだ。
「そうか。それは悪いことをしちゃったな」
「いいえ」
 蓉子は首を振った。そう。これは祥子が望んだことだ。慶事でこそあれ決して悪いことなどではない。
 しばらく、首を傾げていた柏木はふと何かを思いついたように花寺の一団に声をかけた。
「薬師寺、確か、ユキチのお姉さん、リリアンだって言ってなかったか?」「・・・」
 柏木の声をかけた先で、大きな体躯を学生服に収めた瓜二つの兄弟がゆっくりと肯く。その返答に柏木は満面の笑みを浮かべて彼女たち、薔薇さまがたに振りかえった。
「それじゃ、今回は僕に加えてもうひとり、花寺から手伝いを増やそうと思うんだけど、どうかな?」
「それはかまいませんけど?」
 蓉子は柏木の意図が見えずに、首を傾げた。柏木は楽しそうに人差し指を立てて見せた。
「将来有望なやつでね。今、生徒会に引きずりこんで散々鍛えてやっているところなんだ。でもきっと君たちにとっても、お買い得だと思うよ」
 芝居っ毛たっぷりに、柏木はウィンクして見せた。
「今年の一年生で、福沢祐麒っていうんだけど、年子の姉がリリアン女学院に通ってるそうなんだ」
 蓉子は柏木の言葉の意味を理解して、江利子や聖に視線で問いかけた。江利子は楽しそうに、聖は手を抜けるなら何でも良いといわんばかりに肯いた。
 蓉子は柏木にゆっくりと笑顔を浮かべて見せた。
「興味深いお話ですわね。詳しくお聞かせていただけるかしら」
 柏木は共犯者の笑みを浮かべると、肯いて手振りで花寺の学生を呼び寄せた。

3.

 溜め息を一つついて、ころんと机の上に頭を転がす。
 福沢祐巳はあたりはばかることなく悩んでいた。
「ちょっと祐巳さん、どうしたのよ?」
「あ、桂さん」
 むくりと頭を起こす。呆れた様子で桂さんが祐巳の机に手をついていた。
「もう、祥子さまが結婚しちゃったのがショックなのはわかるけど、それじゃ、だれ過ぎよ?」
「うん・・・。そう言うわけじゃないんだけど」
 祐巳はちょっと困ったように首を傾げた。桂さんも一緒になって首を傾げる。
「って、違うの?」「うん、違うの」
 言葉が途切れた。
 ・・・
 はっと、どちらともなく再起動を図る。
「じゃ、じゃあ、どうしたのかしら?」
 なんとなく赤面した桂さんがちょっと無意味に辺りを見まわしながら訊ねた。祐巳も我に返って首を振る。
「えっとね、昨日のことなんだけど、弟がいきなり『祐巳、ごめん』って謝ってきて・・・」
 思いだす。
 確かに昨日、祐麒の様子は変だった。
 帰ってきてすぐに部屋に閉じこもるし、夕飯時もなにか言いたそうにちらちら祐巳を見ては、祐巳が顔を向けると慌てて目をそむける。
 なにか言い辛い事があるのだろうと思って部屋で待っていると、ドアの向こうから祐麒が声をかけてきた。
 その第一声がこれだ。
「祐巳、あのな、今のうちに謝っておく。ごめん」
「ちょっと、祐麒。なにを謝っているのかわからないよ」
 ドアごしの会話。
 いったいなにを言ってるのかわからなくて、祐巳はドアを開けようとする。しかし、外から抑えこんでいるのかドアは開かない。
「祐麒! 話があるならちゃんと言いなさいよ」
「祐巳に迷惑をかけるつもりはなくって、いや、アイツのことだからきっと変なことはしないだろうけど、きっと大丈夫だと思うんだけど。
 ・・・俺、祐巳のこと売ったかも…」
「!! ちょっと、祐麒! それいったいどういうこと!?」
「ごめん、今はこれ以上は」
 そう言って、祐麒は部屋に閉じこもってしまったのだ。
「どうすればいいのかな?」
「祐巳さん!」「!!」
 がしっと桂さんが祐巳の肩を掴んだ。
姉弟(きょうだい)は駄目よ!」「え? えっ!? なんの話!?」
「言いづらいのはわかるわ。でも、勇気をもって拒まなきゃ!」「だから、なんの話なの!?」「ちなみに弟さんて美形? 美形!?」「桂さん、落ちついて。私と良く似た狸顔だよ」「ああ、禁断の恋。『祐巳、俺、お前のことが』『駄目だよ。私たち、姉弟(きょうだい)なんだよ』『ごめん。でも、俺もうこれ以上我慢できない』。きゃー、そんな、駄目よ、祐巳さん」「た、助け、て。桂さ、んが、壊れた・・・」
「あら、賑やかね」
 扉が開き、鈴やかな声が響く。
紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)よ」
 誰かの声に、桂さんの祐巳を揺すぶる動きが止まった。だが、すでに祐巳はグロッキー寸前だった。
 近くで椅子から立ちあがる音がする。
 ああ、志摩子さんだ。
 祐巳はわずかに動いている認識の中で気がつく。多分、薔薇さまは志摩子さんに会いに来たんだろう。
 取次ぎに近くの生徒が紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)に声をかけた。
紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)、どなたに御用でしょう?」
 どなたもなにも、志摩子さんでしょ。
 ぼけた頭で突っ込みをいれる自分に、祐巳は少し悲しくなる。
 甘いものは別腹っていうけど、私の場合、つっこみは別脳なんだろうか。
 でも、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)の返答に、祐巳の頭は本格的に停止してしまった。
「福沢祐巳さんはお見えかしら?」「へ?」
 取り次いだ少女が困ったように振り向く。志摩子さんも困惑した表情で祐巳を見る。みんなが素朴な疑問を顔に浮かべて、祐巳を見つめていた。
「祐巳さん、なんかした?」「まさか!」
 桂さんの言葉に祐巳は慌てて首を振った。
「祐巳さん。その、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)が・・・?」
 自分の責務を思いだしたのか、取り次いだ少女が困ったように祐巳を見つめる。祐巳は一瞬だけ天井を仰いだ。しかし、すぐに彼女を安心させるように笑みを見せて頷くと、桂さんの魔の手を逃れて廊下に向かう。
「祐巳さん?」「大丈夫」
 不安げな同級生たちに小さく肯いて、すり抜ける。ふと、気づかわしそうな志摩子さんの視線が祐巳のそれとぶつかった。軽く照れたように笑って、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)を振り向く。
「えっと、一年桃組出席番号35番、福沢祐巳です。ごきげんよう、紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)。私になにか?」
 紅薔薇さま(ロサ・キネンシス)は祐巳をちらりと上から下まで見まわすと、なにかに納得するように肯いた。
「ええ、福沢祐巳さん。用があるのはあなた。間違いではなくてよ」
 そう言って水野蓉子さまは祐巳の後ろの少女に声をかけた。
「志摩子、祐巳さんを薔薇の館にご案内して。さ、行きましょう」「ほへ?」「あ、はい」
 状況がわからずに固まった祐巳を後ろから志摩子さんが促した。
「祐巳さん、行きましょう?」
「・・・ええええええええええ!!」
 はしたないといわば言え。
 半ばヤケな気分で祐巳は思わず天を仰いだ。
 マリア様! いったいなにがどうなっているのでしょう!?



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Last modified $Date: 2005/07/25 00:45:32 $
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